というわけで、「埴輪が作られた意味」は不明というか、定説がないということになります。しかし主要な二つの意味が、重層的に組み合わされていたというのが私見です。とくに埴輪群像の場合ですが……。先の諸説から引っ張ってくれば、霊魂依代説と霊界用具説を重ね合わせたような考え方です。依代用具説とでもいったらよいでしょうか。
古代人の死生観を考えた場合、これが一番よく馴染むように思われるからです。それでは、古墳時代人の死生観とは一体どんな観念だったのでしょうか。「それは分らない」というのが正解だと思います。もの言わぬ遺品から、想像しなければならないのです。後世編集された『日本書紀』や『古事記』があるのみ、一次文字資料は皆無なのです。そこでこれまた、さまざまな古代死生観が考え出されることになりました。
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