2026年3月30日月曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 5

 


「猩々」で用いられる専用面「猩々」童顔です。蘆雪描くところの猩々もかわいい子供ですねこれまでよく知られてきた作品に、英一蝶の孫弟子にあたる高嵩谷の作品がありますが、これも同様です。だからこそ江戸中期には、猩々小僧というカラクリが流行ったしょうこれらは日本人の子供聖性観と、密接に結びついているようです

 

しかし蘆雪はただ可愛らしい猩々を描いたのではありません。能謡曲の「猩々」をイメージしていたはずです「猩々」は半能形式の能謡曲ですので、全部をここに引用しても大した行数にはなりませんが『能・狂言事典』(平凡社 1987年)に「猩々」を求めてみましょう。 

2026年3月29日日曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 4

 


もっとも『和漢三才図会』の猩々とはずいぶん異なっていますいろなイメージがあっただと思いますが、ともかくも中国で考え出された怪獣の一つ猩々です。しかしこれが日本に伝わってくると、赤い長髪のかわいい子供にイメチェンしちゃったです 


それは菊慈童とのフュージョンが起こったためだと思います菊慈童は不老不死になるという菊の露からお酒と結びついていたので、お酒の好きな猩々と結びつきやすかったのでしょう。能謡曲「猩々」の地謡じうたいに「理りや白菊の きせ綿を暖めて 酒をいざや掬まうよ」とあります。 


これは9月9日の重陽をたたえていますが、このお節句と菊慈童は付き物で、菊慈童のお人形を飾って言祝いだのですもちろん男たちは人形より菊酒だったでしょうが(笑)、猩々と菊慈童はお酒を仲立ちにして混淆しやすかった 

2026年3月28日土曜日

松坂屋上野店「田渕俊夫 日本画展――永遠の刻」

 


松坂屋上野店「田渕俊夫 日本画展――永遠の刻」<3月31日まで>  


 田渕俊夫さんは現代を代表する日本画家、僕の大好きなアーティストです。一昨年、文化勲章を受章されましたが、当然のことです。いや、もっと早く受賞されて当然でした。平山郁夫先生に学んでみずから拓いた、えもいわれぬ詩情に早くから惹かれるものがありました 


直接お会いしたのはチョッとお手伝いしていた前田青邨顕彰・中村の授賞式においてでした。日本美術院理事長として出席してご挨拶をいただいたからです。「この中村賞は美術史研究者による厳正中立な賞であり、いっさいソンタクのない最高の賞です」と、この賞の意義と価値をたたえていただきました。そのころ流行っていた「ソンタク」という言葉を巧みに織り込んだユーモアあふれるご挨拶に、受賞者はもちろん、我々の緊張も解けて、和気藹々たるすばらしい授賞式になったことを思い出します。

 

今回の個展「永遠の刻」について、田渕さんは「……2センチほどの小さな蝶が涼しくなりかけた風に乗って舞っている姿を見かけると、無性に愛おしく感じてしまいます。この小さな命をいつまでも見守っていける世界になってほしいものです。そんな思いを込めて私なりの表現で絵にしてみました」と述べています。 


「僕の一点」は、竹林の光と影を斬新な水墨画技法で大胆に表現した「夕べの詩」ですね。これまで見たことのない幻想的な此君の林が、10号という大きくはない画面のなかで確かに呱々の声をあげています。

 

 この「永遠の刻」は今月末日までですので、<饒舌館長VS生成AI!! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論>を1回お休みにしてアップしましたが、また明日から再開します!! 

2026年3月27日金曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 3

 


 「僕の一点」は「猩々図」(個人蔵)ですね。先のカタログブックでは、第Ⅱ章<蘆雪が表現したもの>の「ファンタスティック」に入っています。確かにファンタスティックです!! はじめて観る蘆雪の優品です。チョット見では、猩々が変な容器のなかで楽しそうに踊っているだけです。しかし高尚な芸能である能謡曲の「猩々」を、日常的金魚玉にやつした見立て絵だというのがマイ独断と偏見です。


  猩々を『広辞苑』に求めると、「中国で、想像上の怪獣。体は狗や猿の如く、声は小児の如く、毛は長く朱紅色で、面貌人に類し、よく人語を解し、酒を好む」とあります。これだけぁ~よく解りませんが、家蔵する『山海経図鑑』(台湾・大塊文化出版 2017年)という本には図が載っています。本書では「狌狌」と書かれていますが、もちろん簡体字ではなく、狌はの異体字です。

2026年3月26日木曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 2

  

 金子さんが編集したカタログブック『長沢蘆雪』(東京美術)のコシマキには、「かわいい、だけでいい。」とありま。これ本展のキーワードですが、その「まえがき」は以下のようにきわめてアカデミックです。 

