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2026年4月27日月曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 10


  「木蓮棕櫚図」に始興が学んだ尾形光琳の影響が強いことは、改めて指摘するまでもありません。デザイン的ともいうべき簡潔な形態にまとめ、垂らし込みを愛用し、装飾的効果を高めています。明らかに光琳画風を摂取した結果です。

しかし光琳と異なる美意識も看取されます。それは自然観がとても強いことです。それこそがこの作品の個性であり、光琳のエピゴーネンを凌駕する素晴らしさなのです。たとえばこの椿と、光琳の「椿図団扇」を比べてみると一目瞭然でしょう。始興の眼と筆による装飾化か少なく、自然のフォルムに近いのです。つまり広い意味で写実的なのです。


そこで興味深いのは近衛家煕が制作した植物写生図帖「花木真写」です。すでに述べたように、始興筆「木蓮棕櫚図」と近衛家煕との直接的関係はご破算になってしまいました。しかし拙稿で指摘した、家煕による「花木真写」との関係をはじめ、美術史的な大枠は間違っていなかったと思います


 ヤジ「またまたお得意の居直り、強弁、屁理屈というヤツだな!!」 

2026年4月26日日曜日

饒舌館長ブログファンの方、いや、江戸絵画ファンの方、5月5日鎌倉でお会いしましょう❣❣❣


 

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 9

 


ちょうど京都美術工芸大学の仕事をしていた僕は、その監修を頼まれ、いわゆるゲストキューレーターをつとめることになりました。そのカタログには、「琳派私的旅行」と題するエッセーを寄稿する機会にも恵まれました。


この特別展には渡辺始興の「木蓮棕櫚図」も出品され、カタログ解説は京都国立博物館の福士雄也さんが担当したのです。この解説により、僕は「大門」というのが興福寺大乗院門跡・大門隆遍であることを教えられました。つまり大門がそのころの近衛家当主・経煕に贈った作品だったのです。


しかも大門の父は二条吉忠であり、この吉忠は光琳・乾山の庇護者であった二条綱平の子だったのです。近衛家や家煕のために始興が制作した作品ではなかったのです。もし依頼主を考えるとすれば、二条吉忠こそ可能性が高いことになります。ここにお詫びして訂正させていただきたく存じます 

2026年4月25日土曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 8

 


始興は近衛家煕(予楽院)との関係が深く、御用絵師と考えられる「家士」であったと伝えられてきました。したがって僕は、元文元年1736に没した家煕の霊前に始興が捧げた鎮魂の一作だったのではないかとさえ想像したのです。事実『光琳派画集』の解説も、始興が主家近衛家のために揮灑したものであろうと述べているのです。しかしそうではありませんでした。


京都国立博物館の福士雄也さんが明らかにしてくれたのです。2015年秋、京都国立博物館で特別展「琳派 京みやこを彩る」が開催されました。この年は本阿弥光悦洛北鷹峰に光悦村を開いた元和元年1615から数えてちょうど節目の400年を迎え、京都では琳派400年記念祭が行なわれていました。「琳派 京を彩る」はそれをことほぐ特別展でした

2026年4月24日金曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 7

 


それが出現したのですすぐにも飛んで行きたかったのですが、ちょうど外国出張などが重なって忙しく、そのままにしてしまいました。仕事が一段落して古美術商の方に連絡したとき、この始興双幅はもうお嫁に行ったあとでした。


ところが2009824日、この傑作が國華社に持ち込まれたのです。神は僕を見捨てなかったのです。すぐに調査を始め3年後『國華』1405号に載ったのですが、さらに後日談があります。拙稿発表と相前後して、この作品が文化庁により購入されることになりましたが、その審査委員会からお呼びがかかったので、この傑作と2度目のゴタイメ~ンとなったのでした。


『國華』1405号の解説において僕は決定的間違いを犯してしまいました。先の『光琳派画集』に「公爵 近衛文麿君蔵」となっており、大正7年の「第一回近衛公爵御蔵器入札目録」には第82番として搭載されているため、僕は最初から近衛家伝来であることを信じて疑いませんでした。

2026年4月23日木曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 6

 「僕の一点」は渡辺始興の「木蓮棕櫚図」双幅(文化庁蔵)ですね。選んだ理由は、15年ほどまえ僕が『國華』1405号に紹介した作品だからです。とても思い出深い始興の傑作だからです。というのは、その20年以上もまえ京都に住まわれる古美術商の方から、親切にも手元にあるという情報が寄せられました。ずっと捜していた始興です。

 

昭和40年代後半、山根有三先生は『琳派絵画全集』(日本経済新聞社)の編集に着手され、始興を含む「光琳派2」を昭和55年1980に出版されました。この巻の編集担当を依頼された僕は、是非この作品をと思いましたが、その所在は杳として分かりませんでした。 

2026年4月22日水曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 5

 

 野口さんは出典として拙著『日本美術絵画全集17 尾形光琳』(集英社)をあげているので、早速書架から引っ張り出してくると確かにそんな風なことを書いているじゃ~ありませんか。ほとんど忘れていたのに……。 

また野口さん『琳派絵画全集 光琳派一』のマイ緒言から、「光琳系の魅惑的な惑星たち」という一句を引いてくれたこともスゴクうれしいことでした。さらに野口さんは、つぎのように述べています。 


 『光琳派一』の問題意識、すなわち光琳落款を有しながら光琳の画風とは少し異なる作品と『光琳派二』の画家との関わり、あるいはそうした作品が『光琳派二』の画家に与えた影響についても考えることで、一九八〇年の先端的な研究への現時点でのレスポンスとしたい。

 

というわけで、今回エントリーのタイトルを<饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!!>にした( ´艸`) 

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 10

   「木蓮棕櫚図」に 始興が学んだ 尾形光琳の影響が強いことは 、改めて指摘するまでもありません。デザイン的ともいうべき簡潔な形態にまとめ、垂らし込みを愛用し、装飾的効果を高めています。明らかに光琳画風を摂取した結果です。 しかし光琳と異なる美意識も看取されます。それは自然観が...