2026年3月14日土曜日

今や北斎・広重とともに「風景版画の3H」とたたえられる川瀬巴水を中心とする新版画展が三菱一号館美術館で開催中です!! 11

 

 モラエスはNHK連続テレビ小説――通称朝ドラ「ばけばけ」モデルになっている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン同世代の日本研究者で、ほとんど同じころ来日、遺した仕事も共通する要素少なくありません 


しかし東京大学や早稲田大学で英文学を講じた八雲に比べると、モラエスはより一層深く日本に耽溺、いや、溺惑した感があります。八雲の日本礼賛が知的であったとすれば、モラエスのそれは、あるいは体質であったように感じられます。 


もちろん八雲は偉大です。しかしモラエスの生き方にも、僕は強く惹かれるのです――と書いていたら、モラエスの代表的著作『日本精神』<講談社学術文庫>を再読したくなって、いま書架から引っ張り出してきたところです。モラエスのすぐれた研究者であった花野富蔵の翻訳ですが、『定本モラエス全集』(集英社 1969年)同氏の編纂だそうです。

 

『日本精神』のカバーには「日本に三十余年も生活し、徹底して日本を愛した外国人の、先駆的かつすぐれた日本人論である」と書かれています。そうです、モラエスは徹底して日本を愛したのです。 


https://mimt.jp/ex_sp/shin-hanga/

 

2026年3月13日金曜日

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 モラエスはポルトガル海軍の軍人でしたが僕がもっとも尊敬して止まないジャポノロジストの一人です。ポルトガルのリスボンに生まれ、明治221889はじめて日本へやってきました。これはしばしば登場する『國華』が創刊された年でもあります。その後モラエスはマカオ勤務などを経て、明治32年、ポルトガル在神戸副領事として赴任、やがて総領事となりました。 


そのころ芸者であった日本女性・福本ヨネ出会い結婚しましたが、大正元年1912ヨネが亡くなると翌年公職をなげうち、ヨネの故郷徳島に移り住んで供養と執筆の日々を送りました。昭和4年1929その地で窮死するまで、たくさんの著述によ、我が国の歴史や社会、文化や芸術、また生活や風俗について、ポルトガルをはじめとする西欧社会へ紹介の労をとってくれました。それは日本語にも翻訳されて、我々にも大きな影響を与えてきました。 

2026年3月12日木曜日

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 藤原さんとジェミニAIが説くサウダーデ巴水の絵画世界そのものはありませんか!! ほとんど重なり合ういっても過言ではありません。僕は巴水を「サウダーデの風景版画家」と呼びたい誘惑に駆られるのです。 


日本語で「望郷の風景版画家」とか「郷愁の風景版画家」、あるいは「懐かしさの風景版画家」といっても悪くありません。しかし藤原さんやジェミニAIにしたがうならば、「サウダーデの風景版画家」といった方が、巴水の絵画世界をより正確に表現しているように感じられるのです。 


藤原さんのお父さんである新田次郎は、晩年毎日新聞に「孤愁<サウダーデ>」と題するヴェンセスラオ・デ・モラエスの伝記小説を連載し始めました。ところが連載途中で急逝、「孤愁<サウダーデ>」は未完に終わってしまいました。 

2026年3月11日水曜日

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サウダーデというのは、ポルトガル人特有の感情を表わす言葉として、よく引用されるものである。対応する日本語や英語はないが、「愛する人やものの不在により引き起こされる、胸の疼くような、あるいは甘いメランコリックな思い出や懐かしさ」と言われている。望郷、懐かしさ、会いたいが会えない切なさ、などはみなサウダーデである。単なる悲哀ではなく、甘美さと表裏一体をなしているのが、この言葉の特色である。 


僕は流行りのジェミニAIも試してみました。すると「サウダーデ」は基本的に「郷愁」「切ない」という意味であるが、ニュアンスは多層的である。「失われたものへの思慕」や「幸福な記憶とセットの痛み」を含意するそこにはつねに「前向きな響き」があると答えてくれました 。

2026年3月10日火曜日

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 京都の清水寺は何度か訪ねましたが、いつも雪なんか降っていませんでした。しかし「春の雪(京之清水)」をながめていると、やはり懐かしく思い出されてくるのです。デジャブというのでしょうか、不思議な感覚です。 

あれもこれもみんな懐かしいなぁと感慨に浸っていると、「サウダーデ」というポルトガル語が思い出されてきました。「カステラ」は別にして、僕が知っているただ一つのポルトガルです。2003年、藤原正彦さんの『父の旅 私の旅』(新潮社 1987年)を読んで、深く心を動かされるとともに、このポルトガル語を知ったです。


イギリス・ノリッジにあるセンズベリー日本文化研究所の図書室に本書があったのです。日本を愛した異国の人の足跡を求めて異国を旅した話を異国で読んだので、ことさら印象深いものがありました。今回このトワイライト巴水印象記を書くため、逗子市立図書館から借りてきて再読、改めて名著だと思いました。藤原さんは次のように書いています。 

2026年3月9日月曜日

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 太平洋戦争が終わって中国から帰って来た僕の親爺は、秋田県米内沢の済生会病院につとめ出しました。そのころの記憶にほんのわずか残っている雪景色を、巴水の「雪に暮るゝ寺島村」が呼び覚ましてくれるのです。 

小学校に入るチョッと前から大田区の大森山王で暮らすようになりましたが、その桜の季節は「春のあたご山」がよみがえらせてくれます。もうそのときは、巴水が描くような着物着ていなかったはずなのに……。


小学校4年のとき一駅隣の蒲田へ引っ越しましたが、近くを流れていた呑川の夕焼け、巴水の「木場の夕暮」とダブルイメージになって年老いた網膜に映るのです。

 

そのころ夏休みの何週間は、お袋の田舎である秋田の本荘で過ごしていましたが、ときどきお祖父ちゃんは本荘浜に連れていってくれました。巴水の「松島かつら島」を見ていると、その本荘浜が重なるようにして浮んでくるのです。 

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    モラエスは 今 NHK 連続テレビ小説――通称 朝ドラ の 「ばけばけ」 で モデルになっている 小泉八雲( ラフカディオ・ハーン ) と 同世代の日本研究者で、 ほとんど同じころ来日、 遺した仕事も共通する 要素 が 少なくありません 。   しかし東京大学や早稲田大学...