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2026年8月29日土曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!12


密教では、現実世界のなかにひそむ象徴を直感によって解読しなければならないことになります松長は『密教・コスモス・マンダラ』に先立って著わした『密教』<岩波新書179>(1991年)のなかで、密教芸術の場合についてこの点を「投影」という言葉で単刀直入に指摘しています。


 西洋の芸術作品では、作者とか鑑賞者といった人間が中心となって、それらの目で作品が構成されている。それに対して密教の芸術は、現実社会の個々の事物の中に宇宙生命の投影をみて、それらを具体的な姿をとったものとして現実世界に出現させる。


 そもそもこの「感覚で捉える」章の副題は「密教のシンボリズム」なんです。このような密教のシンボリズムについて、とくに曼荼羅を例にあげて強調するのが頼富本宏です。

2026年8月28日金曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!11


松長有慶は、先の引用箇所でも盛んに「象徴」という言葉を使っていますが、その少しあとでつぎのように述べています。

 

われわれは、真理そのものと直接接触することはできない。その意味で果分はたしかに不可説である。ところが密教では、このように現実世界のなかにひそむ象徴を直観をもって解読するとき、果分はたちまちにして可説に転ずる。真理もまた表現できると主張する根拠は、ここにあるといってよいであろう。


 この「果分」とは真理のことです。中国仏教では、現象世界を因分といい、絶対の世界、真理の世界を果分と名づけたそうです。果分は中国で生まれた言葉のようですが、真理は言語によって正確に表現することは不可能であるというのが、仏教のみならず宗教界においては常識とされてきました。これを「果分不可説」――「果分は説くべからず」というそうです

2026年8月27日木曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!10

 


人間の感覚器官である五根やその対象となる五境を、密教では重視する、少なくとも肯定するというのですから、これ感覚主義と呼ぶことが許されるでしょう。理性よりも感性を重視する、あるいは理性よりも感性に快感を覚える性向です。


日本人がきわめて感覚的であることは、すでに多くの指摘がありますが、僕は和歌と漢詩を比較してみるのがもっとも手っ取り早いと思います。これを美術についてみれば、日本美術が感覚的表現を志向することが思い出されるでしょう。

 

岡倉天心は日本美術の変遷を総括して7つの特質を挙げましたが、「仏教の哲理によりて唯心論に傾き、写生を離れて実物以外に美の存在を求む」というのがその一つでした。ここでいう「仏教」とは、密教だけでなく顕教も含めての話でしょうが……。天心は唯心論と述べていますが、理性主義的な写生に対して、感覚的であるという指摘にほかなりません。矢代幸雄のいう日本美術4大特質の一つ「印象性」とも有無通じるところがあるでしょう。

2026年8月26日水曜日

おススメのサントリー美術館「眼のごちそう 食器」はもうすぐ終わります❣3

  


 松長有慶先生の『密教・コスモスとマンダラ』(NHKブックス)をはじめ、何冊か密教の本を読んで、延々と書いたことがすべて徒労に終わったように感じられました。しかしすでに書いちゃったし、ボツにするのも口惜しいので、この「眼のごちそう 食器」のあと再開しますが……( ´艸`)

 もう一点とくに心惹かれたのは「色絵縞文猪口」(個人蔵)ですね。側面一周に筋文を描き、黄、緑、青、紫に染め分けた細筒型のお猪口です。スゴクいいなぁ!! 帰宅してシャワーを浴びたあと、しばらく使っていなかった乾山写しの細筒型麦藁手猪口を、戸棚の奥から引っ張り出し福光屋さんの「加賀鳶」をやったことでした。


かつてMOA美術館のミューゼアムショップで求めた猪口のように思いますが、最近はあらゆる記憶が内藤やす子の名曲みたいになっちゃっています(´艸`)

2026年8月25日火曜日

おススメのサントリー美術館「眼のごちそう 食器」はもうすぐ終わります❣2

 


いま「饒舌館長ブログ」には、東京国立博物館の「空海と真言の名宝」展印象記を連載中ですが、チョッとお休みしてこの「眼のごちそう 食器」展をどうしても紹介したいと思った次第です。先日アップした川合康三さん真似をすれば、「いいですなあ」としか言いようのない展覧会です。それにあと1週間で終わっちゃうです。


「空海と真言の名宝」展印象記はもう少し続きますが、すでに全部書き終わっています日本人は密教の難しい教義や儀軌はよく理解できなかったけれども、広く信仰され、人気仏教(!?)になったのは、密教の感覚主義、象徴主義、現世肯定主義日本人は共感を寄せやすかった、あるいはそれに馴染みやすかったためであるというのが結論というか、独断と偏見です


それを証明しようとチョッと頑張ったのですが、そんなに頑張らなくたって、この「染付山水松梅文大鉢」の前に立てば、日本人の感覚主義、象徴主義、現世肯定主義は一目瞭然、何千字も費やす必要などモウトウなかったです

2026年8月24日月曜日

おススメのサントリー美術館「眼のごちそう 食器」はもうすぐ終わります❣1



サントリー美術館「眼のごちそう 食器」<8月30日まで>


 とても楽しめる展覧会です!! 一つ一つが愛おしく感じられます。向付の一客、オテショウの一枚でもいいから欲しくなります。確かにこれらは見るだけですばらしい「眼のごちそう」ですが、この皿にどんな料理を盛ったら映えるか、この向付にはどの季節のがフィットするか、このお猪口には辛口か甘口か、お燗か冷やかなんて考えながら会場を巡れば、もっとワクワクしてきます。


事実、出品作品にお料理を盛った写真が展示されていますが、これがとてもいいです。源内焼の「三彩竹林七賢人文大鉢」に中華風の豆腐料理を盛った写真には、ヨダレが垂れてきそうでした。北大路魯山人がいったように、食器は料理の着物です。

 「僕の一点」は初期伊万里の「染付山水松梅文大鉢」(サントリー美術館蔵)ですね。どんなお料理にも合いそうですが、これには中華風ではなく、ゼッタイ和風の豆腐料理でいきたいですね

2026年8月23日日曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!9

 


ところが密教では否定されねばならぬ五境に、逆に真理が象徴として宿っているのだと説く。またその象徴を理解するために、一般仏教ではその活動を停止することが求められている五感を、逆に思いきって活用せよという。こういったところに、果分を可説たらしめた密教の積極的な姿勢を読み取ることができるであろう。


目という感覚器官を活用するための対象として、密教の華やかな荘厳具とか儀礼、曼荼羅などがある。密教の道場は一般仏教の各宗派の道場に比して、まことにきらびやかである。また荘重な宗教儀礼が数々用意されている。さらに曼荼羅といった宇宙の真理を凝縮した図形がある。人はこれらから視覚を通じて真理より送られてくる暗号を解読し、その内容を具体的に把握することができる。

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!12

密教では、現実世界のなかにひそむ象徴を直感によって解読しなければならない ことになります 。 松長 氏 は『密教・コスモス・マンダラ』に先立って著わした『密教』<岩波新書179>(1991年)のなかで、密教芸術の場合について この点を 「投影」という言葉で 単刀直入に指摘していま...