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2026年5月18日月曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」7


その流行は平安中期 (10世紀)に始まり、大嘗会屏風も、悠紀主基の国郡内の地名に因む儀礼化された名所絵であった。中世以降、名所絵の伝統は絵巻物をはじめ広く継承され、『洛中洛外図』 屏風や歌川広重葛飾北斎などの浮世絵風景版画にまで及んでいる。


 この辞典では執筆者名が省かれていますが、この項目は大著『平安時代の世俗画』(吉川弘文館 1964年)を上梓された秋山光和先生だったにちがいありません。名所絵とは、このような日本絵画のすぐれた一ジャンルだったのです。


しかし僕は、ここでも中国絵画との関係を考えてみたい誘惑に駆られるのです。かつて『唐詩選』<岩波文庫>を読んでいたとき、杜甫の「厳鄭公げんていこうの庁事なる岷山沲江みんざんたこうの画図を観奉る十韻」に逢着して、とても興味を掻き立てられたからです。この五言排律について、前野直彬先生はつぎのように解説していらっしゃいます。



 

2026年5月17日日曜日

カエルも骸骨も踊り出す サントリー美術館・暁斎ワールドの迷宮へようこそ❣❣❣13

 

 

 日比谷高校昭和37年卒同期美術ファンでサントリー美術館「河鍋暁斎の世界」展を鑑賞しました。去年の「絵金」展と同様、我らが幕末明治絵画のエナジーとファンタジーに皆さん魅了されている様子でした。サントリー美術館企画委員として、こんなうれしいことはありません。

 鑑賞後これまた絵金展のときと同じく、「魚真」乃木坂店へ直行、絶品の岩ガキと「酔鯨」で大いに盛り上がりました。まずは乾杯、続けて2025年度日本記者クラブ賞・功労賞を受賞した川戸惠子さんへ祝杯を献じました。

 話題は現在の紛糾する国際問題から日本人論へ、さらにこの日参加できなかった仲間の近況報告まで、尽きることはありませんでした。僕の好きな下世話な話は割に少なかったかな😅 上掲の写真は名カメラマン横山実兄によるところーーだから暁斎にも詳しい浮世絵研究家が写っていないんです。

出光美術館<門司>「日本の名所絵」6

  

 それがいつしかシェイクスピアは舞台芸術に昇華し、歌舞伎ははじめのエンターテーメント的要素を大切に保ち続けているのではないでしょうか。そんな歌舞伎に、僕はいよいよ親しみを覚えるです。

 話がお酒から風俗画へ、それから歌舞伎やシェイクスピアにいっちゃいましたが、本展のメインテーマは「名所絵」です。それじゃ~名所絵とはなんぞや? 僕もチョッと関係した『新潮世界美術辞典』には、つぎのように説明してあります。


平安一鎌倉時代の屏風絵障子絵において、各地の名所を選び、 季節感や人事などをも盛りこんで描き連ねたもので、和歌と合せて鑑賞された。月次絵、四季絵と並び、あるいはこれらと組合されて最も愛好され、嵯峨野逢坂の関、明石の浦、吉野山、武蔵野、白河の関など、歌枕として知られた諸国の名所や、特定地域の名所が描かれた。

2026年5月16日土曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」5

 


さらに、嗜好品を買う余裕のある人のために、林檎や梨両方とも期待はずれの場面では飛び道具として使われる、ナッツ類、ジンジャーブレッド、瓶エール、それと最新流行の商品となったタバコが用意された。小さいパイプ用のタバコの葉で三ペンスもし。入場料より高い! トイレはなかった、もしくは、公式なのはなかった。収容人数は多かったが、当時の劇場にはほどよい親密感が漂い、どの席も舞台から五十フィート(十五メートル)と離れていなかった。 


はっきりと指摘されていませんが、林檎や梨が期待はずれの場面で飛び道具になったというのは、それらを食べながら、そして瓶エール飲みながら観ていたのでしょう。つまり歌舞伎もシェイクスピアも最初は同じような大衆演劇だったので



2026年5月15日金曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」4

 


 シェイクスピアが後輩の劇作家ジョン・フレッチャーと一緒に書いた『ヘンリー八世』がグローブ座で上演されていた一六一三年六月二九日、よく晴れた日のことだった。舞台裏で音響効果として使っていた空砲から、火のついた紙切れが風にあおられて舞い上がり、グローブ座の乾燥しきった藁ぶき屋根についたかと思うと、あっという間に火の手がまわって、 劇場は一時間ほどで燃え尽きてしまった。幸い怪我人は出ず、逃げ遅れた一人の客の上着に火がついたが、ほかの客が観劇中に飲んでいたビールをかけて消し止めた。


 またビル・ブライソン<小田島則子・小田島恒志訳>『シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと』(NHK出版 2008年)を読んでみると、つぎのようにも書いてありました。

2026年5月14日木曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」3


 これほどリアリティにあふれながら、場所を特定することがむずかしいのです。つまりある典型が描かれているのです。それは歌舞伎の観客についても指摘できることにちがいありません


彼らを見てください。楽しそうに飲んだり食ったりしながら歌舞伎を観ています。それは普通に行なわれていたことであり、歌舞伎の典型なのです。興味深いことに、この風習は現在の歌舞伎でも受け継がれています。すでにアップしたように、今年のはじめ「新春 寿 大歌舞伎」を堪能しました。尾上右近がすごくよかったのですが、そのとき桟敷席でオッサン二人が一杯やりながら観ていたです。


しかしこんなことが、かのロイヤル・シェークスピア・シアターで許されるのかどうか、とても興味を掻き立てられました。そこで河合祥一郎さんの『シェイクスピア 人生劇場の達人』<中公新書>を読んでみると、つぎのような一節が見つかりました。

 

2026年5月13日水曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」2

 このなかの「僕の一点」は「江戸風俗図屏風」ですね。どんな絵師が描いたのか分かりませんが、パクス・トクガワーナにおける庶民の安寧と悦楽が生き生きと伝わってきます。とくに興味深いのは左隻の歓楽街です。この屏風は10年ほどまえ、出光美術館で開催された「『江戸名所図屏風』と都市の華やぎ」展に出陳されましたが、そのカタログにつぎのごとく説かれています。

川遊びと同じくらい広いスペースが与えられるのが、左下の芝居小屋を中心とした歓楽街である繰り芝居と歌舞伎芝居が並んで描かれているが、その場所は必ずしも特定されていない歌舞伎芝居の橋掛かりに立つ供奴の酢漿草紋かたばみもんが森田座の紋に一致し、それ故に木挽町と考える説と、芳町との地理的な整合性が取れないことから、中村座と土佐少掾橘正勝などの繰り芝居のある堺町・葺屋町とする説とが並列している。後者を取る場合、左上の鳥居は杉森稲荷とし、茶屋が軒を並べる往来は稲荷新道と定められるという。

出光美術館<門司>「日本の名所絵」7

その流行は平安中期 (10世紀)に始まり、大嘗会屏風も、悠紀主基の国郡内の地名に因む儀礼化された名所絵であった。中世以降、名所絵の伝統は絵巻物をはじめ広く継承され、『洛中洛外図』 屏風や歌川広重 、 葛飾北斎などの浮世絵風景版画にまで及んでいる。  この辞典 では 執筆者名が省か...