朝日新聞のオピニオン欄に「フォーラム 優先席を考える」が連載中です。8年まえ僕もこの問題を沈思黙考、その結果を「饒舌館長ブログ」に連載したことがあります。朝日新聞の連載は3回のようですが、コチトラの連載はじつに26回です( ´艸`) おまとめ版にして再アップすることにしましょう。
優先席――悩ましい問題ですね。先日も『朝日新聞』の声欄に、フリーター・青戸晋(埼玉県 52)という方が、「仕事と通勤疲れで席譲れない?」と題して、次のような意見を寄せていました。そのままに再録してみましょう。
地下鉄の中で外国人が「日本人は高齢者に席を譲らない」と嫌悪感を表したという投稿「親切で優しい国の住民になろう」を読みました。
日本人が譲らないのにはいくつかの理由があると思います。一つは多くの人が長距離通勤であり、そんな余裕が無いことがあります。海外では想像がつかないかもしれませんが、席が空いていないような時間帯は、座れるのは運がいい時で、何十分も立ちっ放しのことが多いはずです。
もう一つは、今は高齢者といっても元気な人もいて様々です。明らかに立つのが苦痛な人以外は譲らないという考えの人が増えているのではないでしょうか。一方、杖をついているような人が乗り込んできた時は席を譲るでしょう。そうした人にさえ譲らないなら問題でしょうが、私はそんな場面に遭遇したことはほとんどありません。
日本は一見豊かなようでいて、長距離通勤、長時間労働に従事している人も多く、相対的には決して豊かとは言い難い国です。批判をする海外の人の多くは、こういったことを知らないのではないでしょうか。
最初に席を譲らない日本人を批判した外国の方と、それに異を唱えた青戸さんのどちらが正しいのでしょうか? おそらく、どちらも正しいのでしょう。あるいは、どちらも正しくないのかもしれません。だからこそ、ずいぶん以前から、しかも絶えることなく、優先席問題は論じ続けられているのだと思います。つまり、この問題に関して、絶対的な解決策など存在しないのではないでしょうか。
だからといって、ハナからあきらめてしまうんじゃ、能がありません。少しでも不満をもつ人が少なくなるように、少しでも多くの人の納得が得られるように、そして少しでも車内の雰囲気がよくなるように、僕なりに頭をひねってみました。いくつかの解決策が浮かんできたので、それをご披露することにしましょう。
なお、現在、優先席のステッカーには、「お年寄りの方」「からだの不自由な方」「内部障がいのある方」「乳幼児をお連れの方」「妊娠している方」と書いてあります。ここではこれらの方々を「生活弱者」とよぶことにしましょう。
第一案は、全座席を優先席にしてしまうものです。窓という窓に、「優先席」のステッカーを張っちゃうんです。席という席に、「優先席」と織り込んじゃうんです。つり革というつり革に、「優先席」のマークをつけちゃうんです。
やはり優先席というのは、現代生活を快適にするために、あるいは成熟した現代社会が獲得した優しさのシンボルとして、とくに少子高齢化という大問題に直面する我が国が率先垂範すべき、すばらしいアイデァですよね。だから、全座席を優先席にしちゃうんです。
僕はまだ若いつもりでいますが、優先席の前に立つと、ときどき席を譲られることがありました。見ていると、優先席の前に立った老人や赤ちゃんマークをつけた女性が、席を譲られることもあります。日本人もまだ捨てたもんじゃありません。
全部を優先席にすれば、当然のことながら、席を譲る人、譲られる生活弱者の数は、今より確実に増えるでしょう。もちろん、今と同じで、誰が前に立とうと譲らない人は譲らないと思います。しかし、現在でも譲る人がいるわけですから、全座席を優先席にしてしまえば、譲られる生活弱者の絶対数はきっと増えることになります。
現在、席を譲って欲しいなぁと思う生活弱者は、選んで「優先席」の前に立つわけですが、全座席を優先席にしてしまえば、もうどの席の前に立っても、期待される効果はまったく同じなのです。ホームで「優先席」のマークを探したり、車内を移動する必要は、まったくなくなります。
もちろん、優先席を今よりもう少し増やすという漸進案も考えられますが、そこまでやるなら思い切って、全座席を優先席にしてしまった方が、話も簡単でしょう。
