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2026年9月21日月曜日

江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世へのいざない」1

 


江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世のいざない」<9月27日まで


 標記の展覧会が江戸東京博物館で開かれています。前回アップした東京国立博物館「空海と真言の名宝」展で、日本人の現世肯定主義的傾向を指摘しましたが、眉にツバしている方も少なくなかったと思いますそういう方に、とくに観ていただきたいおススメ展です!! 「なるほど」と腑に落ちることでしょう。密教と遊里・芝居は通底しているです(!?) がまずはチラシの案内文から始めましょう


戦乱の時代を経て、天下泰平の世が長くつづいた江戸時代。およそ二五〇年にわたるその文化の繁栄を象徴するもののひとつが、浮世絵です。「浮世」の絵、つまり、いま現在をとらえる絵画および版画には、それに接する人々の実感を強く揺さぶるような、その時その時に流行した風俗のあらゆる様子が描かれました。そのなかでも、浮世絵が誕生した十七世紀後期から幕末・近代まで絶えず取り上げられてきた主題が芝居と遊里でした。

2026年9月20日日曜日

おまとめ版 若冲と草木成仏思想<末木文美士『草木成仏の思想』>

 

おまとめ版 若冲と草木成仏思想<末木文美士すえきふみひこ『草木成仏の思想』>(2016年)


 44万6000人を集めた東京都美術館の生誕300年記念「若冲展」については、すでに2回にわたりこのブログでおしゃべりをしました。その一回目では、「僕の一点」として若冲畢生の傑作「動植綵絵」を取り上げ、つぎのように吐露したことでした。

このシリーズの思想的背景としては、山川草木悉皆成仏という仏教理念が指摘され、それがほぼ通説となっているといってよいでしょう。

もちろん否定はできませんが、そこまで拡散させなくても、若冲が生涯心を寄せて止まなかった禅の教えだけで、充分説明することができるのではないでしょうか。

つまり不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏という4つの根本理念だけで、もっと直接的に解釈しうるのではないかという、かつて心に浮かんだ牽強付会なる思いつきを書いた次第です。

あまり反応はありませんでしたが、約お二人の方から、おもしろかったよというメールをいただけたのは、望外の喜びでした。

そのときお約束した末木文美士さんの『草木成仏の思想 安然と日本人の自然観』(サンガ 1015年)を、先日読んでみたところ、きわめて多くのことを教えてもらうとともに、共感を覚えるところが少なくありませんでした。

末木さんは、かつて僕と同僚だった仏教学者ですが、定年のあと国際日本文化研究センターに移り、多くの書を著すとともに、積極的に社会的発言を続けていらっしゃいます。『草木成仏の思想』は、日文研における最後のお仕事のようですが、何はともあれ、その内容を紹介することにしましょう。

第1章 「山川草木悉皆成仏」という言葉は、1986年、中曽根康弘首相が国会の施政方針演説で使ったところから流行したものであるが、仏典のなかにこの言葉は見出せない。「草木国土悉皆成仏」という言葉はあるが、日本の仏典のみで、インドや中国には見られない。この初出は証真の『摩訶止観私記』と考えられていたが、それより早い安然の『斟定草木成仏私記』という著作の中にある。安然はこれまでほとんど知られていないものの、9世紀後半に活躍した天台の僧侶で、最澄・円仁・円珍を受けて、天台密教を完成させた大思想家である。しかし詳しいことはほとんど分かっていない。

第2章 『斟定草木成仏私記』の内容を概観検討し、草木は自発的に発心・成仏するという安然の草木成仏説を明らかにする。なお巻末には、付録として『斟定草木成仏私記』の現代語訳が添えられている。

第3章 安然円熟期の大著である『真言宗教時義』や『菩提心義抄』を取り上げ、安然が草木成仏説を唱えた理由とその論拠を具体的検証する。その際、重要なコンセプトとして真理の根源とも言うべき「真如」に焦点が絞られる。

第4章 安然を視野に収めつつ、もう少し大きな視点から、日本の草木成仏論を考察する。とくに、日本天台における草木成仏論とそれを批判する動向を紹介し、さらに空海や道元の場合をまな板の上に乗せている。

第5章 このような自然観の延長として、東日本大震災を契機に切実な問題となっている自然災害をいかにとらえるべきかを考察する。東日本大震災のあと、石原慎太郎東京都知事が、震災は天罰だと言って物議をかもした。

そのとき末木さんは、ただちに与するわけではないが、そのような見方を無視してはいけないのではないか、ということを『中外日報』に書いた。

それに対し、ネット上で炎上するほどの批判が相次ぎ、活字メディアでもたたかれたという。その経緯とそれへの応答は、すでに『現代仏教論』(新潮新書 2012年)にまとめられている。

仏教を中心とした日本の災異説をみると、自然災害をただ自然現象と見るのではなく、その中にみずからの行為を反省し、身を正していこうとするベクトルが見られる。もちろん非科学的なところも多く見られるが、すべてを科学的に解釈してしまうのがよいかどうか、改めて問い直さなければならないと末木さんは結論付けている。

