2018年8月27日月曜日

夏もやはり李賀5


 いつのころからか僕は、井伏鱒二の真似をして、漢詩の戯訳を楽しむようになりました。とはいっても、

このさかずきを受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

などという名戯訳は、真似しようと思って真似できるものじゃありません。しかし、漢詩を伝統的な読み下しにしてみたって、現代人にとって意味をとることは、ほとんど不可能に近いといってよいでしょう。

そこで僕なりに戯訳を試みるわけですが、荒井さんは七五調戯訳に対して、批判的見解を表明しています。先の『中国詩人選集』付録に寄せた「中国の旧詩の翻訳」のなかで、荒井さんは漢詩翻訳の難しさを嘆きながら、次のように述べています。

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根津美術館「唐絵」6

また島田先生は、「題辞、題詩が単に画図をみた印象、感想を述べるだけでなく、画図の主題と密接な関連があって、 画図の十分な理解のためにはその詩文の解釈が欠かせないとか、題跋の加わることが予期されるというような条件をおくことが必要であろう」と指摘しています。 さらに島田先生は、詩画軸...