もっとも、かつてどこかの私鉄で、「全座席優先席」を試みたけれども、かえって譲る人がいなくなってしまったので、間もなくやめてしまったと聞いたことがあるような気もしますが……。ただ、窓という窓に「優先席」のステッカーを貼るようなことまで、徹底的にやったかどうか、どなたかご存知の方がいらっしゃったら、どうぞご一報くださいませ。
第二案は、「優先席」を「特定席」に変えることです。現在の「優先席」は、老人、体の不自由な方、内部障碍のある方、乳幼児を連れている方、妊娠している方に、席を譲りましょう――というヒューマニズムを前提としています。
しかし、現代日本社会ではもうヒューマニズムなど、死語同然です。だからこそ道徳教育の必要を声高に叫ぶ人がいるのでしょうが、いい意味でも悪い意味でも、「上これを行なえば下従う」という格言が、思い出されないわけでありません。
それはともかく、ヒューマニズムといえば聞こえはいいのですが、「優先席」にはちょっと偽善的な匂いを嗅ぎ取る方もいらっしゃるでしょう。そもそもちゃんと実行されない「優先席」のうえ、偽善的だなどと疑われるようなら、もう止めてしまった方がいいのではないでしょうか。
しかし生活弱者はいつも存在し、少なくともわが国において老人はこれから確実に増えていきます。これはヒューマニズム以前の問題であって、生活弱者は必ず守られなければなりません。
そこで「特定席」です。明確に条件を示し、それ以外の人が座ってはならないと決め、先に述べたような窓、席、つり革に「特定席」と表示するのです。
その条件とは、老人は74歳以上、乳幼児は3歳以下(あるいは5歳以下でもいいかな?)、妊婦は5ヶ月以上、体の不自由な方や内部障碍のある方は、杖もしくは障碍者手帳をもつものと決めてしまうのです。
なぜ老人は74歳以上なのかって? もちろん僕がいま74歳だからですよ(笑)
第三案は第二案のバージョンアップ版です。つまり生活弱者特定席じゃなく、生活弱者特定車両を新設するのです。74歳以上・3歳以下・5ヶ月以上・杖手帳というのが特定席の条件でしたが、このような生活弱者しか乗ることができない特定車両に、1両か2両を指定するのです。
すでに「女性専用車両」がありますが、その生活弱者版です。女性専用車両には、車椅子の方およびその付き添い、小学生以下の子供も乗れることになっていますから、すでに特定車両は走っているわけです。ただ、女性専用車両はラッシュアワーに時間が限定されていますが、生活弱者特定車両には時間帯を設けず、いつも設置することとします。
特定席ですと、優先席と同じように、生活弱者以外が座っていて、対象者に席を譲らないことも充分予想されますが、特定車両にしてしまえば、生活弱者以外が乗り込むには、かなり心理的抵抗があるでしょう。
もっとも、女性専用車は逆差別であるという主張もあります。事実、あえて乗り込んで――任意乗車というそうですが――それを主張し、ニュース種になった男性もいらっしゃいます。女性専用車両でもこのような意見があるわけですから、生活弱者特定車両になったら、逆差別論はさらに強くなるかもしれません。
しかし、優先席問題に正邪善悪はなく、多数決もしくは多数決的ムードで決まっていくというのが、僕の考えであり、事実そうなっていると思います。改めて考えることにしますが、優先席付近では、混雑時、携帯電話の電源を切るという決まりも、多数決的ムードによって、まったく無視されているでしょう。
生活弱者特定車両は、電車を利用する人の半数以上から支持されるのではないでしょうか。女性専用車両の場合と同じく、あえて乗り込んで逆差別論を主張される方が出るかもしれませんが、多数決的ムードによって無視されるか、淘汰されていくことでしょう。
なお、優先席をバージョンアップして、生活弱者優先車両を設けるというのも考えられます。しかし、優先席でも守られないわけですから、大きな優先車両となったら、さらに効果はなくなるでしょう。車両ごと指定するなら、優先車両ではなく、特定車両にしちゃった方がいいのではないでしょうか。
第四案は、2等車の復活です。僕は子供のころ大森に住んでいましたが、京浜東北線にも2等車がありました。おそらく、そのほかの普通車両は3等車だったのでしょう。そこでネットで「京浜東北線」を検索すると、おもしろいことが分かりました。
