2026年3月13日金曜日

今や北斎・広重とともに「風景版画の3H」とたたえられる川瀬巴水を中心とする新版画展が三菱一号館美術館で開催中です!! 10

 

 

 モラエスはポルトガル海軍の軍人でしたが僕がもっとも尊敬して止まないジャポノロジストの一人です。ポルトガルのリスボンに生まれ、明治221889はじめて日本へやってきました。これはしばしば登場する『國華』が創刊された年でもあります。その後モラエスはマカオ勤務などを経て、明治32年、ポルトガル在神戸副領事として赴任、やがて総領事となりました。 


そのころ芸者であった日本女性・福本ヨネ出会い結婚しましたが、大正元年1912ヨネが亡くなると翌年公職をなげうち、ヨネの故郷徳島に移り住んで供養と執筆の日々を送りました。昭和4年1929その地で窮死するまで、たくさんの著述によ、我が国の歴史や社会、文化や芸術、また生活や風俗について、ポルトガルをはじめとする西欧社会へ紹介の労をとってくれました。それは日本語にも翻訳されて、我々にも大きな影響を与えてきました。 

2026年3月12日木曜日

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 藤原さんとジェミニAIが説くサウダーデ巴水の絵画世界そのものはありませんか!! ほとんど重なり合ういっても過言ではありません。僕は巴水を「サウダーデの風景版画家」と呼びたい誘惑に駆られるのです。 


日本語で「望郷の風景版画家」とか「郷愁の風景版画家」、あるいは「懐かしさの風景版画家」といっても悪くありません。しかし藤原さんやジェミニAIにしたがうならば、「サウダーデの風景版画家」といった方が、巴水の絵画世界をより正確に表現しているように感じられるのです。 


藤原さんのお父さんである新田次郎は、晩年毎日新聞に「孤愁<サウダーデ>」と題するヴェンセスラオ・デ・モラエスの伝記小説を連載し始めました。ところが連載途中で急逝、「孤愁<サウダーデ>」は未完に終わってしまいました。 

2026年3月11日水曜日

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サウダーデというのは、ポルトガル人特有の感情を表わす言葉として、よく引用されるものである。対応する日本語や英語はないが、「愛する人やものの不在により引き起こされる、胸の疼くような、あるいは甘いメランコリックな思い出や懐かしさ」と言われている。望郷、懐かしさ、会いたいが会えない切なさ、などはみなサウダーデである。単なる悲哀ではなく、甘美さと表裏一体をなしているのが、この言葉の特色である。 


僕は流行りのジェミニAIも試してみました。すると「サウダーデ」は基本的に「郷愁」「切ない」という意味であるが、ニュアンスは多層的である。「失われたものへの思慕」や「幸福な記憶とセットの痛み」を含意するそこにはつねに「前向きな響き」があると答えてくれました 。

2026年3月10日火曜日

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 京都の清水寺は何度か訪ねましたが、いつも雪なんか降っていませんでした。しかし「春の雪(京之清水)」をながめていると、やはり懐かしく思い出されてくるのです。デジャブというのでしょうか、不思議な感覚です。 

あれもこれもみんな懐かしいなぁと感慨に浸っていると、「サウダーデ」というポルトガル語が思い出されてきました。「カステラ」は別にして、僕が知っているただ一つのポルトガルです。2003年、藤原正彦さんの『父の旅 私の旅』(新潮社 1987年)を読んで、深く心を動かされるとともに、このポルトガル語を知ったです。


イギリス・ノリッジにあるセンズベリー日本文化研究所の図書室に本書があったのです。日本を愛した異国の人の足跡を求めて異国を旅した話を異国で読んだので、ことさら印象深いものがありました。今回このトワイライト巴水印象記を書くため、逗子市立図書館から借りてきて再読、改めて名著だと思いました。藤原さんは次のように書いています。 

2026年3月9日月曜日

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 太平洋戦争が終わって中国から帰って来た僕の親爺は、秋田県米内沢の済生会病院につとめ出しました。そのころの記憶にほんのわずか残っている雪景色を、巴水の「雪に暮るゝ寺島村」が呼び覚ましてくれるのです。 

小学校に入るチョッと前から大田区の大森山王で暮らすようになりましたが、その桜の季節は「春のあたご山」がよみがえらせてくれます。もうそのときは、巴水が描くような着物着ていなかったはずなのに……。


小学校4年のとき一駅隣の蒲田へ引っ越しましたが、近くを流れていた呑川の夕焼け、巴水の「木場の夕暮」とダブルイメージになって年老いた網膜に映るのです。

 

そのころ夏休みの何週間は、お袋の田舎である秋田の本荘で過ごしていましたが、ときどきお祖父ちゃんは本荘浜に連れていってくれました。巴水の「松島かつら島」を見ていると、その本荘浜が重なるようにして浮んでくるのです。 

2026年3月8日日曜日

5月5日鎌倉市生涯学習センターで「華やぐ北斎江戸絵画 饒舌館長ベストテン」を口演します❣❣❣


詳細は下記へアクセスのほどを❣❣❣
 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/2026-hokusai_event.html

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 川瀬巴水――懐かしい!!といった得もいえぬ気持ちにさせてくれる画家です。はっきりいって、パッと見たときの圧倒的感動は皆無です美術史的興味を掻き立ててくれる、強烈なモチーフが眼球に飛び込んでくるわけでもありません。もちろん官能を刺激する要素はゼロに等しい。ただただ懐旧の情を呼び起こして、小さな画面の前に立つ僕を癒してくれるのです。 


そんなの絵画としておもしろくないじゃないか、爆発がなきゃ芸術じゃない、あまりにも退嬰的世界じゃないかと言う人がいたら、「そのとおりですけど……」と言って通り過ぎることにしましょう。 

今や北斎・広重とともに「風景版画の3H」とたたえられる川瀬巴水を中心とする新版画展が三菱一号館美術館で開催中です!! 10

     モラエスはポルトガル海軍の軍人 でしたが 、 僕がもっとも 尊敬して止まないジャポノロジスト の一人 です。 ポルトガルのリスボンに生まれ、 明治 22 年 1889 はじめて日本へやってきました。 これは しばしば登場する 『國華』が創刊された年 でもあります 。その...