しかし南畝の心中はどうだったでしょうか。やはりあの華やかな天明狂歌に、さらにいえば人間的な天明文化に対する共感が、けっして消滅することはなかったはずです。しかしそれを表立って表明することは、もちろんできませんでした。そんなことをすれば、ほとんど田沼一派と見なされていた南畝は、ソク身の危険にさらされたからです。
理念は正しくてもどこか息苦しい社会、それまで普通に行なわれてきた人間の楽しみが規制される生活、監視と密告におびえる日常が生まれようとしていました。しかし、まったく同じような時代がかつてあったことを、あの鋭い歴史感覚をもち、狂歌というパロディ文学の天才であった南畝が、気づかないはずはありません。
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