2026年4月2日木曜日

饒舌館長も出品した「第14回横浜開港アンデパンダン展」が横浜市民ギャラリーで開催中 !!

 

 いよいよ僕も美術史家じゃなく、美術家になっちゃいました!! 去年に続いて「横浜開港アンデパンダン展」に出品したからです。東海大学講師をつとめていたときの学生に古川巧君がいます。コンテンポラリー・アーティストとして活躍してきた古川君は、本アンデパンダン展の実行委員長もつとめてきました。 


去年「先生の年賀状はすばらしいから、ぜひ出してくださいよ」とおだてられ、50年間自刻自摺で作り続けたモノクロ年賀状からベストテンを選んで、厚かましくも出品しちゃったんです。

 

やってみると精神衛生上とてもいいことが分かったので、今年はこちらから売り込んじゃったです( ´艸`) 畏友・大高保二郎さんから激賞(!?)された今年の「根来湯桶」を含めて10点を新たに選びました。去年に続いて一番いい壁面に優遇してもらいましたが、古川君のソンタクがあったのかな?? 会期は4月6日(月)までです。ヒマな方は、いや、お時間のある方は是非ご来駕のほどを!!  いつも人の絵を批評していますが、今回は皆さんの批評をお待ちしております❣❣❣

 

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 3

 


前年の1982年、生まれてはじめて僕は、国際シンポジウムなるものに参加して拙い発表を行ないました。ボストン美術館日本ウィング完成記念国際シンポジウムですが、たくさんの日本人研究者と一緒に参加したのでまるで団体旅行のような感じでした。 


しかし2回目の今回は、日本人の発表者が少なく、心細いことこの上なかったです。そんな僕をギッターさんはとても親切に迎えて下さいました。英語たどたどしいも、不安を覚えることは絶えてありませんでした。

 

恥ずかしい内容でしたが、お陰で発表を無事終えることができました。そのあとでギッターさんにほめていただいたことが、どんなにうれしかったことでしょう。日本美術史研究者として、国外に出ても何とかやっていけそうな自信がチョッと芽生えたのも、ひとえにギッターさんの温かい思いやりによるところでした。 

2026年4月1日水曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 2

 

 

 カート・ギッター博士がお亡くなりになったのは3月25日享年89でした。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます。ギッターさんは世界的に有名な眼科の博士でした。ですからギッター博士とか、ギッター先生とするのが礼儀だと思いますが、ここでは親しみを込め、これまでどおりギッターさんと呼ばせていただきたいと存じます。 


 はじめてギッターさんにお会いしたのは、1983年のことでした。その晩秋、ニューオーリンズ美術館でギッターさんの日本絵画コレクション展「ミリヤッド・オブ・オータム・リーブス」<錦秋万葉>が開かれました。それを記念して企画された国際シンポジウムに、ギッターさんは僕を招いてくださったのです。そこでの発表も依頼された僕は、俵屋宗達の構図をテーマにその独自性と同時代性についてしゃべることにしました。

 


2026年3月31日火曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 1

  



府中市美術館「長沢蘆雪」展紹介を続けているところですが、悲しいことに、僕の敬愛する畏友であり、偉大な日本美術コレクターであるカート・ギッター博士の訃報をお伝えしなければなりません。博士とつなぐ思い出を、ここに緊急連載としてつづらせていただきたいと存じます 


もちろんギッター・コレクションには話題の蘆雪画も少なからず含まれていました。そのうちの「僕の一点」は「鵜飼図小襖」ですね。鬼面人を驚かすような大襖とは異なる、蘆雪の抒情的美意識を示して、見るものをしみじみと魅了します 


いまごろ天上で博士は、この優作をスマホ画面に映しながら、蘆雪と親しく語り合っているのではないでしょうか。ここに敢えてスマホを出したのには訳があります。僕が生まれてはじめてスマホなる文明の利器を知ったのは、ギッター博士のスマホを触らせてもらったときだったからです。  

2026年3月30日月曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 5

 


