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2026年8月30日日曜日

坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」聴講ありがとう❣❣❣

 


 昨日、午後2時から鶴見駅前ホールで開催された坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」が満席盛況のうちに終了しました。ご聴講いただいた皆さまありがとうございました❣❣❣ 琳派をライトモチーフにする「坐・琳派展」が12年も続いていること自体、現代における琳派の底力を物語っています。 

 まず鶴見画廊で開催中の「坐・琳派展 第12回」を鑑賞したあと、この講演会に臨みました。タイトルに「現代」とあるとおり、コンテンポラリー琳派を〆に持っていったのがミソだったかな? 

 その一人にセレクトさせてもらった実行委員会会長の浅野康則さん、司会役をつとめてくれた古川巧さん、改めてお礼申し上げたく存じます。 古川さんは半世紀以上まえ、東海大学講師時代の学生さん、僕も出品した「横浜開港記念アンデパンダン」をエントリーしたとき紹介したように思います。 彼のお蔭でそのときの学生さんがほかにも聴講してくれました。 当時は先生と学生でしたが、今や同世代の後期高齢者同士です( ´艸`)  

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!13


  頼富本宏氏の著書『密教とマンダラ』<NHKライブラリー>(2003年)を開くと、第4章「マンダラとは何か」において「色と形のシンボリズム」であると規定しているのです。「マンダラはおおむね円と正方形が中心となって構成されているという事実である。この傾向は、決して偶然ではなく、シンボリズムの立場から大変重要な意味をもっている」として、詳述しています。色彩についても「形而上学」と題して、その象徴的意味をとても分かり易く説明しています。

もっとも金岡秀友氏は、『密教の哲学』(講談社学術文庫)において、密教を「極端な秘密主義の中に開花した高度に発達した象徴の哲学」という先入観でみることに異を唱えているようですが、密教が象徴主義的であることは否定できないように思われます。このように密教が象徴主義的宗教であったとすれば、これは日本文化の性格ととてもよく似ていることになります。

2026年8月29日土曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!12


密教では、現実世界のなかにひそむ象徴を直感によって解読しなければならないことになります松長は『密教・コスモス・マンダラ』に先立って著わした『密教』<岩波新書179>(1991年)のなかで、密教芸術の場合についてこの点を「投影」という言葉で単刀直入に指摘しています。


 西洋の芸術作品では、作者とか鑑賞者といった人間が中心となって、それらの目で作品が構成されている。それに対して密教の芸術は、現実社会の個々の事物の中に宇宙生命の投影をみて、それらを具体的な姿をとったものとして現実世界に出現させる。


 そもそもこの「感覚で捉える」章の副題は「密教のシンボリズム」なんです。このような密教のシンボリズムについて、とくに曼荼羅を例にあげて強調するのが頼富本宏です。

2026年8月28日金曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!11


松長有慶は、先の引用箇所でも盛んに「象徴」という言葉を使っていますが、その少しあとでつぎのように述べています。

 

われわれは、真理そのものと直接接触することはできない。その意味で果分はたしかに不可説である。ところが密教では、このように現実世界のなかにひそむ象徴を直観をもって解読するとき、果分はたちまちにして可説に転ずる。真理もまた表現できると主張する根拠は、ここにあるといってよいであろう。


 この「果分」とは真理のことです。中国仏教では、現象世界を因分といい、絶対の世界、真理の世界を果分と名づけたそうです。果分は中国で生まれた言葉のようですが、真理は言語によって正確に表現することは不可能であるというのが、仏教のみならず宗教界においては常識とされてきました。これを「果分不可説」――「果分は説くべからず」というそうです

2026年8月27日木曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!10

 


人間の感覚器官である五根やその対象となる五境を、密教では重視する、少なくとも肯定するというのですから、これ感覚主義と呼ぶことが許されるでしょう。理性よりも感性を重視する、あるいは理性よりも感性に快感を覚える性向です。


日本人がきわめて感覚的であることは、すでに多くの指摘がありますが、僕は和歌と漢詩を比較してみるのがもっとも手っ取り早いと思います。これを美術についてみれば、日本美術が感覚的表現を志向することが思い出されるでしょう。

 

岡倉天心は日本美術の変遷を総括して7つの特質を挙げましたが、「仏教の哲理によりて唯心論に傾き、写生を離れて実物以外に美の存在を求む」というのがその一つでした。ここでいう「仏教」とは、密教だけでなく顕教も含めての話でしょうが……。天心は唯心論と述べていますが、理性主義的な写生に対して、感覚的であるという指摘にほかなりません。矢代幸雄のいう日本美術4大特質の一つ「印象性」とも有無通じるところがあるでしょう。

2026年8月26日水曜日

おススメのサントリー美術館「眼のごちそう 食器」はもうすぐ終わります❣3

  


 松長有慶先生の『密教・コスモスとマンダラ』(NHKブックス)をはじめ、何冊か密教の本を読んで、延々と書いたことがすべて徒労に終わったように感じられました。しかしすでに書いちゃったし、ボツにするのも口惜しいので、この「眼のごちそう 食器」のあと再開しますが……( ´艸`)

 もう一点とくに心惹かれたのは「色絵縞文猪口」(個人蔵)ですね。側面一周に筋文を描き、黄、緑、青、紫に染め分けた細筒型のお猪口です。スゴクいいなぁ!! 帰宅してシャワーを浴びたあと、しばらく使っていなかった乾山写しの細筒型麦藁手猪口を、戸棚の奥から引っ張り出し福光屋さんの「加賀鳶」をやったことでした。


かつてMOA美術館のミューゼアムショップで求めた猪口のように思いますが、最近はあらゆる記憶が内藤やす子の名曲みたいになっちゃっています(´艸`)

2026年8月25日火曜日

おススメのサントリー美術館「眼のごちそう 食器」はもうすぐ終わります❣2

 


いま「饒舌館長ブログ」には、東京国立博物館の「空海と真言の名宝」展印象記を連載中ですが、チョッとお休みしてこの「眼のごちそう 食器」展をどうしても紹介したいと思った次第です。先日アップした川合康三さん真似をすれば、「いいですなあ」としか言いようのない展覧会です。それにあと1週間で終わっちゃうです。


「空海と真言の名宝」展印象記はもう少し続きますが、すでに全部書き終わっています日本人は密教の難しい教義や儀軌はよく理解できなかったけれども、広く信仰され、人気仏教(!?)になったのは、密教の感覚主義、象徴主義、現世肯定主義日本人は共感を寄せやすかった、あるいはそれに馴染みやすかったためであるというのが結論というか、独断と偏見です


それを証明しようとチョッと頑張ったのですが、そんなに頑張らなくたって、この「染付山水松梅文大鉢」の前に立てば、日本人の感覚主義、象徴主義、現世肯定主義は一目瞭然、何千字も費やす必要などモウトウなかったです

坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」聴講ありがとう❣❣❣

   昨日、午後2時から鶴見駅前ホールで開催された坐・琳派展第12回特別講演会「現代における琳派の底力」が満席盛況のうちに終了しました。ご聴講いただいた皆さまありがとうございました❣❣❣ 琳派をライトモチーフにする「坐・琳派展」が12年も続いていること自体、現代における琳派の底力...