山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』 青弓社 2026年
山田萌果さんが2023年3月北海学園大学大学院に博士論文として提出した「アブジェクトとしての少女――現代日本の少女表象へフェミニズム美学からのアプローチ」をもとに、大幅に加筆修正したのが本書だそうです。山田さんは「序章」のなかで、つぎのように述べています。
本書の課題は大きく三つに分けられる。第一は、少女がいかにアブジェクトな存在であるかを明らかにすること。第二は、現代芸術に出現するかわいいだけでない少女に、その描き手である芸術家が何を託しているのかを明らかにすること。そして第三は、アブジェクトを強調して描かれた少女の芸術的価値を明らかにすることである。
山田さんは本研究の重要なキーワードとして、「アブジェクト(名詞「アブジェクシオン」)を措定します。フランスで活躍するブルガリア出身の思想家ジュリア・クリステヴァは、『恐怖の権力――<アブジェクシオン>試論』(1980年)において、この言葉を一つの概念として理論化しました。それは「アイデンティティ、システム、秩序をかき乱すもの、境界や場所や規則を尊重しないもの、つまり中間的で、曖昧な、混ぜ合わせのものである」と規定されるそうです。
一般的に「アブジェクト」は、みじめな、みすぼらしい、卑劣で軽蔑に値するという意味ですが、クリステヴァは新しい概念規定を行なったようです。山田さんはこのクリステヴァ理論によって、日本現代美術の少女表象を読み解こうとしています。それは充分に成功しているように思います。
もちろんこのような方法論には批判も予想されますが、方法論批判は何も生み出さないというのが僕の考えです。ある方法論が嫌いな研究者は、その方法論を利用しなければいいだけの話で、方法論を批判してもナンセンスでしょう。山田さんはフェミニズム美術史が興隆したときのジェンダー論争を、序章・註19に詳しく報告して、方法論に対する自分の立ち位置を明らかにしています。
「未成年」というのはコンテンポラリーアートの中核的概念です。それを早くに見抜き、すぐれたコレクションを形成したのが高橋龍太郎さんです。それは「ネオテニー・ジャパン」というコレクション名に象徴されており、このカタログブックは山田さんの参考文献リストに抜かりなくあげられています。
かつて「ネオテニー・ジャパン」展を秋田県立近代美術館で開催したとき、美術手帖編『現代アート事典』(美術出版社 2009年)のお世話になりました。いま書架から引っ張り出してきて「未成年Adolescent」のページをみると、山田さんも依拠したジュリア・クリステヴァとその「未成年の小説」が引用されているではありませんか。僕が知らなかっただけで、重要な思想家だったようです。しかしわずか2ページの解説では隔靴掻痒の感を免れず、はじめて山田さんにより「未成年」の意味が少し分かるようになったのです。
十代後半から二十代前半まで、摂食障害とうつ病でほとんど起き上がれない日々を過ごしていたという山田さんが、すぐれた博士論文を完成させ、それをもとに本書を出版された克己と努力と苦闘に心からの尊敬を捧げたいと思います。山田さん、あなたの「あとがき」を読んで、熱いものがこみ上げてくるのを僕は止められませんでした。出版をお手伝いできた鹿島美術財団を誇らしく思っています。