「猩々」で用いられる専用面「猩々」童顔です。蘆雪描くところの猩々もかわいい子供ですねこれまでよく知られてきた作品に、英一蝶の孫弟子にあたる高嵩谷の作品がありますが、これも同様です。だからこそ江戸中期には、猩々小僧というカラクリが流行ったしょうこれらは日本人の子供聖性観と、密接に結びついているようです

 

しかし蘆雪はただ可愛らしい猩々を描いたのではありません。能謡曲の「猩々」をイメージしていたはずです「猩々」は半能形式の能謡曲ですので、全部をここに引用しても大した行数にはなりませんが『能・狂言事典』(平凡社 1987年)に「猩々」を求めてみましょう。 

2026年3月29日日曜日

饒舌館長VS生成AI !! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論 4

 


もっとも『和漢三才図会』の猩々とはずいぶん異なっていますいろなイメージがあっただと思いますが、ともかくも中国で考え出された怪獣の一つ猩々です。しかしこれが日本に伝わってくると、赤い長髪のかわいい子供にイメチェンしちゃったです 


それは菊慈童とのフュージョンが起こったためだと思います菊慈童は不老不死になるという菊の露からお酒と結びついていたので、お酒の好きな猩々と結びつきやすかったのでしょう。能謡曲「猩々」の地謡じうたいに「理りや白菊の きせ綿を暖めて 酒をいざや掬まうよ」とあります。 


これは9月9日の重陽をたたえていますが、このお節句と菊慈童は付き物で、菊慈童のお人形を飾って言祝いだのですもちろん男たちは人形より菊酒だったでしょうが(笑)、猩々と菊慈童はお酒を仲立ちにして混淆しやすかった 

2026年3月28日土曜日

松坂屋上野店「田渕俊夫 日本画展――永遠の刻」

 


松坂屋上野店「田渕俊夫 日本画展――永遠の刻」<3月31日まで>  


 田渕俊夫さんは現代を代表する日本画家、僕の大好きなアーティストです。一昨年、文化勲章を受章されましたが、当然のことです。いや、もっと早く受賞されて当然でした。平山郁夫先生に学んでみずから拓いた、えもいわれぬ詩情に早くから惹かれるものがありました 


直接お会いしたのはチョッとお手伝いしていた前田青邨顕彰・中村の授賞式においてでした。日本美術院理事長として出席してご挨拶をいただいたからです。「この中村賞は美術史研究者による厳正中立な賞であり、いっさいソンタクのない最高の賞です」と、この賞の意義と価値をたたえていただきました。そのころ流行っていた「ソンタク」という言葉を巧みに織り込んだユーモアあふれるご挨拶に、受賞者はもちろん、我々の緊張も解けて、和気藹々たるすばらしい授賞式になったことを思い出します。

 

今回の個展「永遠の刻」について、田渕さんは「……2センチほどの小さな蝶が涼しくなりかけた風に乗って舞っている姿を見かけると、無性に愛おしく感じてしまいます。この小さな命をいつまでも見守っていける世界になってほしいものです。そんな思いを込めて私なりの表現で絵にしてみました」と述べています。 


「僕の一点」は、竹林の光と影を斬新な水墨画技法で大胆に表現した「夕べの詩」ですね。これまで見たことのない幻想的な此君の林が、10号という大きくはない画面のなかで確かに呱々の声をあげています。

 

 この「永遠の刻」は今月末日までですので、<饒舌館長VS生成AI!! 蘆雪の「かわいい」に隠された世紀の見立てを巡る大激論>を1回お休みにしてアップしましたが、また明日から再開します!! 

饒舌館長も出品した「第14回横浜開港アンデパンダン展」が横浜市民ギャラリーで開催中 !!

   いよいよ僕も美術史家じゃなく、美術家になっちゃいました!! 去年に続いて「横浜開港アンデパンダン展」に出品したからです。 東海大学講師をつとめていたときの学生に古川巧君がいます。コンテンポラリー・アーティストとして活躍してきた古川君は、本アンデパンダン展の実行委員長もつとめ...