2024年5月9日木曜日

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」6


 友松は晩年、桂宮家を創始した智仁ともひと親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集11>(集英社 1978年)によると、桂宮淑子すみこ関係の記録にある「屏風 浜松之画 友松筆」が、この屏風を指しているとのことです。

智仁親王は後陽成天皇の皇弟、かの桂離宮を造営した教養人でした。本屏風の制作には、友松と智仁親王との関係が推定されてきましたが、慶長6年(1601)智仁親王が親王の位階第一位である一品に叙せられたとき、祝賀の意味を込めて友松が描き贈ったのではないかと僕は疑ってきました。

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