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2026年11月2日月曜日

前田青邨画伯50回忌法要 4

 


また今年の秋季院展から選んだ「僕の一点」の作者・渋澤青さんが女性であることも驚きでした。その力強い画風から、男性とばかり思っていたので、真彦さんの言は意外でした。


じつに楽しく充実した一日となりました。東慶寺の井上大光禅師によると、仏事供養とはいえ50回忌というのはお目出度いことだそうですから、楽しかったといっても天上の画伯には許してもらえると思います。


 文化庁長官をつとめた今日出海氏は、『前田青邨』<日本の名画15>(中央公論社 1979年)に寄せたエッセーにおいて、画伯を「平凡な非凡人」とたたえました。確かにそのとおりですが、同時に僕は「健康な近代的自我」をも感じずにはいられません。


「近代的自我」などというと、平凡な非凡人と矛盾するように思われるかもしれませんが、画伯の近代的自我は近代自画像の傑作である「白頭」(東京藝術大学蔵)に象徴されています。近代以前にはなかった意欲的な画題選択や、大胆な構図も近代的自我によって生み出されたものでした。

2026年11月1日日曜日

前田青邨画伯50回忌法要 3

 

 画伯のお弟子さんである平山郁夫先生や、お嬢さんの日出子さんとご夫君の秋山光和先生をはじめ、たくさんの方が参加されましたが、僕もそのなかに入れてもらったんです。東北大学からこの貴重な作品を借り出してきた辻惟雄さんのカバンモチだったかな(´艸`)

はじめてお会いする画伯の凜としたお姿に感を深くしたことが、半世紀以上を経てまざまざと眼前によみがえってきたことでした。最後に円覚寺の法堂にお参りし、画伯とお弟子さんである守屋多々志さんのコラボ作品ともいうべき「白龍図天井画」を拝見しましたが、その下でしばらくぶりに中村真彦さんと親しくお話しする機会に恵まれました。


先日東京文化財研究所の第1回画論フォーラムで「日本の画論と坂崎坦」という拙い講演を行なったことはすでにアップしましたが、その坂崎坦先生と青邨画伯が親しかったらしく、一緒に写った写真があることを教えていただきました。

2026年10月31日土曜日

前田青邨画伯50回忌法要 2



 美味しいお斎
ときを堪能したあと、画伯がお住まいだった円覚寺の伝宗庵でんしゅうあんへお参りしました。お薬師様の彫像に守られるアトリエに入れていただくと、画伯がお元気だったころ多くの方々と一緒にお邪魔したときの情景が、昨日のことのごとくよみがえってきました。

大正11年1922画伯は朋友・小林古径とともに日本美術院留学生として渡欧、大英博物館では東晋の画家・顧愷之の「女史箴図巻」の模写を行ないました。このプロジェクトを推進したのは福井利吉郎先生だったようで、先生が教授をつとめていた東北大学にこの二大画家による模写本が伝えられてきました。


しかし各図に署名がないため、どの図を画伯が、どの図を古径さんが担当して描いたのかまったく分かりません。そこで東北大学に着任して間もなくの辻惟雄さんが、画伯に実見のうえ両者をはっきり分けていただこうと考えたのです。


2026年10月30日金曜日

前田青邨画伯50回忌法要 1

 

 前田青邨画伯のお孫さんにあたる中村真彦・まり子ご夫妻からご案内をいただき、10月27日、北鎌倉の東慶寺で行なわれた前田青邨画伯50回忌の法要に列席させていただきました。前田青邨――尊敬してやまない芸術家です。「饒舌館長ブログ」でもたびたびオマージュをささげたことがあると思います。


青邨芸術における真率なる宗達継承とすぐれた近現代化、さらにいえばみごとな個性化をどのようにたたえればよいのでしょうか。とくに琳派が大好きな僕の胸底に、青邨画伯は琳派の掉尾をかざる偉大な画家として、つねに生き続けているんです。東慶寺本堂における法要のあと、墓前に一炷をともして額づきましたが、続いての筆供養では、燃え上がる炎に画伯の創造的情熱をみる思いをいたしました。

2026年10月29日木曜日

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」8

 


かつて「桃山美濃陶試論」(『美術史論叢』17 2001年)なる拙文を書いたとき俎上にのせた作品ですが、そのときは『世界陶磁全集』の図版をみながら考えただけでした。しかし実際に会場でみると、図版に倍する素晴らしさだったので「僕の一点」に選んだのです。


三上次男先生は「これを眺めていると、東部内モンゴルに波のように広がる草原の情景と、その野を埋め尽くす初夏の草花群の美しさが、髣髴として眼前に浮かび上がってくる」と褒めたたえています。


僕もかつて2度も遊んだ、内モンゴルは希拉穆仁シラムレンの草原を思い出さずにはいられません。ご興味のある方は、ぜひ「饒舌館長ブログ」でお読みください!! 「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅢ」と入れて検索すれば、画像とともにすぐアップされます。


  ヤジ「そうやってアクセス数をかせごうとしているんだな!!」

2026年10月28日水曜日

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」7

 


 僕のみるところ、繭山龍泉堂本とMOA美術館本は同じ11世紀でも、前半と後半に分かれるのではないでしょうか。なお、この種の遼陶はもともと中国で皮嚢壷あるいは仿皮嚢壷と呼ばれましたが、上部の取っ手部分が鶏のトサカに似ているため、日本で鶏冠壷と称するようになったそうです。


この「白釉緑彩鶏冠壷」を、たまたま会場で会った林原美術館の谷一尚さんと一緒にながめていたら、同じく遼の「白釉緑彩草花文長頸瓶」(出光美術館蔵)が胸中のディスプレーに映し出されたのです。この長頸瓶は2年まえ、出光美術館で開催された「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅢ 日本・東洋陶磁の精華――コレクションの深まり」に出陳された絶品です。この展覧会を紹介する「饒舌館長ブログ」では、「僕の一点」に選んでオマージュをささげました。


2026年10月27日火曜日

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」6

 

手の切れるような宋の白磁や青白磁(影青いんちん)がすばらしいことはいうまでもありませんが、その対極にあるような茫洋たる美にとても心惹かれるのです。緑彩を加えられたイッチン――搾り出し技法による線は、もとになった皮袋の縫い目を思い出させてくれます。

これと同工異曲の作品がMOA美術館に収蔵されており、三上次男編『世界陶磁全集』13(小学館 1981年)に「白地緑彩皮嚢壷ひのうこ」として載っています。いまは亡き矢部良明先生の解説によると、これまた11世紀ですが、この種の遼陶は類品が少ないそうですから、繭山龍泉堂本とMOA美術館本が双璧となるのではないでしょうか。

もっとも前者は、下膨れしたフォルムが豊かな安定感を生み出しているのに対し、後者はそれを洗練させて軽快感へとメタモルフォーゼさせているようです。女性に例えれば豊満なる美と柳腰の美であるなどといったら、キョウビ問題かな(´艸`) 


前田青邨画伯50回忌法要 4

  また今年の秋季院展から選んだ「僕の一点」の作者・渋澤青さんが女性であることも驚き でした 。その力強い画風から、男性とばかり思っていた ので、真彦さんの言は意外でした 。 じつに楽しく充実した一日となりました。東慶寺の井上 大光 禅師 によると、 仏事供養 とはいえ50回忌と...