2026年2月11日水曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣18

  


 清少納言の歌は、有名な中国の故事を下敷きにしていましたから、そちらの方を取り上げて描けば問題なかったのです。しかし重要なのは、函谷関と中国の関守を描きながら、真の主題は清少納言の相聞歌であったという点です。もっともこれは、藤原行成と恋人同士を気取って詠んだ戯れ歌だそうですが、この絵のテーマは「恋」だといって不可ないのです。 

 「在原業平」の一には、砧を打つ月下の景が描かれています。これは明らかに世阿弥の傑作とたたえられるお能「砧」に取材しています。訴訟のため上京し帰って来ない夫を慕う妻が、砧を打ってさみしさを慰めるのですが、待ち焦がれるうちに亡くなってしまいます。 

2026年2月10日火曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣17

 


 孟嘗君は中国・戦国時代、斉でしたその孟嘗君の故事を、清少納言一首ベースにしているです。孟嘗君が秦に遣わされて監禁されたとき、連れていた大勢の食客のうち、盗みの巧みな男と鶏の鳴き声を真似ることがうまい男のお陰で、警備きわめて厳重な函谷関をすり抜け無事斉へ帰国できたという故事です。清少納言が詠んだ歌のもとになった中国故事の方を、北斎は取り上げて描いたのです。 

しかし北斎は、どうしてこんな面倒くさいことをやったのでしょうか。それは先に指摘したように、5組の日中ペアを作るため、どうしても必要だったからです。これを清少納言そのままで、つまり日本の風物で描いてしまったら、日中の5ペアはできなくなってしまいます。 

2026年2月9日月曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣16

  「清少納言×在原業平」は恋のペアです。清少納言は平安時代の女房なのに、「詩哥写真鏡」では中国の景になっていますが、これには理由があります。「百人一首」に採られる清少納言の「夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関は揺るさじ」がテーマになっているからです。この一首を久保田淳さんは、つぎのように訳しています。

あの孟嘗君もうしょうくんの食客のように、まだ夜明けまで間があるのに、偽って鶏鳴の真似をしても、おろかな函谷関かんこくかんの関守ならばともかく、逢坂の関の関守は、まさか旅人の通り過ぎるのを許しますまい。――わたしはだまされて、たやすく戸を開けてあなたと逢ったりはいたしませんよ。

2026年2月8日日曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣15

 


……とここまで書いて、そういえば前にも韓愈の「左遷せられて藍関に至り姪孫の湘に示す」に戯訳を付けたことがあったなぁと思い出しました。「汝」を韓湘とする旧訳の方がいいような気もするので、アップさせてもらうことにしましょう 

 上奏文を朝方に 一通上げたよ朝廷へ 

 夕べにゃ左遷さ八千里 遠く遥かな潮州へ 

 天子のために弊害を 取り除かんとしたまでで 

 老残の身だ わずかなる 余命を惜しむ気などない 

 秦嶺山脈 雲垂れて 我が家がどこかも分からない 

 藍田関は雪景色 我が乗る馬も尻ごみす 

 わざわざ湘君 来てくれた その気持ちなら分かってる 

 瘴江――毒気に満つほとり 俺の遺骨を拾うべし 

2026年2月7日土曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣14

 

ちょうど子供くらいでしょうか、そんな年齢差の韓湘に対するや韓愈のさしい思いやりを読み取りたいのです。それは肉親の情愛といってよいでしょう。清水茂校注『韓愈』<『中国詩人選集』11>(岩波書店 1958年)によると、この詩は『太平記』に引かれ、また織田信長と稲葉一徹の逸話が伝えられるなど、日本人にとってもっとも著名な韓愈詩だったそうです。 

「木賊苅」は世阿弥作ともいわれるお能「木賊」に取材しています。都の僧の若い弟子・松若が、信濃国で木賊刈をやっている父を訪ねて行くと、老父はそれと気づかずに別れた愛児を慕いつつ、その舞の手振りを真似ながら舞うのでした。まさに親子の情、肉親の情愛が主題となっているのです。同じく肉親の情愛を強く感じさせる韓愈の詩と、違和感なく結びつくでしょう両者は都を遠く離れた異郷という点でもペアにふさわしいですね。 

2026年2月6日金曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣13

 

 画題空欄一図をみると、雪のなかで確かに馬がイヤイヤをしているじゃ~ありませんか。この韓愈の七言律詩であることは、いささかも疑いありません。韓愈は儒教を尊んだ中唐の文章家にして詩人、詩にある「上奏文」とは、仏教信者の憲宗に奉った「仏骨を論ずる表」のことです。韓愈はこの詩を姪孫てっそん、つまり次兄韓介の孫である韓湘かんしょうに贈ったのです。 

このとき韓愈は52歳、韓介は26歳でした。韓愈は自分の生き方に誇りを感じつつも、韓湘にはこんな人生の悲哀を味わってほしくない――という気持ちを込めたにちがいありません。ちなみにその後神仙の術を学んだ韓湘は、有名な八仙人の一人に数えられるようになりました。 

2026年2月5日木曜日

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣12

 

    上奏文を宮殿の 天子へあした奉りゃ 

  夕べに遠路も八千里 ある潮州ちょうしゅうへ流された 

  聖天子のため悪弊を 取り除こうとしただけで 

  老いさらばえたこの身ゆえ 長生きしたい――とは露も…… 

  秦嶺しんれい山脈 雲の中 旧家はいずこの方角か? 

  藍田関らんでかんは豪雪に 埋うずもれ馬も進みません 

  愛馬よ!!ここまで来たのには 目的あってのことだろう 

  それなら遺骨を瘴気しょうき満つ 河のほとりに埋めてくれ!! 

北斎をネタにした斬新な見方の浮世絵版画展が今すみだ北斎美術館で開催中❣❣❣18

    清少納言の歌は、有名な中国の故事を下敷きにしていましたから、そちらの方を取り上げて描けば問題なかったのです。しかし重要なのは、函谷関と中国の関守を描きながら、真の主題は清少納言の 相聞歌 であったという点です。 もっともこれは 、藤原行成と 恋人同士 を気取って詠んだ 戯...