僕がもっとも興味深く読んだのは、第4章「日本人の自然観と草木成仏」でした。日本人の自然観については、すでに名論卓説少なからずというところですが、ぜひ本書をこれに加えたいと思います。

本書の内容を僕的に解釈すれば、草木成仏論は日本人の観念や自然観をよく象徴するものだということになります。まず「草木国土悉皆成仏」について考えてみると、日本の仏典だけにあって、中国にもインドにもないというのですから、ここには日本的な仏教感が表れていることになります。

「草木」も「国土」も成仏することができるということは、つまりあらゆるものすべてが成仏できるということになります。それはすべての民衆を救おうとした鎌倉新仏教と通い合うところがありますが、鎌倉新仏教こそ、本来の仏教を日本化した独自の和風仏教であったことは、改めて指摘するまでもありません。

あるいは、あらゆるものに聖性・神性を見出そうとした原始神道に近似するといってもよいでしょう。さらに視点を広げれば、日本人の現実肯定的な国民性にもたどり着けそうです。

少し意地の悪い言い方をすると、日本人の無原則的傾向や「いい加減主義」とも無関係ではないということになります。もっとも、「いい加減」と「良い加減」のことだという説もありますが、「草木国土悉皆成仏」という観念こそ、日本仏教の象徴だといっても過言ではないのです。

それでは「山川草木悉皆成仏」はどうでしょうか。本来の「草木国土悉皆成仏」における「国土」とは「仏国土」の意味であり、仏教をよく知らないと理解できません。

しかしそれが「山川草木悉皆成仏」という、分かりやすいフレーズに言い換えられて流布したという事実も、大変興味深く感じられます。

「山川草木」という言葉自体は、漢籍にも仏典にも神道書にも見えるそうですが、「山川草木悉皆成仏」と言えば、感覚的な馴染みやすさがより一層強まることになります。

深い意味など考えなくても、すっと心の中に入ってきて、何となく分かったような気分になります。このような感覚的理解を好むのが日本人の性質であることは、すでに常識に属するところです。

ところで末木さんは、「日本人は自然を大事にして、自然と共存してきた民族で、それが日本人のすばらしいところだという日本人論的な言説」を、おかしな自己賛美として否定しています。

しかし、素晴らしいかどうかは別として、近代以前において、日本人が自然と共存してきたことは認められるべきだと思います。たとえ認められないとしても、「山川草木悉皆成仏」という一句に、日本人的な自然観や宗教観が込められていることは、否定できない事実のように感じられます。末木さんも、「確かに草木成仏という問題の取り上げ方は日本の仏教に独自のところがあるともいえる」と、消極的には認めているのですから……。 

そうだとすれば、日本人の画家である若冲が、山川草木悉皆成仏という仏教観に共感を寄せた可能性は充分想定されますし、その彩管になる「動植綵絵」に、山川草木悉皆成仏的感覚が満ち溢れていることは当然のことになります。先に否定できない事実だと言った通りなのです。

これを「草木国土悉皆成仏」を描いたものだと言えば、出典の明らかな一句だけに、真摯な仏教者であった若冲により一層ふさわしくなるかもしれません。どうしても使うなら、「草木国土悉皆成仏」の方を選ぶべきでしょうが、これらに「草木」が登場することを、改めて注意したいと思います。

中国において仏性の有無が問われるとき、「趙州狗子」や「南泉斬猫」のように動物が登場します。イヌやネコのような動物なら、まだ話も分かりますが、感情を持たない植物に仏性を認めるとは、どういうことなのでしょうか。

四季折々に変化する植物をたたえて止まない日本人の感性がそこに看取されるなどと言ったら、あるいは末木さんに叱られるでしょうか。

しかしいずれにせよ、禅における4つの根本命題から解釈した方が、「動植綵絵」の背景へより直接的に迫れるのではないでしょうか。結局このような僕の思いは、末木さんの『草木成仏の思想』を読んでも、あまり変わりませんでした。

長々と駄弁を弄してきましたが、所詮このような問題は、ニーチェが言ったように、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」ということになります。僕は「真実というものは存在しない。存在するのは真理だけである」と以前から言ってきましたが、やはり比べてみると、僕よりニーチェの方がやや優れているようです(!?) 

ニーチェの名言は、このあいだ鷲田清一さんが『朝日新聞』の「折々のことば」に引用していましたが、「アホになれん奴がほんとうのアホや」と同じように、物事の本質を突いています(!?)

ちなみに、末木さんが災害天罰論を寄稿したという『中外日報』は、去年僕も法華宗と近世美術の関係について、拙論を載せてもらった宗教新聞です。末木さんほどの大宗教学者と同じ新聞に、僕も宗教論を書いちゃっていたんです(!?)


