このように僕が考える理由は、昭和11年に描かれた「冬嶺松秀」(山種美術館蔵)という作品があるからです。両者を比べてみると、「朝晴」は「冬嶺松秀」をもとにした作品であることが一目瞭然です。しかしその画面感情は何と異なっていることでしょうか。「冬嶺松秀」はどこか明るく伸び伸びとしており、林の間を抜けていく馬と人は、大地によってしっかりと支えられています。ほかの玉堂作品と共通する、日本人の心をいやす抒情やおだやかな郷愁に満ちています。
饒舌館長
祝 100万アクセス突破❣❣❣
2026年6月3日水曜日
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」5
2026年6月2日火曜日
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」4
「僕の一点」は「朝晴」ですね。終戦後の昭和21年1946、文展が「日展」と改められふたたびスタートを切りました。その第1回日展で玉堂は審査員をつとめるとともに、この「朝晴」を出品したのです。
葉を打ち落とした落葉樹と、緑をたたえる松の向こうに尾根が続いています。そこを人や荷物を乗せた馬が3匹、馬子に引かれて歩いています。尾根は細く狭く、油断をすると人馬もろとも転げ落ちそうです。危険な尾根伝いです。季節は晩冬から早春のころ、その尾根の向こうには、白雪をいただく山が美しく気高い姿を見せています。
ここに僕は、これから日本が進まなければならない、険しい道を表象させようとした玉堂の意図を読み取りたい誘惑に駆られるのです。玉堂の覚悟といってもよいでしょう。それは苦難の道にちがいありませんが、その先には白く輝く高き嶺が待っているのです。
2026年6月1日月曜日
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」3
日本の山河をこよなく愛した玉堂は、四季の自然や田園風景とそこに暮らす人々を情感豊かに描きました。 玉堂による古き良き日本の原風景ともいうべき世界は、見る者の郷愁を誘い、日本の自然の素晴らしさを改めて気づかせてくれます。
本展では、初期の代表作である《鵜飼》など明治期の作品から、琳派研究を通じて誕生した大正期の《紅白梅》 (玉堂美術館)、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した玉堂芸術の真骨頂ともいえる《春風春水》や《早乙女》、戦後の第一回日展に出品された《朝晴》まで、名作の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。
2026年5月31日日曜日
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」2
山種美術館は一九六六 (昭和四十一)年、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館し、本年六十周年を迎えます。それを記念する特別展第一弾として、日本画家・川合玉堂(一八七三~一九五七)の画業を振り返る展覧会を開催します。
当館創立者の山﨑種二(一八九三~一九八三)は、多くの画家と直接交流しながら作品を蒐集しました。玉堂の作品だけでなくその人柄にも惹かれていた種二は、しばしば玉堂邸を訪れるほどの間柄でした。その縁から当館の所蔵となった玉堂作品は七十一点を数え、コレクションの中で重要な位置を占めています。
玉堂は、円山・四条派の基礎の上に狩野派の様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓きました。また、東京画壇における中心的な役割を果たし、一九四〇(昭和十五)年には文化勲章を受章しています。
2026年5月30日土曜日
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」1
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」<7月26日まで>
僕の大好きな川合玉堂の特別展が山種美術館で開かれています。昭和41年1966開館した山種美術館が今年還暦を迎えましたので、それを記念するプロジェクトでもあります。関連イベントとして、今日5月30日(土)國學院大學院友会館にて、「川合玉堂そのなつかしさ 饒舌館長ベストテン」と題する口演をさせてもらうことになっています。
2013年、同じく山種美術館で玉堂生誕100年を記念する特別展が開かれました。このときも口演をさせてもらいました。いや、そのころはまだ講演だったかもしれませんが( ´艸`)、玉堂における写生とイマジネーションについてお話したように思います。
しかし今回は、マイベストテンを通して僕の玉堂観を、アリテイにいえば妄想と暴走を吐露したいと思っています。来月にはNHK青山文化講座「魅惑の日本美術展」でも取り上げる予定です。まずはカタログ巻頭の「ごあいさつ」によって、展覧会の趣旨を知ることにしましょう。
2026年5月29日金曜日
7日間ブックカバーチャレンジ21 竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』
竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』中央公論美術出版 2026年
