2024年12月4日水曜日

東京国立博物館「はにわ」4

 

そのなかには、すでに考古学界で否定された説もありますが、多くは提起されたままになっており、したがって定説と呼ぶべきものは存在しないようにみえます。つまり「埴輪が作られた意味」はまだ分かっていないのです。

かつて埴輪は痛ましい殉死を廃止するため、その身代わりに作られたと考えられてきました。これを殉死代用説と呼ぶことにしましょう。その根拠は『日本書紀』垂仁すいにん天皇3276日の条にありました。本来なら岩波版『日本古典文学体系』を掲げるところですが、頭注を読んだって、意味の半分くらいしか分かりません()  仕方がないので(!?)井上光貞編『日本の名著』(中央公論社)の現代語訳を引くことにしましょう。


2024年12月3日火曜日

東京国立博物館「はにわ」3

 

 この「ごあいさつ」にある「埴輪が作られた意味」、つまり埴輪誕生論にもっとも強い興味を掻き立てられるのは、僕一人じゃ~ないでしょう。

埴輪が円筒埴輪から形象埴輪へと発展したこと、その円筒埴輪は弥生時代後期の祭祀用壷瓶などを載せる器台――特殊器台から生まれたこと、円筒埴輪と形象埴輪を集合させて群像を作り、前方後円墳をはじめとする古墳を飾ったことなどは、発掘や調査をとおして、考古学という学問が明らかにしてきました。ほぼ定説が確定しているといってもよいでしょう。

しかし「埴輪が作られた意味」については、さすがの考古学もお手上げだったのです。いや、考古学者は頭をしぼって懸命に考えてきました。その結果、ざっと数えただけでも、10以上の「埴輪が作られた意味」が提起されることになりました。

2024年12月2日月曜日

東京国立博物館「はにわ」2

 埴輪が初めて国宝に指定されてから、今年でちょうど50年になります。 このたび、 東京国立博物館・九州国立博物館では、その国宝指定50周年と、 九州国立博物館開館20周年を記念した特別展「はにわ」を開催いたします。

今から1750年ほど前、日本では、前方後円墳をはじめとする大きな墓 「古墳」が盛んに造られました。 古墳の外側に立て並べられた素焼きの土製品は「埴輪」と呼ばれ、王をとりまく人々や当時の生活の様子を今に伝えています。

 本展では、初期の円筒埴輪から、素朴な表現の人物や愛らしい動物、 精巧な武具、家、船を模した埴輪など、 九州から東北まで約50か所から集結した120件余りの選りすぐりの至宝をご紹介いたします。 なかでも、埴輪の最高傑作といえる国宝 「埴輪 挂甲の武人」と、同一工房で製作されたと考えられている兄弟埴輪4体の合計5体が、史上初めて一堂に会します。 多彩な埴輪のかたちや魅力とともに、埴輪が作られた意味や古墳時代の人々に思いをはせながらご覧いただければ幸いです。 

2024年12月1日日曜日

東京国立博物館「はにわ」1

 

東京国立博物館「挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展 はにわ」<128日まで>

 はじめて僕が埴輪にまともな(?)興味を抱いたのは、7年ほど前、群馬県高崎市の保渡田八幡塚古墳で復元群像を見たときでした。それまで東京国立博物館の平常陳列などで、一体、二体とは見ていたわけですが、本来置かれていた前方後円墳という大きな人工構造物と一緒に見たことが、新たな関心を掻き立てたのでしょう。

10月からNHK文化センター青山教室で講座「魅惑の日本美術展 これこそベスト6だ!!」を始めました。これに東京国立博物館の「挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展 はにわ」を選んだのは、ひとえに個人的な興味からでした。聴講者の皆さん、お許しください。まずは国宝の挂甲武人――といっても、あどけない少年みたいな顔が表紙を飾る立派なカタログから、「ごあいさつ」を掲げて本特別展の趣旨を知ることにしましょう。

東京国立博物館「はにわ」4

  そのなかには、すでに考古学界で否定された説もありますが、多くは提起されたままになっており、したがって定説と呼ぶべきものは存在しないようにみえます。つまり「埴輪が作られた意味」はまだ分かっていないのです。 かつて埴輪は痛ましい殉死を廃止するため、その身代わりに作られたと考え...