2018年8月6日月曜日

大原美術館美術講座7


B辻惟雄「メトロポリタン美術館蔵『保元・平治物語図屏風』について」
                      (日本屏風絵集成5 講談社 1979
保元元年(1156)七月と、元治元年(1159)十二月の再度にわたり、京を舞台に、華々しく、そしてあっけなく展開終結した保元・平治の乱は、歴史上では中世の幕開けを告げる意義を持つものであった。事件の顛末は潤色されて為朝や悪源太といった英雄像をつくり出し、さらに義経・頼朝の後日譚などをそえ、保元・平治物語として人びとに愛誦されるようになる。この屏風の画題内容は、合戦を主題としながらも、全体として物語の一部始終を、片双を保元絵に、片双を平治絵に分けてくわしくたどったものであり、そのいみでは「合戦絵」と呼ぶよりむしろ「物語絵」とした方がふさわしい。



0 件のコメント:

コメントを投稿

太田記念美術館「鰭崎英朋」3

 鰭崎君(英朋)が画いたのは、この増補の「恵の花」英泉挿絵入の分で、まだ北廓に内芸者でいた米八が、向島の田舎家で、恋中の丹次郎との媾曳 あいびき に、障子を開けて庭先の梅の莟を口に含む。よく人の知る婀娜たる画面をよく格を保って写し得た。(略)  今、こうして時を隔てて烏合会のこと...