2024年8月26日月曜日

大木康『山歌の研究』3

 

当時の情況を考えれば、妓院娼楼と関係する歌が基本なのかもしれませんが、普通の女性を歌った、あるいはそれに仮託した歌謡の割合も拮抗しているように思われます。そこには唐代閨怨詩の伝統も受け継がれているのではないでしょうか?

儒教の影響で相聞歌が非常に少ないといわれる漢詩に対して、こんなに豊饒な、そして開けっぴろげともいうべき恋歌や艶歌の世界が、民衆庶民のあいだには広がっていたのです。これを知って、僕は中国の詩歌がますます好きになってしまいました。葛飾北斎『潮来絶句集』のもとになった潮来節と共鳴するエロティシズムが、明らかに感じられるじゃ~ありませんか!! この点にもすごく興味を惹かれたのでした。


0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「NEGORO」12

   この狩場明神に導かれた弘法大師が、紀伊国境を流れる吉野川のあたりにたどり着いたとき出現したのが丹生明神です。丹生明神はその山域の地主神で、大師に高野の地を示して差し出したと弘法大師伝に書かれているそうです。 丹生明神はイザナギとイザナミの娘ともされる女神ですが、本図では十二...