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2026年10月15日木曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」7

 


 しかし大典和尚がこの賛を書いたとき、頭にあったのはむしろ如拙の「瓢鮎図」だったのではないでしょうか? この国宝画をよく見てください。瓢箪を持つ乞食僧が鯰を指差しているように、少なくとも指を差し伸べているように見えるでしょう。


事実、島尾新さんは著書『如拙筆瓢鮎図――ひょうたんなまずのイコノロジー』<絵は語る5>(平凡社 1994年)で、おもしろいことを指摘しています。瓢箪はしっかりホールドされず、上から押さえつけられているだけだというのです。確かに瓢箪は手に吸いついているだけで、乞食僧は指を鯰の方へ差し出しているようにみえるのです。


大典和尚はこの大雅の作品から古来有名な如拙画を思い浮かべ、『荘子』の「不至之指」を想起した可能性を考えてみたいのです。指で鯰を指差すことはできても、鯰の本質をとらえることは不可能だとでも言いたかったのでしょうか。

2026年10月14日水曜日

東文研「研究フォーラム第1回<日本の画論の形成と展開>」マイ特別講演無事終了❣❣❣


  先日お知らせした東京文化財研究所「研究フォーラム第1回<日本の画論の形成と展開>」が無事終わりました。僕は「日本の画論と坂崎坦」と題して特別講演なるものをやらせてもらいました。35000字ほどの完全原稿は用意したのですが、与えられた時間は60分です。読み上げてたらとても終わりそうにないので、PPTを60分のスライドショーにセットしてもらい、サワリだけをアドリブで話すことにしました。内容はともかく、時間内にピタリと終わったことが自慢です。

  ヤジ「スライドショーなら当たり前田のクラッカーじゃないか❣❣❣」

 僕のあと基調講演、コメント、質疑応答、情報交換と続き、終了後場所を移して打ち上げとは相成りました。ともかくも役目を果たした僕は、解放感から秋田の銘酒「旅人」でカンスイ、上掲のごとくに……。「画論」に合わせて締めて行ったネクタイにもご注目あれ❣❣❣

 

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」6

 


しかし「無用之用」という言葉自体は、『老子』じゃなく『荘子』から採られているようです。その内篇<人間世篇じんかんせいへん>に「人はみな有用の用を知ってはいるが、無用の用を知るものはない」とあるからです。つまり瓢箪は、普通であれば何の役にも立たない空間(無用)に効用(用)があることになります。


それではどうして鯰が「不至之指」になるのでしょうか? 「不至之指」は『荘子』の雑篇<天下篇>にあり、僕が愛用する森三樹三郎訳注の中公文庫版では「物をさす指は、物の本質に到達することはできない」と訳されています。鯰に指などないのですから、これだけではどうしても鯰と結びつきません。

2026年10月13日火曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」5

 


A=口+号、B=卵+心という字ですが、さすがに『諸橋大漢和辞典』には載っています。Aはうつろで大きいさま、B子は肥えた人をいうとありますから、A然は瓢箪を、B子は鯰を暗示しているようです。そうすると「無用之用」は瓢箪と、「不至之指」は鯰と関係する言葉とみなくてはなりませんが、無用之用の解釈は簡単でしょう。


瓢箪は瓢箪そのものではなく、中の空洞にこそ存在意義があります。そこに水やお酒を入れられるからです。古くはお米も入れました。これをもっともストレートに教えてくれるのは『老子』の第11章です。小川環樹先生はその部分を「粘土(埴)をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある」と訳しています。瓢箪もこれとまったく同じですね。

2026年10月12日月曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」4


  さすが大典和尚、七言絶句にみえて七言絶句にあらず、ワードじゃ出てこない変な字を使っています。当然意味はサッパリ分からず、まったくお手上げでした。ところが出光論文により、芳澤勝弘さんが正しく解読していることを知ったのです。それを参照しながら例のごとく、マイ戯訳を作ってみました。けっきょく絶句というか、四行詩みたいになっちゃいましたが……。

 何来A然 触着B子 孰知無用之用 孰知不至之指 咦 千古万古漫相倚 


    鯰を丸い瓢箪で 捕らえることはできますか?

   無用の用の真の意味 誰一人として知りません

   指が本質 指せぬこと 誰一人として知りません

    (有用の無の意味もまた 誰一人として知りません)

   両者は仲良く昔から 補完関係 保ってる

    (だから最初の質問は 自体ハナからナンセンス)


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2026年10月11日日曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」3

  

 野口さんは『美術史家、大いに笑う』(2006年)というチョッと変わったタイトルの論文集に、「《如拙道人の筆に擬す》とは、これ如何――池大雅筆『柳下童子図屏風』序説」という興味深い論文を発表したんです。『美術史家、大いに笑う』とは、これ如何? 佐藤康宏さんが編集してくれた僕の大学退職記念献呈論文集です!! 僕は夏目漱石になったような気分です(!?)

 出光佐千子さんは10年ほどまえ『出光美術館研究紀要』21号に「池大雅における室町文化憧憬の一様相」という、これまた興味深い論文を発表しました。野口さんによって端緒が開かれた大雅と室町水墨画の関係から、大雅による翻案のアイディアと方法へ研究を進めたのです。両者から僕も多くを学びましたが、ここでは大雅「瓢鯰図」の画面左上の書かれた大典和尚の賛に注目してみたいと思います。

 

2026年10月10日土曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」2

 

  「僕の一点」は池大雅の「瓢鯰図ひょうねんず」ですね。チョッと文字はちがいますが、同じ主題を取り上げてチョー有名なのが、室町時代初期の画僧如拙が描いた国宝の「瓢鮎図ひょうねんず」です。


これは丸い瓢箪でヌルヌルしたナマズを押さえることが出来るかどうかという禅の公案、つまり参禅する者に出し座禅しながら考えさせる質問みたいなものです。しかしこの公案なるものが、現在も行なわれているのかどうか知りません。この公案が一般化して「瓢箪鯰」という一つの言葉になり、つかまえどころのないものを指すようになりました。画題としてよく知られるのは大津絵の「瓢箪鯰」です。


これら瓢箪鯰の伝統を自家薬籠中のものにして、大雅はこの「瓢鯰図」を描き出したのです。その事実を具体的に教えてくれたのは、「饒舌館長ブログ」に何度も登場してもらっている根津美術館の野口剛さんでした。


 

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」7

    しかし 大典和尚が この賛を書いたとき、頭にあったのは むしろ 如拙の「瓢鮎図」 だったのではないでしょうか? この国宝画をよく見てください。 瓢箪を持つ 乞食 僧が鯰を指差しているように 、少なくとも指を差し伸べているように 見える でしょう。 事実、島尾新さんは 著書...