最近読んでおもしろかった美術書を「7日間ブックカバーチャレンジ」に取り上げてきたら、みんな著者が女性になってしまいました。チョッと口惜しいので( ´艸`)、7冊目は男性による美術書を選ぶことにしましょう。男性といっても編者で、論文執筆者には4人も女性が含まれているのですが……。
かつて7日間ブックカバーチャレンジで取り上げた『松竹梅の美術史』に続く第2弾です。はじめて僕が雲龍図を扱ったのは、半世紀以上まえ「探幽筆日光東照宮陽明門雲龍図天井画について」という拙文を『美術研究』に寄稿したときでした。
しかし本書のコシマキにある「東洋のイマジネーション」という視点を欠いていました。その後もこれを深く考える機会はありませんでした。何か龍について書くときは、金井紫雲の『東洋画題綜覧』でお茶を濁していましたが、これからは必ず『龍の美術史』をひもとくことにしたいと思います。なお本書の出版もまた鹿島美術財団の助成によるところです。
『唐詩選』に選ばれる杜甫の五言律詩「禹廟」に、龍の障壁画が詠まれていることを思い出しました。またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。四川省忠州にも禹廟――夏王朝の始祖とたたえられる聖天子の禹を祀った廟がありました。765年、揚子江を船で下る流浪の旅に出た杜甫が、この禹廟に立ち寄って詠んだ一首だそうです。杜甫は「龍蛇」としていますが、「青龍・玄武」と訳してみました。
夏かの禹うの廟びょうは人気ひとけなき 山の真中まなかに鎮しずまりて
秋風 吹いて夕日影 今しも斜めに射している
その庭前は荒れ果てて 柑橘かんきつの木に実が熟れて
古びた廟の障壁に 青龍・玄武が描かれる
長江 望む絶壁に 雲がモクモク湧き起こり
その下 流れる水の音ねも 走り去ってく砂の上
四種の乗り物 禹が駆使し 治水工事で三巴から
長江の水 引いた苦労――いま廟前に偲しのんでる
2026年5月28日木曜日
7日間ブックカバーチャレンジ20 児玉絵里子『歌謡と芸態 在原業平の表象』
児玉絵里子『歌謡と芸態 在原業平の表象』 勉誠社 2026年
児玉絵里子さんは芸能と文学と美術の抜き差しならぬ関係を追究してきた研究者です。そこに日本文化の基層ともいうべき、琉球文化という視点を導入した点がとてもユニークです。木村重信先生が主宰する民族芸術学会で、初めてお会いしたのは20年ほどまえでしょうか。
それ以来児玉さんの研究からは多くの刺激を受けてきました。このたび児玉さんは京都美術工芸大学に着任されましたが、僕も3年間大変お世話になった大学です。何か縁を感じないではいられません。新著『歌謡と芸態 在原業平の表象』は、歌謡と芸態という観点から本質を問おうとする意欲作です。その研究成果を、児玉さんはつぎのように述べています。
踊歌(歌謡)が備える物語性は、「芸態」すなわち芸能の身体的動作(所作・振り・型) を芸術に昇華させる根本的要素にほかならない。踊歌(歌謡)と芸態の考察は芸能の生 成過程を明らかにする重要な「鍵」だが、両者に照明を当てることで浮かぶ表象の姿こそ、日本文化を貫く日本人の思想にほかならない。それは、業平と『伊勢物語』が 「芸能の表象」となり、やがて寺社仏閣に近しく栄えた芸能本来の呪術的性格を伴って、人々に幸福をもたらす厄除開運の像として信仰にも近い「希望と祈りの表象」となっ たことを物語る。
美術史を専門とする僕は、第2章「歌謡と芸能踊衣裳――若衆歌舞伎と歌舞伎の意匠 ゆきのふりそでちらちらと」にもっとも興味を覚えました。若衆歌舞伎とその代表的な踊り歌を集めた「業平躍」などとの関係はすでに指摘されてきました。
しかし児玉さんは、「踊り絵巻」(奈良県立美術館蔵)にみられる若衆踊りの詞章と挿絵の衣裳模様から考察を広げ、雪輪(雪)というキーイメージを抽出し、それを『伊勢物語』や在原業平伝説と結びつけて読み解いたのです。
若衆歌舞伎と業平の関係で思い出すのは、2005年『芸術新潮』で「光琳の七不思議」という特集を監修したとき、丹尾安典さんと行なった対談ですね。丹尾さんによると、『古今和歌集』に詠み人しらずとして、「思ひいづるときはの山のいはつづじ言はねばこそあれ恋しきものを」という一首が収められています。
ところが男色世界では、弘法大師の実弟である真雅僧正が、少年の在原業平に恋焦がれて詠んだ恋歌ということになっているそうです。こんなところにも、若衆歌舞伎と業平が結びつく原因があったのかな? あるいは両者が結びついていたからこそ、真雅の逸話が生まれたのかな?
じつは僕も「寛文美人試論」という、文字通りの拙文を書いたことがあるんです。しかし児玉さんの研究を知った今なら、もうチョッとおもしろく仕立てることができるような気がします。気がするだけかな(笑) また雪を花にたとえる和歌がたくさんあることを教えてもらい、漢詩だけじゃなく、和歌からも改めて蕪村の「夜色楼台図」を考えてみたいと誘惑されたことでした。
山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」5
このような決して平坦ではない道――それは日本の歩むべき道であり、また玉堂みずからがたどらなければならない道であったはずです。第1回日展の審査員に選ばれた玉堂 でしたが、その時代を考えれば、その栄光に酔っている暇など一瞬たりともなかったでしょう。 このように僕が考える理由は...
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