京浜東北線――最初は「京浜線」と呼ばれていましたが、このラインが開通したのは1914年(大正3)のことでした。そのころ最も長い電車による運転区間だったこともあり、1両の半分が2等客室となった「2・3等合造車」が連結されていました。その後これが2等車に発展したようですが、1938年(昭和13)戦時輸送への移行にともなって、2等車も廃止されてしまいました。
1945年わが国が戦いに敗れ、進駐軍がやってくると進駐軍車両が設けられたらしいのですが、1949年には進駐軍車両の後部半室が婦人子供専用車となり、1951年にはこれを廃止して2等室となりました。翌1952年、正式に2等車を再設定しましたが、1957年には廃止されています。おそらく、経済発展を期すためには邪魔になったのでしょう。2等車を廃止して、そこにたくさん人間を詰め込んだ方が、効率的だったのです。
僕は1953年に大森から蒲田に引っ越しましたが、やはり蒲田駅は京浜東北線でしたから、5年ほどその2等車を見ていたことになります。もちろん乗った記憶はありませんが……。
この2等車を復活し、すべての電車と地下鉄に連結するのです。一種の「グリーン車」ですが、それと区別して「ブルー車」と呼んだらどうでしょうか。特定車両と同じく、1両か2両でいいでしょう。2等料金ですから200円がいいでしょう。
もちろん指定席ではありません。ときどき僕が使うJR湘南新宿ラインには、グリーン車がついていますが、指定席ではなく、グリーン券を買っても座れないことがあります。ブルー車もこれと似ていますが、グリーン車のように、乗車前にブルー券を買ったり、車内で求めたりすることは、現実的じゃありません。
車内にブルー料金箱を設けて、それにワンコインを入れるようにします。このようにかつての京浜東北線2等車を復活してブルー車と名づけるのですが、「生活弱者はこれを無料とする」とするところがミソです。
200円を払ってまでブルー車に乗ろうとする非生活弱者は少ないでしょうから、生活弱者が座れる確率は必ず高まります。また、200円を払ってブルー車に乗り着席した非生活弱者は、もちろん生活弱者に席を譲る必要もなく、「座ってちゃ悪いなぁ」というストレスから解放されることになります。
本来ヒューマニズムの問題を、お金で解決しようとするのがちょっと寂しいのですが、2等車の廃止が戦争のためであり、経済効率化のためであったことを考えれば、その復活は平和と人間らしい生活のシンボルともなるように思います。
第五案は、優先席を廃止して、すべて普通席にしちゃうことです。すでに書いたように、優先席が生活弱者のための席であるという建前が、完全には、あるいはほとんど守られていないという現実があります。
最初に掲げたフリーター・青戸晋さんの投書にあったように、現代日本社会では、長距離通勤・長時間労働のためみんなが疲れているという現実があり、高齢者といっても大変元気な方もいるわけで、優先席が守られないのも、致し方ないことかもしれません。
そもそも、電車の中では生活弱者にみずから席を譲るというのが真のヒューマニズムであって、麗々しく「優先席」を設けることには、偽善やヒポクリシーの臭いがないではありません。それだったら、思い切って優先席なんかやめちゃえというのが第五案です。
そういえば、優先席のことを昔はたしか「シルバーシート」と呼んでいたなぁと思って、ふたたびネットで検索してみたところ、これまたおもしろいことを教えられました。はじめて国鉄にシルバーシートが設けられたのは、1973年(昭和48)9月15日のことで、この日は当時の敬老の日にあたっていました。ということは、おもに高齢者を対象としていたわけです。
これを考案したのは、本社旅客局営業課長の須田寛という方でしたが、それはともかく、新幹線0系電車の座席に使うシルバーグレー色の予備布地を利用してシートを設定したところから、シルバーシートという名前になったそうです。
へぇ~そうだったのか!? てっきり僕は、老人の白髪をイメージして命名したものだとばかり思ってきました。電車の話だからというわけじゃありませんが、ちょっと脱線してしまいました(!?)
