2017年5月10日水曜日

三井記念美術館「西大寺展」11

 やがて敷曼荼羅を壁に懸けるようになったとき、当然のことながら、胎蔵界曼荼羅は東壁に、金剛界曼荼羅は西壁に懸けられることになります。すでに述べたように、両界曼荼羅として一対になったのは、陰陽思想が強い中国においてだと思いますが、それぞれの方位はすでにインドにおいて決まっていたのでしょう。

いずれにせよ、わが国密教寺院における東に胎蔵界、西に金剛界という配置は曼荼羅本来の方位とよく合致しています。

しかし、私見のごとく胎蔵界曼荼羅が陰、金剛界曼荼羅が陽だったとすると、陰陽思想的に胎蔵界曼荼羅は陰の西壁に、金剛界曼荼羅は陽の東壁に懸けられるべきでしょう。厳密に方位でいうと北が陰、南が陽となりますが、春に当る東が陽的であり、秋に当る西が陰的であることは、改めて言うまでもありません。

胎蔵界曼荼羅が西壁に、金剛界曼荼羅が東壁に掛けられなかった理由の一つは、曼荼羅の方位が早くインドで決定されていたからだと思います。インドでも、単独で曼荼羅を壁に掛ける場合があったとすれば、東壁に胎蔵界曼荼羅を、西壁に金剛界曼荼羅を掛けていたのではないでしょうか。

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