2024年5月12日日曜日

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」9

贈られる智仁親王自身が一品、つまり鶴なのですから、鶴を描いたらダブってしまいます。連句でいうベタ付けになってしまいます。友松は浜松図を描きながら、松から一品大夫を、波から一品当朝を連想させて、智仁親王の一品叙位をことほいだのでしょう。智仁親王を慶賀すべき一品大夫と一品当朝を同時に表象するような画題は、浜松図をおいて他になかったといってもよいでしょう。

あるいは鶴に代えて、同じ鳥類である浜千鳥を配したのかもしれません。浜千鳥は古くから筆跡、さらに手紙の寓意にもなってきました。和歌では浜千鳥に「あと」「あとなし」と続けられることが多いので、あと→跡→筆跡という連想を生んだからです。和歌や連歌を好み、細川幽斎から古今伝授を受け、古典の書写に情熱を傾けた能筆家・智仁親王には、鶴より浜千鳥の方がふさわしかったことでしょう。

 

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