1990年代後半に入ると、シルバーシートの対象が高齢者や身体障碍者から、それ以外の生活弱者にも広げられ、やがて「優先席」とか「優先座席」と呼ばれるようになったそうです。つまり、1972年以前は優先席なんかなかったわけで、それで日本社会はうまく機能していたんです。
もっとも、機能しなくなったから、シルバーシートが考案されたのかもしれませんが、それ以前の優先席なんかなかった時代にもどして、日本人のやさしい心?にすべてを委ねようというのが第五案です。
なまじ優先席なんかあるから、それ以外の席に座っている非生活弱者が、生活弱者に席を譲らないのだとも考えられるでしょう。なまじ優先席なんかあるから、そこで仲良くしている若い男女がいると、譲られることを期待してその前に立った僕がイライラするのであって、優先席さえがなければ、イライラなんかするはずもありません。
いや、イライラするのは席を譲られなかったことに対してではなく、仲良くしていることに対してかな(!?) いずれにせよ、もう一度、優先席のないヒューマニスティックな電車に戻してみたらどうでしょうか。
優先席問題を論じると、必ず矢面に立たされるのは若者です。若いくせに優先席に陣取りスマホゲームに興じ、マンガを読みふけっている。若者同士でおしゃべりに余念がない。若い女性だとお化粧に一心不乱のもいる。そして生活弱者がいても、席を譲ろうとしない。ひどいのになると、老人が乗り込んでくると急に狸寝入りを決め込むヤツもいる。一体全体、いまの若者の道徳心はどうなっているのだ――というわけです。
しかし落ち着いて考えてみると、いまの若者は可愛そうです。生れ落ちると同時に日本経済は右肩下がりで、歯牙にもかけなかった中国にGDPで追い抜かれ、将来への展望がまったく開けません。それにしたがって、非正規雇用や時間労働が増え、まともな人生設計を描くことができません。ようやく正規雇用の職を得たと思えば、ブラック企業で死ぬまで働かされます。新聞を開けば、そんな記事であふれています。
人文科学の分野でも同様で、博士号まで取ったものの正規の職がなく、いくつも非常勤講師を掛け持ちしながら、何とかやっているという研究者が少なくありません。正規の職も期限付きだったりします。これまた新聞によると、人文科学だけじゃなく、理工系でも同じような状況のようですね。
もちろんこれは、いまの若者がやる気を欠いているためでも、怠惰なためでも、計画性をもたないためでもありません。すべて社会が悪いのであり、世間が冷たく悪意に満ちているからです。さくらと一郎も、♪貧しさに負けた いえ 世間に負けた♪ ♪世間の風の 冷たさに こみあげる涙♪と歌っているじゃありませんか(!?) したがって、♪幸せなんて 望まぬが 人並みでいたい♪ということになるのです。
この山田孝雄・むつひろしの名曲「昭和枯れすすき」は、僕がもっている『あのうた このうた 2222曲 1998年版』――サトウサンペイが表紙を明るく飾るソングブックによると、1974年のコピーライトがついています。あの経済高度成長時代にも社会には問題があり、世間は冷たかったわけですが、現在はその比じゃありません。とくに若者に対しては厳しく、冷淡です。
しかし、こういう日本にしてしまった責任は、僕のような老人世代にあるんです。高齢者が自分たちの利益ばかりを主張するシルバー民主主義のせいなんです。それを真剣に阻止しようともしなかった僕にトガがあるんです。いまの若者に非がないことは、改めて指摘するまでもありません。そう思うと、老人の一人として、土下座でも何でもして若者に謝らなければならないという気持ちになりますが、謝ったところでどうなるものでもありません。
そこで第六案です。お詫びのしるしに「若者優先席」を設置するのです。いまの優先席は生活弱者を対象としていますが、若者が優先的に座れる席を作るのです。それによって僕ら老人世代の犯した罪を、少しでも若者から許してもらうのです。疲れきっている若者に少しでも体を休めてもらい、明日への鋭気を養っていただくのです。
「若者優先席」――すばらしい逆転の発想ではありませんか。そこに座っている老人に向かって若者が、「ちょっとすみませんが、そこ優先席なんで、譲ってもらえますか」と声がけするなんて、じつに愉快じゃありませんか。
以前読んだ新聞には、「オイ ここは優先席なんだから、老人には席を譲れ!」と若者を恫喝した暴走老人の話が出ていましたから、「オイ ここは優先席なんだから、若者には席を譲れ!」と僕が恫喝されたとしても、文句はいえた義理じゃないですよね。
いまの日本人は優先席もちゃんと守れないわけですから、若者優先席も無視して座る老人がたくさんいるにちがいありません。その場合は、これを「若者特定席」にバージョンアップしたらどうでしょうか(!?)
