2026年2月28日土曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 11


この茶壷を所有したにちがいない高位貴顕も、使ったり眺めたりした上層町衆ひとしなみに「垓下がいかの歌」や「項羽」を思い出したことでしょう。いや、絵付けは虞美人草なのですから、まず初めには虞美人が胸底に浮かんだにちがいありません 


この仁清作「色絵芥子文茶壷」の絵付け単に華麗優美なだけでなく、楚々とした美感にあふれ得もいわれぬ哀調をおびチョッと風が吹けばすぐに揺れ動きそうな可憐な情趣をたたえていいます。今回僕がはじめて気づかされた「色絵芥子文茶壷」の美と妙です 


それはオマエの印象にすぎないと言われれば返す言葉もないのですが、あえて淵源を探っていくと、項羽と虞美人の歴史的物語があり、「垓下がいかの歌」があり、姜夔きょうきのような漢詩もあったような気がしてきたのです。 

 

2026年2月27日金曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 10

 


 上層町衆を含めた当時の知識人は、能謡曲に馴れ親しみ、日々の生活に彩りを添え、また社交のヨスガとしていました。ウソだと思う方は、拙論「宗達と能」や「光琳と能」をご笑覧くださいませ´艸`) 


野々村仁清も、仁清を支援し仁清焼を好んで用いた町衆も、門前に仁清窯のあった仁和寺や他の僧侶たちも例外ではなかったはずです。御水尾天皇のあとを継いだ霊元天皇を中核とする宮廷文化圏でも、能謡曲は愛好されたことでしょう。このような知識人や教養人にとって、能謡曲は生活の一部をなす文化だったのです。

 

仁清がこの「色絵芥子文茶壷」のモチーフに芥子やヒナゲシを選んだとき、能謡曲の「項羽」が意識されないはずはありません「項羽」から発想したとは思いませんが、構想した段階で仁清の脳裏に虞美人のイメージ、虞美人草のかすかな伝説の記憶がよみがってきた可能性は、けっして低くないでしょう 

2026年2月26日木曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 9

 


 当時の知識人や教養人これらを知っていたことは言うまでもありません。しかし項羽や虞美人により一層深く馴染み、強い共感や愛惜の念を抱くようになった契機として、能謡曲の「項羽」に指を折りたい誘惑に駆られるのです作者不詳の五番目物です。

 

秋草を刈り取って家路につく草刈りたちが、老人のあやつる渡し舟に乗せてもらいます。すると老人は草束のなかから朱色の花一本だけを所望して抜き取り、これは項羽の虞美人を葬った塚から生えた美人草だと語り始めるのです。そして自分こそ項羽の霊だと身を明かし、あとを弔ってくれと頼むと消えてしまいます。

 

僕は能謡曲について、東京国立文化財研究所時代、同僚だった羽田昶さんから多くを教えてもらいました。その羽田さんが中心となって編集した『能狂言事典』(平凡社 1987年)は、「草刈りのその夜の夢に、矛を持った項羽と愛妃虞美人の霊がありし日の姿を見せ、四面楚歌の中、虞氏哀切の最後<舞働>と項羽焦燥の苦戦・悲憤の自刃を再現して見せるのだった」と〆てあります。

2026年2月25日水曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 8


 姜夔きょうき「虞美人草」 

  劉邦 項羽を包囲した 夜更けに楚の歌わき起こり 

  玉のとばり様は 悲憤慷慨されました 

  烏江うこうの駅長「江東……」と 再起されよと鼓舞するも 

  蓬よもぎの中に妾奴わたしめを 打ち捨て 出陣し…… 

  石になったらどうやって 話をすることできましょう 

  しかし草花そうかになったなら 舞うことできます風受けて 

  愛馬の騅すい様の 帰来を待ちます道端で 

  でも心配で……一顧だに してくれないのじゃないですか? 

2026年2月24日火曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 7

 


ヒナゲシが我が国に伝えられるずっと前から、知識人はみなこの史実を知っていました。司馬遷の『史記』に「項羽本紀」があったからです。そこに「垓下がいかの歌」が引かれていましたから、みな愛吟していたことでしょう。

 

もっとも虞美人の血から虞美人草が生まれたという言い伝えがいつ生まれたのか知りませんが、遅くとも宋代にあったことは、姜夔きょうき五言律詩「虞美人草」が教えてくれます。僕は黒川洋一ほか編『中国文学歳時記』<春・下>(同朋舎 1988年)によってこの詩を知りました。これまた哀情あふれる一首です。戯訳だとよく伝わらないかもしれませんが( ´艸`)


姜夔は南宋の詩人、生涯官途に就かず、江湖を逍遥して終わりましたが、有名な范成大などと吟詠酬唱、その詩は風格高秀とたたえられたそうです。じつは「中華詩詞網」で検索すると、虞美人草を詠んだ詩がたくさんヒットします。それらも単にヒナゲシをたたえるのではなく、みな美しくも哀しい虞美人の面影を反映させているようです。 


2026年2月23日月曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 6

 


 項羽は劉邦(のちの漢の高祖)とともに秦を滅ぼして楚王になります。しかしその後劉邦と覇権を争うことになり、ついに安徽省の垓下で劉邦の軍に囲まれもうこれまでと別れの宴を開くのです。このときに詠んだ七言古詩「垓下がいかの歌」です。というよりも、「四面楚歌」のもとになった説話として有名ですね。

 

項羽は城から打って出ると烏江うこうで自刎、その愛姫・虞美人は城中で自刃し後を追います。この虞美人の鮮血からヒナゲシが生まれたとする伝説により、これを虞美人草と呼ぶことになったそうです。先に「虞美人って、アグネス・チャンみたいな女性だったのかな」と書きましたが、このジョークって今の若い人には通じないでしょうね( ´艸`)  

2026年2月22日日曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 5

 


今年の「饒舌館長ブログ」は、渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ 百花譜で綴る名詩鑑賞』(亜紀書房 2017年)にしたがって、春の花をたたえた漢詩7首ほどの戯訳から始めました渡部さんは虞美人草ひなげしの詩として、項羽の「垓下がいかの歌」を挙げていました。話の都合上、それを再アップすることをお許しください。 


楚・項羽「垓下の歌」<虞美人草ひなげし 

  我が勢力は劉邦りゅうほうを 圧倒してるし意気軒昂いきけんこう 

  しかし時勢が味方せず 愛馬の騅すいも尻込みす 

  騅が尻込みするようじゃ 一体どうすりゃいいのだろう 

  我が愛妾の虞美人を 一体どうすりゃいいのだろう 

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 11

この茶壷を 所有した にちがいない 高位貴顕 も、 使ったり眺めたりした 上層町衆 も 、 ひとしなみに 「垓下 がいか の歌」や「項羽」を思い出したことでしょう。いや、絵付けは虞美人草なのですから、 まず初めに は虞美人が胸底に浮かんだ にちがいありません 。   この仁清作「...