山下さんは、「このどこか飄々とした風貌は、実はこの画家自身の姿を投影したものではないかと考えている」と述べています。饒舌館長もその通りだと思います。つまり式部輝忠は、盛唐の天才詩人・李白に対して、憧憬の気持ちをもっていたのでしょう。何しろ李白に自分自身を重ね合わせているのですから……。
また山下さんは、「すべてのモティーフを徹底的に人工的な『かたち』に還元し、あたかも模型を組み立てるが如くに、一つ一つのモティーフを画面に配置していこうとする構成法」を指摘しています。
これまたそのとおりだと思いますが、その構成法は式部輝忠の幻影ともいうべき李白よりも、周りの環境描写に強く感じられます。李白でいえば、表情よりも衣裳の方です。こんなところにも、式部輝忠の李白オマージュを読み取りたい誘惑に駆られるのです。
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