若者優先席で若者問題は解決することになりますが、サラリーマンを中心とする長距離通勤・長時間労働の方々はどうなるのでしょうか。青戸さんが指摘するように、これらのなかには、元気な高齢者よりずっと疲れてしまっていて、どうしても座りたい、あるいは座らざるを得ないという方々も少なくないでしょう。これを解決するためには、やはりサラリーマン優先席を設けなければなりません。これが第七案となります。
しかし大都市では、電車を利用するサラリーマンが大多数でしょう。とくに朝夕のラッシュアワーは、サラリーマンが大半を占めることになりますから、全座席をサラリーマン優先席にしたとしても、絶対的に数が不足することになります。やはり、一部の席しかサラリーマン優先席に回すことはできません。
そこで、サラリーマン優先席に座りたいサラリーマンは、「疲れてます」という疲れマークを胸につけるのです。いまのマタニティマークは、どなたが考えたものか知りませんが、すばらしいデザインだと思います。これを凌駕するような疲れマークを、広く公募したらどうでしょうか。いや、疲れる→憑かれる→狐に憑かれるというのは、だれでも思いつく連想ですから、キツネのマスコット人形もいいじゃありませんか。
メンツにかけて、そんなもんつけるかというサラリーマンも少なくないと思いますが、いまの優先席に堂々と座っている方もいらっしゃるようですから、きっとつけていただけるサラリーマンも現われるのではないでしょうか。
サラリーマン優先席が必要なら、当然OL優先席もあってしかるべきでしょう。専業主婦やアルバイトをしている主婦や中年女性だって苦労が多く、多くの方が疲れきっていらっしゃいますから、「オバチャン優先席」も必須でしょう。
先に「若者優先席」を提案しましたが、若者のなかでも、とくに学生さんは勉学やクラブ活動、あるいは仲間とのSNSやゲームで疲れきっている人がたくさんいるわけですから、「学生優先席」も考えなければなりません。サラリーマンでもとくに中間管理職が大変だそうですから、「中間管理職優先席」も希望が出るかもしれません。
かくして通常の「優先席」に加えて、「若者優先席」「サラリーマン優先席」「中間管理職優先席」「OL優先席」「オバチャン優先席」「学生優先席」が設置されることになります。
そのころには、学校の先生をはじめ、お医者さんや弁護士さん、運転手さんを雇えない議員さんからも、こう見えて私たちだって大変で疲れてんだ、優先席を作ってほしいという声が大きくなり、それぞれの優先席が設けられ、やがて電車は優先席だらけになっちゃいます。
もちろん疲れマークや疲れマスコットと同じように、それぞれのを考案して、胸やカバンにつけることにします。かくして、世の中全体が胸マークやマスコットで満ちあふれ、大人社会が子供社会のようになります。両者の垣根は取り払われ、すばらしいユートピアが現代日本に出現するのではないでしょうか。優先席問題から発して、トーマス・モアの思想がついに実現されることになります。
以上まとめて第八案ですが、もうそうなると、当然「その他の優先席」が必要になってきます。この人たちも「その他です」と優先権を明示する必要があるわけですから、ついに国民全員が胸マークやマスコットをつけるという、明るく楽しい日本国になるのです(!?)
