2026年2月13日金曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣20

 


ところがその日に前のが帰って来るのです。やはり心のなかでは愛し慕っていたのに前の夫はつれなく去ってしまうので、女は後を追いかけます。 


しかし追いつけずに指の血で「私の方では愛しても愛してくれないで私の許を離れ去った人を、引きとめることができないで、私の身は今ここで消え果ててしまったようです」(石田譲二訳)という意味の歌を岩に書き付けると死んでしまうのです。

 

「梓弓」に砧は登場しませんが、空閨、3年、など話の内容が「砧」と実によく似ています。それだけじゃ~ありません。「砧」の小書こがきは「梓之出」というのです。明らかに「砧」には『伊勢物語』の「梓弓が投影されています。ですから題箋の「在原業平」はこれで正しいのです。 

2026年2月12日木曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣19


そのあと戻って来た夫が弔うと、妻の亡霊が現れて、恋慕の執心による死であったため地獄に落ちたけれども、いまだに夫が忘れられないと訴えますしかし読経の功徳で成仏するのですが、激しい恋情をテーマとするお能ですから、先の「清少納言」と組み合わせればピッタリです。

 

ところが在原業平に擬定されてきた『伊勢物語』に、こんな話は見当たりません。ですから題箋は何かの間違いだろうという説もありました。しかし僕は、世阿弥が『伊勢物語』第24段の「梓弓」を想起しながら「砧」を構想したのだと思います。「梓弓」も宮仕えをするために、家を出て行ったまま帰って来ない夫を3年間待った女の話だからです。もっともこの女は、言い寄ってきた別の男と新枕約束をしてしまうのです 

 

2026年2月11日水曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣18

  


 清少納言の歌は、有名な中国の故事を下敷きにしていましたから、そちらの方を取り上げて描けば問題なかったのです。しかし重要なのは、函谷関と中国の関守を描きながら、真の主題は清少納言の相聞歌であったという点です。もっともこれは、藤原行成と恋人同士を気取って詠んだ戯れ歌だそうですが、この絵のテーマは「恋」だといって不可ないのです。 

 「在原業平」の一には、砧を打つ月下の景が描かれています。これは明らかに世阿弥の傑作とたたえられるお能「砧」に取材しています。訴訟のため上京し帰って来ない夫を慕う妻が、砧を打ってさみしさを慰めるのですが、待ち焦がれるうちに亡くなってしまいます。 

2026年2月10日火曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣17

 


 孟嘗君は中国・戦国時代、斉でしたその孟嘗君の故事を、清少納言一首ベースにしているです。孟嘗君が秦に遣わされて監禁されたとき、連れていた大勢の食客のうち、盗みの巧みな男と鶏の鳴き声を真似ることがうまい男のお陰で、警備きわめて厳重な函谷関をすり抜け無事斉へ帰国できたという故事です。清少納言が詠んだ歌のもとになった中国故事の方を、北斎は取り上げて描いたのです。 

しかし北斎は、どうしてこんな面倒くさいことをやったのでしょうか。それは先に指摘したように、5組の日中ペアを作るため、どうしても必要だったからです。これを清少納言そのままで、つまり日本の風物で描いてしまったら、日中の5ペアはできなくなってしまいます。 

2026年2月9日月曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣16

  「清少納言×在原業平」は恋のペアです。清少納言は平安時代の女房なのに、「詩哥写真鏡」では中国の景になっていますが、これには理由があります。「百人一首」に採られる清少納言の「夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関は揺るさじ」がテーマになっているからです。この一首を久保田淳さんは、つぎのように訳しています。

あの孟嘗君もうしょうくんの食客のように、まだ夜明けまで間があるのに、偽って鶏鳴の真似をしても、おろかな函谷関かんこくかんの関守ならばともかく、逢坂の関の関守は、まさか旅人の通り過ぎるのを許しますまい。――わたしはだまされて、たやすく戸を開けてあなたと逢ったりはいたしませんよ。

2026年2月8日日曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣15

 


……とここまで書いて、そういえば前にも韓愈の「左遷せられて藍関に至り姪孫の湘に示す」に戯訳を付けたことがあったなぁと思い出しました。「汝」を韓湘とする旧訳の方がいいような気もするので、アップさせてもらうことにしましょう 

 上奏文を朝方に 一通上げたよ朝廷へ 

 夕べにゃ左遷さ八千里 遠く遥かな潮州へ 

 天子のために弊害を 取り除かんとしたまでで 

 老残の身だ わずかなる 余命を惜しむ気などない 

 秦嶺山脈 雲垂れて 我が家がどこかも分からない 

 藍田関は雪景色 我が乗る馬も尻ごみす 

 わざわざ湘君 来てくれた その気持ちなら分かってる 

 瘴江――毒気に満つほとり 俺の遺骨を拾うべし 

2026年2月7日土曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣14

 

ちょうど子供くらいでしょうか、そんな年齢差の韓湘に対するや韓愈のさしい思いやりを読み取りたいのです。それは肉親の情愛といってよいでしょう。清水茂校注『韓愈』<『中国詩人選集』11>(岩波書店 1958年)によると、この詩は『太平記』に引かれ、また織田信長と稲葉一徹の逸話が伝えられるなど、日本人にとってもっとも著名な韓愈詩だったそうです。 

「木賊苅」は世阿弥作ともいわれるお能「木賊」に取材しています。都の僧の若い弟子・松若が、信濃国で木賊刈をやっている父を訪ねて行くと、老父はそれと気づかずに別れた愛児を慕いつつ、その舞の手振りを真似ながら舞うのでした。まさに親子の情、肉親の情愛が主題となっているのです。同じく肉親の情愛を強く感じさせる韓愈の詩と、違和感なく結びつくでしょう両者は都を遠く離れた異郷という点でもペアにふさわしいですね。 

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣20

  ところが その日に 、 前の 夫 が帰って来るのです。やはり 心のなかでは愛し 慕って いたのに 、 前の夫 はつれなく去ってしまうので、 女は後を追いかけ ます。   しかし 追いつけずに 、 指の血で 「私の方では愛しても愛してくれないで私の許を離れ去った人を、引きとめる...