2024年7月23日火曜日

東京国立博物館「神護寺」3

彫刻史的にみれば、いわゆる唐招提寺講堂木彫群との関係を考えなければならないでしょう。現在は新宝蔵にまつられている仏像彫刻群です。しかし関係の強弱については、見解が分かれているようです。

講堂木彫群を造ったのが鑑真和上と一緒に渡来した工人あるいはその影響を受けた仏師であったことは明らかですが、神護寺薬師を彫った仏師は、系統を異にしていたかもしれません。優婆塞や私度僧のような素人仏師とは考えられませんが、チョッと常軌を逸した、つまり神がかった仏師だったのかな?

だから言うわけじゃありませんが、宗教的にみれば、薬師如来という仏像でありながら、神像的要素も包摂しているのではないかと感じられます。つまり宇佐八幡との抜き差しならぬ関係です。この像が和気清麻呂の私寺であった高雄山寺の本尊であったか、正式な定額寺であった神願寺の本尊であったかはよく分かりません。

 

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