2024年1月23日火曜日

千葉市美術館「鳥文斎栄之展」6

 

寄合というのは、江戸幕府の旗本のうち、禄高3千石以上の非職の者(『広辞苑』)です。細田家は500石のはずですが、栄之の禄高はそんなに増えていたのでしょうか。

それはともかく、栄之は絵画への興味を捨て去ることができず、画家として生きたいという気持ちが強くなった結果、辞職したのではないでしょうか。しかしこの段階では、狩野派でいくか、浮世絵でいくか、迷い悩んでいたにちがいありません。狩野派の画技だって、師の栄川院典信から一字を拝領するほど完璧だったんです。ところが続いて天明6年の条には、「将軍家治没、田沼老中を罷免される。栄之、この頃より『風流十二月』など錦絵を手がけるようになる。清長の画風の影響大」とあります。


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