長沢蘆雪(一七五四九九)は、江戸時代中期の京の画家です。二〇代の頃に円山応挙に学んだことから、明治時代以降、美術史の上では、円山派の優れた画家であると説明されきました。正確には、応挙風という範疇に収まらない個性的な作品を描いたことについても取り上げられてはいましたが、その「はみ出した」部分の評価は、芳しいものではではありませんでした。静謐なものや深淵なもの、調和のとれたものに大きな価値を認めるような、かつての価値観のもとでは無理もないことです。 


ところが、一九七〇年に出版された辻惟雄氏の『奇想の系譜』(美術出版社)を機に、蘆雪の奔放さや奇抜さ、ダイナミッ クな造形が脚光を浴びるようになり、応挙の型を破った個性的画家として注目されるようになりました。同時に人間性にも興味が持たれ、大正時代に美術史家の相見香雨氏が聞き書きした、出生や死に関する話題や、応挙に四度も破門されたといった話が、真偽は定かでないとされながらも常に取り上げられ、「奇想の画家」としての蘆雪像を彩ってきました。 


そして二一世紀。新たに脚光を浴びたのが、「かわいいもの描き」としての蘆雪です。日本美術のかわいいものが再評価されたのと同時に蘆雪人気が高まった、というよりも、蘆雪は「かわいい日本美術」の再評価を牽引した張本人の一人です。 


子犬や雀やさまざまな動物、子供たちなど、蘆雪がいかに目の前の命の営みに心を寄せて、それを一幅の絵画に表そうとしたかは、作品とじっくり向き合い、絵の中の命が発する声を聞けば痛いほど感じられるでしょう。 蘆雪がそんな絵を描いてくれたおかげで、当時の人々も、そして私たちも、蘆雪と愛おしいものを共有することができるのです。 蘆雪という画家のイメージは時代によって変わりましたが、円山派の蘆雪も、奇想の画家の蘆雪も、そしてかわいいもの描きの蘆雪も、どれもがその時代の人々にとっての蘆雪です。

2026年3月25日水曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 1

府中市美術館「春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪」<5月10日まで>   

 待ちに待った東京初開催の長沢蘆雪独展が、府中市美術館で始まりました。府中市美術館にこの人ありと謳われる金子信久さんのキューレーションです。ワクワクしながら、初日オープンの10時前に逗子から駆けつければ、ザット500人以上の行列です――フェリッシモの限定子犬マスコット目当ての方も少なくなかったようですが(笑)

 

 先日NHK青山文化講座「魅惑の日本美術展 必見ベスト6だ!!」で当然取り上げましたが、拝見した直後だったのでいつもより熱がこもったトークになったかな? 今回の「饒舌館長ブログ」では、タイトルにあるごとく生成AIのガセネタにだまされて、役に立たない12000円の古本を買いそうになった顛末を饒舌することにしましょう。チョッとは江戸絵画史の勉強にもなるかな?? 

2026年3月24日火曜日

今や北斎・広重とともに「風景版画の3H」とたたえられる川瀬巴水を中心とする新版画展が三菱一号館美術館で開催中です!! 21

 


 勿論、今日より見れば若干の誤膠あるやも計り難からん。併し、試みに思え其の著述年代を。前者は大正三年、後者は昭和六年の發版にして、我國浮世繪研究の草創期に當れり。而も、風景版畫若しくは末期浮世繪の眞美に着目したるは、殆ど氏を以て嚆矢とす。縦令、纔かの誤認あると雖も、畢竟夫は瑕瑾と云うも酷なるべし。余は此等に待峙せるとき、常に我が貧困なる審美眼に忸怩たるものあり。我が文章の拙劣、無味乾燥、慚愧に堪えざるものあり。 

余は兩書と邂逅する以前に於て、小島烏水氏の名を聞き及べり。其の所以は、我が父大學時代山岳部に所属し、山男を以て自認せり。輙書架に數十册の山岳書を蔵して、余の高校時代より讀まんことを強要す。取分、烏水氏の『日本アルプス』は必讀の推薦圖書なり。然りと雖も、余は唯地殻の高き箇所に、艱難辛苦して登攀することの欣快聊も理解し得ず、大下藤次郎畫伯の秀麗なる挿繪と、著者の姓名とを胸底に留むる耳にて止みぬ。 


ヤジ「こういうのを衒学趣味ペダンチズムというだ。『國華』で正字に固執し常用漢字に反対したそうだが、単なる衒学趣味にすぎなかったんだな!!」 

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 5

  能 の 「猩々」で用いられる 専用面 の 「猩々」 も 童顔です。 蘆雪描くところの 猩々 もかわいい子供ですね 。 これまでよく知られてきた作品に、英一蝶の孫弟子にあたる高嵩谷の作品がありま すが、これも同様です。 だからこそ江戸中期には、猩々小僧というカラクリが流行った ...