2024年5月21日火曜日

世田谷美術館「民藝」6

 

『白樺』は明治43年(1910)創刊され、大正12年(1923)、160冊をもって終刊となりました。まさに大正年間の雑誌だったわけですが、内容をふりかえってみると、大正ロマン主義の申し子であったように思われてなりません。大正ロマン主義のシンボルであったといってもよいでしょう。それは大正デモクラシーと深く結びついていました。

だからこそ、大正ロマン主義、大正デモクラシーの時代が終焉に向うと、かつての輝きを失わざるを得ませんでした。確かに『白樺』を廃刊に追い込んだのは関東大震災でしたが、それが起こらなかったとしても、間もなくフェードアウトする運命にあったのではないでしょうか。その危機的情況にあって、柳を支え、新しい哲学へと導いてくれたのが民藝でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

東京国立博物館「江戸☆大奥」7

  そして明治 20 年代を迎えると、早くも富国強兵による近代化に成功した自国に、多くの国民が自信と矜持を抱くようになりました。それと日清戦争がまったく無関係であるはずはありません。 そうなると旧弊としてあれほど否定したはずの江戸時代を、誇るべき歴史の 1 ページとしてながめ...