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2026年9月6日日曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」4

 


それが奇縁となって、このたび日本美術院の外部から意見を述べつつ応援するような役目を仰せつかりました。上野精養軒で開かれたレセプションで挨拶を求められた僕は、日本美術院との関係を3つ述べてそれに代えることにしました。もちろん一つは先の前田青邨顕彰中村奨学会と中村賞ですが、もう一つは岡倉天心が明治22年1889創刊した『國華』の編輯半世紀以上かかわってきたことです。


さらにディレクターをつとめていた秋田県立近代美術館で「平山郁夫展 大唐西域への道」を開催させていただき、多くの県民が平山芸術に酔いしれたことを加えました。『國華』編輯の件では、またまた天心創刊の辞を音吐朗々と暗唱して拍手と笑いを強要しましたが、第111回再興院展記念レセプションには、あまりふさわしくなかったかな( ´艸`)

2026年9月5日土曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」3

 


それから数えて第111回目の日本美術院展覧会、通称「院展」が9月1日東京都美術館でオープンしました。そのカタログに、評議員の佐藤道信さんが「日本美術院」と題して詳しい歴史を書いています。カタログを求めた方はぜひお読みいただきたいと思います。上記はそれに私見をまじえて要約したものにすぎません。


もう15年ほどまえでしょうか、尊敬して止まない前田青邨画伯のお孫さんにあたる中村まり子さんと眞彦さんのご夫妻が、前田青邨顕彰中村奨学会を立ち上げ、院展奨励賞クラスの若き才能を毎年二人ずつ顕彰する中村賞を創設されました。まり子さんのご尊父である秋山光和先生に教えを受けた僕にも、チョッとお手伝いをする機会が与えられました。第1回は秋田県立近代美術館HPの「おしゃべり館長」に、第6回と〆の第10回は「饒舌館長ブログ」にレポートをアップしたはずです。


2026年9月4日金曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」2

 


ほとんど自分で創った東京美術学校の校長職を追われるがごとくに辞した明治31年1898の秋、岡倉天心は東京谷中初音町に日本美術院を開設しました。連袂辞職した橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らが天心を支えました。ここに真の意味で新日本画が誕生したといっても過言ではありません。


しかし数年後には経営が思わしくなくなり、明治39年1906、茨城県の五浦に日本画の研究所を移しました。それは雌伏時代でしたが、また創造的時代だといってもよいでしょう。


大正2年1913、盟主の天心が没します。ここに横山大観を中心にして日本美術院は五浦時代末期の沈滞ムードを吹き飛ばすべく再興を期し、翌年開院式と第1回展を開催しました。公的な文展から距離を置く在野の美術団体として、前途の多難が予想される厳しい再出発を果たしたわけですが、すぐれた才能がすぐにたくさん集まり近代日本画の主流へ発展していきました。

2026年9月3日木曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」1

 

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」<9月17日まで>

 きわめて多面的な岡倉天心の業績ですが、大きく以下の5つにまとめることができると思います。

 ①近代国民国家にふさわしい新しい美術――とくに新日本画の創造

 ②教育機関である東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)と日本美術院の創設

 ③古文化財保護を目的とした古社寺保存法や国宝保存会の制定創設

 ④美術雑誌『國華』の創刊

 ⑤英文による3大名著の執筆出版


②③④は①の新日本画の創造に資するためという意識が強かったように思いますが、これを僕は「天心の5大業績」と呼んでいます。そのうちの一つが東京美術学校の大学院に相当する日本美術院の創設です。

2026年9月1日火曜日

追悼 草間彌生さん2


 

 草間がいま85歳であることを考えれば、尊敬に値することです。しかし固定観念にとらわれやすい日本人は、戸惑いながら会場をあとにするかもしれません。かくいう僕も、一番好きなのは、静岡県立美術館の「無題」(1959)なのです。


作日、『無限の網 草間彌生自伝』をはじめて読みましたが、外国大学からのオファーにこたえる勇気をもたなかった小心者の僕にとって、草間は異次元に生きる人間のように感じられたことでした。


先日、京都市立銅駝美術工芸高等学校へ挨拶にうかがったとき、校長の中村則和さんから、草間がここの卒業生であることをお聞きしました。この変った校名は、洛陽から西域に向かう地点に銅でできた駱駝が立っており、それに由来する平安京以来の「銅駝坊」にちなむものだそうです。このアールデコ風の校舎で学びながら、草間は自由なアメリカへの憧れを高ぶらせていったのでした。


*上掲のただ薄い鼠色に見える平面が、草間彌生さんの静岡県立美術館所蔵「無題」という作品です。饒舌館長が選ぶベストワンですね。

 

2026年8月31日月曜日

追悼 草間彌生さん1

 日本を代表する、いや、世界に冠たるコンテンポラリーアーティスト草間彌生さんが8月14日お亡くなりになりました。享年97。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 12年前、秋田市立千秋美術館で「草間彌生 永遠の永遠の永遠」を観て改めて感を深くし、そのころやっていたブログ「おしゃべり名誉館長」にオマージュを捧げました。その後何度か草間芸術に触れる機会はありましたが、その印象記をブログにアップすることは一度もなかったように思います。「永遠の永遠の永遠」印象記を再録して、追悼の辞に代えることをお許しくださいませ。

秋田市立千秋美術館「草間彌生 永遠の永遠の永遠」(2014719日)

         草間彌生は日本のピカソだ!! 決して自己模倣に陥りません。2004年以降、この10年間の最新作を集めたこの特別展でも自己変革を見せつけます。水玉と網目模様という草間イメージを否定、人間の顔や生物をモノクロームで即興的に描き、シルクスクリーンに転写した「愛はとこしえ」。そこにサイケデリックなアクリルのポリクロームを加えて、増殖し続ける「わが永遠の魂」。 

 

2026年8月30日日曜日

坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」聴講ありがとう❣❣❣

 


 昨日、午後2時から鶴見駅前ホールで開催された坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」が満席盛況のうちに終了しました。ご聴講いただいた皆さまありがとうございました❣❣❣ 琳派をライトモチーフにする「坐・琳派展」が12年も続いていること自体、現代における琳派の底力を物語っています。 

 まず鶴見画廊で開催中の「坐・琳派展 第12回」を鑑賞したあと、この講演会に臨みました。タイトルに「現代」とあるとおり、コンテンポラリー琳派を〆に持っていったのがミソだったかな? 

 その一人にセレクトさせてもらった実行委員会会長の浅野康則さん、司会役をつとめてくれた古川巧さん、改めてお礼申し上げたく存じます。 古川さんは半世紀以上まえ、東海大学講師時代の学生さん、僕も出品した「横浜開港記念アンデパンダン」をエントリーしたとき紹介したように思います。 彼のお蔭でそのときの学生さんがほかにも聴講してくれました。 当時は先生と学生でしたが、今や同世代の後期高齢者同士です( ´艸`)  

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」4

  それが奇縁となって、このたび日本美術院の外部から意見を述べつつ応援するような役目を仰せつかりました。上野精養軒で開かれたレセプションで挨拶を求められた僕は、日本美術院との関係を3つ述べてそれに代えることにしました。もちろん一つは先の前田青邨顕彰 中村奨学 会と中村賞ですが、 ...