大典は宋儒や荻生徂徠の解釈を非難し、あえて新説のために新説を考え出すような態 度を否定する。 そして 『論語集覧』なる注釈書について、「毎章各々異義を演べ、力めて 新説を出す。 要は一家の説を立つるに在りて、聖言を以て己が意に随わすの弊を免れず」 と批判する。個性的であればそれでよいというわけではないとする主張であって、ここに も大典の穏健な思考法がよく看取されるのである。
それを端的に示すのは、大典が門人玉潤元寔の文章に関する問いに答えた手紙である。 大典は「其工夫を用ゆるには、必ず整調を要す、必ず流暢を要す、必ず円熟して窒がらざ るを欲す、圓熟して窒がらざるには歐陽(脩)を学ぶに如くは莫し、流暢を欲せば蘿山 (林道栄か)を学ぶに如くは莫し、整調を欲せば空同(李夢陽)を学ぶに如くは莫し、吾子試に三家の文を取って之を看よ」という。






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