100万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2026年9月1日火曜日

追悼 草間彌生さん2


 

 草間がいま85歳であることを考えれば、尊敬に値することです。しかし固定観念にとらわれやすい日本人は、戸惑いながら会場をあとにするかもしれません。かくいう僕も、一番好きなのは、静岡県立美術館の「無題」(1959)なのです。


作日、『無限の網 草間彌生自伝』をはじめて読みましたが、外国大学からのオファーにこたえる勇気をもたなかった小心者の僕にとって、草間は異次元に生きる人間のように感じられたことでした。


先日、京都市立銅駝美術工芸高等学校へ挨拶にうかがったとき、校長の中村則和さんから、草間がここの卒業生であることをお聞きしました。この変った校名は、洛陽から西域に向かう地点に銅でできた駱駝が立っており、それに由来する平安京以来の「銅駝坊」にちなむものだそうです。このアールデコ風の校舎で学びながら、草間は自由なアメリカへの憧れを高ぶらせていったのでした。


*上掲のただ薄い鼠色に見える平面が、草間彌生さんの静岡県立美術館所蔵「無題」という作品です。饒舌館長が選ぶベストワンですね。

 

2026年8月31日月曜日

追悼 草間彌生さん1

 日本を代表する、いや、世界に冠たるコンテンポラリーアーティスト草間彌生さんが8月14日お亡くなりになりました。享年97。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 12年前、秋田市立千秋美術館で「草間彌生 永遠の永遠の永遠」を観て改めて感を深くし、そのころやっていたブログ「おしゃべり名誉館長」にオマージュを捧げました。その後何度か草間芸術に触れる機会はありましたが、その印象記をブログにアップすることは一度もなかったように思います。「永遠の永遠の永遠」印象記を再録して、追悼の辞に代えることをお許しくださいませ。

秋田市立千秋美術館「草間彌生 永遠の永遠の永遠」(2014719日)

         草間彌生は日本のピカソだ!! 決して自己模倣に陥りません。2004年以降、この10年間の最新作を集めたこの特別展でも自己変革を見せつけます。水玉と網目模様という草間イメージを否定、人間の顔や生物をモノクロームで即興的に描き、シルクスクリーンに転写した「愛はとこしえ」。そこにサイケデリックなアクリルのポリクロームを加えて、増殖し続ける「わが永遠の魂」。 

 

2026年8月30日日曜日

坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」聴講ありがとう❣❣❣

 


 昨日、午後2時から鶴見駅前ホールで開催された坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」が満席盛況のうちに終了しました。ご聴講いただいた皆さまありがとうございました❣❣❣ 琳派をライトモチーフにする「坐・琳派展」が12年も続いていること自体、現代における琳派の底力を物語っています。 

 まず鶴見画廊で開催中の「坐・琳派展 第12回」を鑑賞したあと、この講演会に臨みました。タイトルに「現代」とあるとおり、コンテンポラリー琳派を〆に持っていったのがミソだったかな? 

 その一人にセレクトさせてもらった実行委員会会長の浅野康則さん、司会役をつとめてくれた古川巧さん、改めてお礼申し上げたく存じます。 古川さんは半世紀以上まえ、東海大学講師時代の学生さん、僕も出品した「横浜開港記念アンデパンダン」をエントリーしたとき紹介したように思います。 彼のお蔭でそのときの学生さんがほかにも聴講してくれました。 当時は先生と学生でしたが、今や同世代の後期高齢者同士です( ´艸`)  

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!13


  頼富本宏氏の著書『密教とマンダラ』<NHKライブラリー>(2003年)を開くと、第4章「マンダラとは何か」において「色と形のシンボリズム」であると規定しているのです。「マンダラはおおむね円と正方形が中心となって構成されているという事実である。この傾向は、決して偶然ではなく、シンボリズムの立場から大変重要な意味をもっている」として、詳述しています。色彩についても「形而上学」と題して、その象徴的意味をとても分かり易く説明しています。

もっとも金岡秀友氏は、『密教の哲学』(講談社学術文庫)において、密教を「極端な秘密主義の中に開花した高度に発達した象徴の哲学」という先入観でみることに異を唱えているようですが、密教が象徴主義的であることは否定できないように思われます。このように密教が象徴主義的宗教であったとすれば、これは日本文化の性格ととてもよく似ていることになります。

2026年8月29日土曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!12


密教では、現実世界のなかにひそむ象徴を直感によって解読しなければならないことになります松長は『密教・コスモス・マンダラ』に先立って著わした『密教』<岩波新書179>(1991年)のなかで、密教芸術の場合についてこの点を「投影」という言葉で単刀直入に指摘しています。


 西洋の芸術作品では、作者とか鑑賞者といった人間が中心となって、それらの目で作品が構成されている。それに対して密教の芸術は、現実社会の個々の事物の中に宇宙生命の投影をみて、それらを具体的な姿をとったものとして現実世界に出現させる。


 そもそもこの「感覚で捉える」章の副題は「密教のシンボリズム」なんです。このような密教のシンボリズムについて、とくに曼荼羅を例にあげて強調するのが頼富本宏です。

2026年8月28日金曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!11


松長有慶は、先の引用箇所でも盛んに「象徴」という言葉を使っていますが、その少しあとでつぎのように述べています。

 

われわれは、真理そのものと直接接触することはできない。その意味で果分はたしかに不可説である。ところが密教では、このように現実世界のなかにひそむ象徴を直観をもって解読するとき、果分はたちまちにして可説に転ずる。真理もまた表現できると主張する根拠は、ここにあるといってよいであろう。


 この「果分」とは真理のことです。中国仏教では、現象世界を因分といい、絶対の世界、真理の世界を果分と名づけたそうです。果分は中国で生まれた言葉のようですが、真理は言語によって正確に表現することは不可能であるというのが、仏教のみならず宗教界においては常識とされてきました。これを「果分不可説」――「果分は説くべからず」というそうです

2026年8月27日木曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!10

 


人間の感覚器官である五根やその対象となる五境を、密教では重視する、少なくとも肯定するというのですから、これ感覚主義と呼ぶことが許されるでしょう。理性よりも感性を重視する、あるいは理性よりも感性に快感を覚える性向です。


日本人がきわめて感覚的であることは、すでに多くの指摘がありますが、僕は和歌と漢詩を比較してみるのがもっとも手っ取り早いと思います。これを美術についてみれば、日本美術が感覚的表現を志向することが思い出されるでしょう。

 

岡倉天心は日本美術の変遷を総括して7つの特質を挙げましたが、「仏教の哲理によりて唯心論に傾き、写生を離れて実物以外に美の存在を求む」というのがその一つでした。ここでいう「仏教」とは、密教だけでなく顕教も含めての話でしょうが……。天心は唯心論と述べていますが、理性主義的な写生に対して、感覚的であるという指摘にほかなりません。矢代幸雄のいう日本美術4大特質の一つ「印象性」とも有無通じるところがあるでしょう。

追悼 草間彌生さん2

   草間がいま85歳であることを考えれば、尊敬に値することです。しかし固定観念にとらわれやすい日本人は、戸惑いながら会場をあとにするかもしれません。かくいう僕も、一番好きなのは、静岡県立美術館の「無題」(1959)なのです。 作日、『無限の網 草間彌生自伝』をはじめて読みました...