2024年12月18日水曜日

東京国立博物館「はにわ」8

というわけで、「埴輪が作られた意味」は不明というか、定説がないということになります。しかし主要な二つの意味が、重層的に組み合わされていたというのが私見です。とくに埴輪群像の場合ですが……。先の諸説から引っ張ってくれば、霊魂依代説と霊界用具説を重ね合わせたような考え方です。依代用具説とでもいったらよいでしょうか。

古代人の死生観を考えた場合、これが一番よく馴染むように思われるからです。それでは、古墳時代人の死生観とは一体どんな観念だったのでしょうか。「それは分らない」というのが正解だと思います。もの言わぬ遺品から、想像しなければならないのです。後世編集された『日本書紀』や『古事記』があるのみ、一次文字資料は皆無なのです。そこでこれまた、さまざまな古代死生観が考え出されることになりました。

 

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出光美術館(門司)「琳派の系譜」9

   ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...