2026年2月26日木曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 9

 


 当時の知識人や教養人これらを知っていたことは言うまでもありません。しかし項羽や虞美人により一層深く馴染み、強い共感や愛惜の念を抱くようになった契機として、能謡曲の「項羽」に指を折りたい誘惑に駆られるのです作者不詳の五番目物です。

 

秋草を刈り取って家路につく草刈りたちが、老人のあやつる渡し舟に乗せてもらいます。すると老人は草束のなかから朱色の花一本だけを所望して抜き取り、これは項羽の虞美人を葬った塚から生えた美人草だと語り始めるのです。そして自分こそ項羽の霊だと身を明かし、あとを弔ってくれと頼むと消えてしまいます。

 

僕は能謡曲について、東京国立文化財研究所時代、同僚だった羽田昶さんから多くを教えてもらいました。その羽田さんが中心となって編集した『能狂言事典』(平凡社 1987年)は、「草刈りのその夜の夢に、矛を持った項羽と愛妃虞美人の霊がありし日の姿を見せ、四面楚歌の中、虞氏哀切の最後<舞働>と項羽焦燥の苦戦・悲憤の自刃を再現して見せるのだった」と〆てあります。

2026年2月25日水曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 8


 姜夔きょうき「虞美人草」 

  劉邦 項羽を包囲した 夜更けに楚の歌わき起こり 

  玉のとばり様は 悲憤慷慨されました 

  烏江うこうの駅長「江東……」と 再起されよと鼓舞するも 

  蓬よもぎの中に妾奴わたしめを 打ち捨て 出陣し…… 

  石になったらどうやって 話をすることできましょう 

  しかし草花そうかになったなら 舞うことできます風受けて 

  愛馬の騅すい様の 帰来を待ちます道端で 

  でも心配で……一顧だに してくれないのじゃないですか? 

2026年2月24日火曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 7

 


ヒナゲシが我が国に伝えられるずっと前から、知識人はみなこの史実を知っていました。司馬遷の『史記』に「項羽本紀」があったからです。そこに「垓下がいかの歌」が引かれていましたから、みな愛吟していたことでしょう。

 

もっとも虞美人の血から虞美人草が生まれたという言い伝えがいつ生まれたのか知りませんが、遅くとも宋代にあったことは、姜夔きょうき五言律詩「虞美人草」が教えてくれます。僕は黒川洋一ほか編『中国文学歳時記』<春・下>(同朋舎 1988年)によってこの詩を知りました。これまた哀情あふれる一首です。戯訳だとよく伝わらないかもしれませんが( ´艸`)


姜夔は南宋の詩人、生涯官途に就かず、江湖を逍遥して終わりましたが、有名な范成大などと吟詠酬唱、その詩は風格高秀とたたえられたそうです。じつは「中華詩詞網」で検索すると、虞美人草を詠んだ詩がたくさんヒットします。それらも単にヒナゲシをたたえるのではなく、みな美しくも哀しい虞美人の面影を反映させているようです。 


2026年2月23日月曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 6

 


 項羽は劉邦(のちの漢の高祖)とともに秦を滅ぼして楚王になります。しかしその後劉邦と覇権を争うことになり、ついに安徽省の垓下で劉邦の軍に囲まれもうこれまでと別れの宴を開くのです。このときに詠んだ七言古詩「垓下がいかの歌」です。というよりも、「四面楚歌」のもとになった説話として有名ですね。

 

項羽は城から打って出ると烏江うこうで自刎、その愛姫・虞美人は城中で自刃し後を追います。この虞美人の鮮血からヒナゲシが生まれたとする伝説により、これを虞美人草と呼ぶことになったそうです。先に「虞美人って、アグネス・チャンみたいな女性だったのかな」と書きましたが、このジョークって今の若い人には通じないでしょうね( ´艸`)  

2026年2月22日日曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 5

 


今年の「饒舌館長ブログ」は、渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ 百花譜で綴る名詩鑑賞』(亜紀書房 2017年)にしたがって、春の花をたたえた漢詩7首ほどの戯訳から始めました渡部さんは虞美人草ひなげしの詩として、項羽の「垓下がいかの歌」を挙げていました。話の都合上、それを再アップすることをお許しください。 


楚・項羽「垓下の歌」<虞美人草ひなげし 

  我が勢力は劉邦りゅうほうを 圧倒してるし意気軒昂いきけんこう 

  しかし時勢が味方せず 愛馬の騅すいも尻込みす 

  騅が尻込みするようじゃ 一体どうすりゃいいのだろう 

  我が愛妾の虞美人を 一体どうすりゃいいのだろう 

2026年2月21日土曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 4

 


 芥子が我が国へ伝えられたのは室町時代のようですが、ポルトガル人がもたらしたとなると室町時代も後期であり、戦国時代、あるいは安土桃山時代の初期ということになるでしょう。我が国美術のモチーフとして登場してくるのは、確かにこれ以降のことです。よく知られているのは、ボストン美術館が所蔵する宗達派の「芥子図屏風」ですね。また出光美術館には芥子と麦を一双に描き分けた狩野重信筆麦・芥子図屏風」があります。 


仁清の主な活躍期は少しずれているかもしれませんが、寛文年間とみて間違いありませんから、やはり新しく渡来した美しい花に対する興味があったことは否定できません。しかし日本の知識人教養人は、それよりずっと早くから芥子やヒナゲシを知っていたはずです。ただし「虞美人草」という名前で…… 

2026年2月20日金曜日

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 3


  愛用する麓次郎『四季の花事典 花のすがた花のこころ』(八坂書房 1985年)には「ヒナゲシ」の項があって、芥子はすべてれに含まれていますヒナゲシと芥子はチョット異なりますが歴史的には厳密に区別することが難しいようで、この事典でも一緒に扱われていますので、それにしたがうことにしましょうここにはつぎのような、じつにおもしろい事実が報告されています。

わが国への渡来は室町時代といわれ、しかも本州の最北端津軽(青森県)の地にポルトガル人によってもたらされたといい、江戸時代はアヘンのことを「津軽」と呼んでいたとのことである。何故、津軽に最初に伝わったのか、その理由は不明である。ただ、雪国津軽の農民達は越冬性のこの薬用ケシをアヘン採集用の植物として栽培するよりも、むしろ冬季の美味な蔬菜として重宝していた。 

オチャケならぬお茶が大好きな方々に絶対おススメの「出光美術館蔵 茶道具名品展」が大倉集古館で開かれています!! 9

   当時の知識人 や教養人 が 、 これらを知っていたことは言うまでもありません 。しかし項羽や虞美人により一層深く馴染み、強い共感や愛惜の念を抱くようになった契機として、能謡曲の「項羽」に指を折りたい誘惑に駆られ るのです 。 作者不詳の五番目物です。   秋草を 刈り取って...