もう一つ、優先席問題を取り上げると、必ず出てくるのが「拒否」の問題です。優先席だったか、普通席だったか、若者が立ち上がって老人に席を譲ったところ、「俺はまだそんな歳じゃない!!」と逆に怒られたという投書を読んだことがあります。
いまは僕も譲られる側ですが、若いころは席を譲ったこともあります。さすがにどやされた経験はありませんが、「いえいえ、結構です」「すぐ降りますから」といって好意を無視したり、「ありがとう」というものの座ろうとしない老人は確かにいました。
そのときの居たたまれない気持ちといえば大袈裟ですが、バツの悪さといったら、例えようがありません。周りの人がみんな、僕の偽善を見透かして、せせら笑っているように感じられてくるのです。もちろん、「何という親切な青年なんだろう。ぜひ娘の婿にしたい」と感嘆してほしかったわけじゃありませんが、まったく逆の結果になるのです。
それから僕は、生活弱者が近くに来ると、何もいわないでスッと席を立つことにしました。そのあと、その方が座ろうと座るまいと、あの気恥ずかしさからは逃れることができるからです。
何十年も経って、席を譲られたときは、「ありがとう」といって必ず好意に甘えることにしました。同時に、老人が譲られた席を辞退するのは、大して深い意味があるわけじゃなく、人の好意は一応遠慮するという日本人の習慣によるところだと理解するようになりました。
普通の生活では、「まぁ そうおっしゃらずに……」と続くわけですが、車内でそこまで踏み込む人はいないので、そこで会話が途切れ、あのバツの悪い瞬間が生まれるのでしょう。
しかし、このようなことがよく分からない若者は、純粋な気持ちから老人に席を譲り、断られてちょっと心が折れ、必ず老人不信に陥ってしまうでしょう。それでなくても、年金問題に端を発する老若バトルが起こっているわけですから、その解決がさらに難しくなってしまうでしょう。
そこで第九案です。席を譲って欲しくない高齢者、席を拒否する生活弱者は、「無席」というマークを見やすい胸につけるのです。「無席で結構」というわけです。こうすれば、生活弱者に席を譲った非生活弱者が、不愉快な思いをすることは絶えてなくなります。そんな出来そうもない提案なんて、「無席」じゃなくて「無責任」だという声が聞こえてきそうですが(!?)
ちなみに、孫文を尊敬する僕は、その三民主義にならって、三無主義をとなえてきました。三つのものは絶対もたないという主義です。その三つとは、クルマとケータイと愛人です(!?)
以上、優先席問題の解決に向けて、第九案までをお示ししてきましたが、いずれも「言うに易く行なうに難し」の典型みたいなものです。第四案も、かつてどこかの私鉄でやったことがあるらしいと書いたところ、フェイスブック・フレンドの中村祐貴さんから、それは阪急電鉄であることを教えてもらいました。しかし、結局これもうまくいかなかったそうです。
そこで僕が実行しているのが、携帯イスを持ち歩くことです。第九案までに内包されていた問題が、一挙に解決されることになります。これが最後の第十案です。携帯イスをつねにナップザックに入れておいて、席がなかったら、端っこの方へ行ってさっと取り出し、座っちゃうんです。バギー・スペースもねらい目です。つねに「指定席」を持ち歩いているようなものです(⁉)
もちろん、混んでいるときはやりませんが、徐々に混んできたときは、こっちにゃネイティヴと同じように先住権があるんだと、座り続けることもあります。皆様お許しくださいませ。
携帯イスを使えば、どんなに疲れているときでも、混雑時を除いての話ですが――席を確保することができます。何しろ「指定席」なんですから。それだけじゃありません。僕が座ったかもしれない優先席を、ほかの生活弱者に、あるいは疲れきっている若者に使ってもらうことができます。これは大きな社会貢献だといってもいいでしょう(!?)
「譲らないとわるいかな」というストレスから、若者を解放してあげることにもなりますし、僕の汚いズボンで、優先席をよごさないで済みます。
かつて使っていたスケッチ旅行用の携帯イスは、618gもありましたが、今のは423gしかありません。しかも100円ショップ商品です。軽くなっているとはいっても、大きな本1冊分くらいはあるわけですが、運搬の辛労辛苦より、僕は「指定席」の安易安楽を選択したいのです。もっとも、ガラガラのときは優先席か普通席に座るわけですから、クタビレモウケということになっちゃうのですが(!?)