*つまり、若冲絵画の基底をほぼ禅に限定する見方から、今回東京国立博物館「空海と真言」展を観ることによって、密教まで広げて見た方がよいのではないかと考えるようになったんです。バージョンアップされたのかな(´艸`)

2026年9月19日土曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!23


  最後に唐突ながら、このような密教の思想は伊藤若冲の絵画を考える際にもヒントになるんじゃないかと思いついたんです。すでに「動植綵絵」と「草木国土悉皆成仏」(「山川草木悉皆成仏」)との関係は指摘されてきましたが、これは天台密教僧の安然や証真が唱えた思想だったからです。この点については、かつて「K11111のブログ」にアップしましたが、明日「おまとめ版」を「饒舌館長ブログ」にアップしたいと存じます。

これと関連して、マンダラの「マンダ」とはもともと本質とか飾りとかいう意味を有する言葉であったという指摘もぜひ書き添えておきたいと思います。松長有慶氏『密教』<岩波文庫>のなかに見いだされる興味深い指摘です。

2026年9月18日金曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!22


もっとも中村元氏は広く日本仏教の特徴を指摘したのであって、密教の特徴ではありませんが、当然密教を包摂しての話でしょう。「即身成仏」が挙げられているところをみると、その中心には密教があったのではないかとさえ疑われてくるです。東京国立博物館で開催中の特別展「空海と真言の名宝」を見終わったあとで、僕はこんなことを妄想したのでした。


そして多くの問題を抱えている我が国の将来について考える際、何かヒントになる点があるじゃないかと思ったです。たとえヒントあまりなくても、この特別展を契機に、改めて日本や日本人を考えてみることは、意味のあることではないでしょうか? 分断の世界、混迷の日本、羅針盤なき現代に生きる僕たちにとって……。


  ヤジ「最後まで聞いていたら、何だかトートロジーというか、堂々巡りというか、はたまた当たり前田のクラッカーみたいな話だったな!!」 

 

2026年9月17日木曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!21


  しかしこんなことを僕が指摘したり、証明したりする必要はまったくありません。先の源豊宗先生に代わって、今回は中村元氏にご登場いただきましょう。論文「仏教――民族性によるその変容」(『総合講座 日本の社会文化史』3 講談社 1973年)において、世紀以上前すでに指摘されているです。 

中村氏は日本仏教の特徴として、7、8か条ほどあげています。そのなかに「理」以上の「事」の重視、無常なる現世の肯定、即身成仏、人間における自然の性情の容認があります。また我が国が外来思想を受容する際には、3つの特徴があるそうですが、その一つは非合理主義的傾向で、直感的・情緒的傾向と言い換えてもよく、仏教も例外ではないとおっしゃっています。先に松長有慶氏の著作から抽出した密教における3つの特徴と有無通じているではありませんか

2026年9月16日水曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!20


以上、おもに松長有慶氏の『密教・コスモスとマンダラ』によって、密教やそのイメージ化である曼荼羅が、感覚主義的であり、象徴主義的であり、現実肯定主義的であることを明らかにしました。もちろんこれは松長氏の密教論であるわけですが、94年の生涯を密教研究に捧げつくした松長氏の見解に僕は寄り添いたいのです。なぜなら我が心に抱く密教の心象とほとんど重なり合うからです


 ヤジ「オマエの心象がなんぼのもんじゃ!!」


の感覚主義、象徴主義、現実肯定主義というイズムが、日本人のものの見方や考え方と違和感なく馴染み、けっして背馳しなかったことが、凡夫には難解な密教が広く我が国で受容された理由でした――これが今回の妄想と暴走です。これなら密教の細かい教義や哲学なんか理解できなくたって、何となくシンパシーを感じることが充分可能なのではないでしょうか。

 

2026年9月15日火曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!19


  日本人が現世肯定的であることも、すでに多くの研究者によって指摘され、常識となっているといってよいでしょう。それを象徴する芸能こそ歌舞伎にほかなりません。この点につては、かつて私見をアップしたことがあるようにも思います 

しかしそんなことを僕が証明しなくたって、源豊宗先生の名著『日本美術の流れ』(思索社 1976年)を挙げればそれで充分でしょう。先生は「日本人はむしろオプティミスティックな国民で、人生肯定主義なのです」と断言されています。日本人がオプティミスティックなのではなく、源先生がオプティミスティックだったのだという意見もありますが(´艸`)


美術史的にみれば、日本美術史において風俗画が占める重要性や、日本絵画の代名詞ともいうべき浮世絵の世界的評価をあげることができるでしょう。これらの基底に日本人のオプティミズム、つまり現世肯定観が存在したことは、改めて指摘するまでもありません。

江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世へのいざない」1

  江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世 へ のいざない」<9月27日 まで >  標記の展覧会が江戸東京博物館で開かれています。前回アップした東京国立博物館「空海と真言の名宝」展で、日本人の現世肯定主義的傾向 を指摘しましたが、眉にツバしている方も少なくなかった...