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2026年6月7日日曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」9

 


さらに続けて「文展再開」とあり、「天にやぶれ地にまみれたるうましくにかきおこすべき絵筆とといふ」という一首採られています。この絶唱こそ、文展再開に際して揮毫した「朝晴」の制作意図であり、僕の推測を裏付けるものにほかなりません。

 

そこで改めて作品へ寄り添ってみると、玉堂が『萌春』創刊号(1953年)に随筆「身辺画趣」を寄稿し、つぎのように述べていることが注目されます。

 

私は此のように、晩冬から、早春の頃の季節が好きなのは、前にもいったように、自然の骨といおうか、ものみなの線というものがはっきりわかるからで、これは東洋画というものが、本来線を重んじ、墨色を尚ぶという、その気分とピッタリ合致するからである。 

2026年6月6日土曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」8

 


 今や此の九年間の戦争は勿論、それ以前にも溯って、日本国民が一大反省をせねばならぬ秋に直面して居るのではあるまいか、否一大天譴を蒙りつつあるのである、この天譴を緊しと肝に銘じて、あらゆる面に於いて各自が立直り、築き直さなければならない時ではあるまいか。

 

 私は今白丸大澤邸の庭に立ちて冴えきった三日月を、銀河を、そして悠久の天体を仰いで無量の感慨に耽って居るのである。

 

これに続けて玉堂は、「八月十五日 玉音放送謹承」と題して、和歌二首を詠んでいます。

 

 みことのりみ声をただにみ民われらこの身にききてひたにつつしむ 

 耳をうちし大詔おおみことのりかしこくも宣のたまわさぬ御声猶きき得しか 


2026年6月5日金曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」7


  これは僕の独断と偏見ではありません。妄想と暴走でもありません。玉堂みずから、『奥多摩雑稿』の「三日月」と題する随想のなかで、つぎのように述べているからです。じつに昭和天皇が戦争終結の詔書を放送する5日前、昭和20年8月10日に書かれた文章です。旧仮名を新仮名に直して引用することにしましょう。この「無量の感慨」を絵画化したのが、「朝晴」であるといっても過言ではないような気がします。

今年もまたここ白丸で、此の三日月を去年と同じように幾度も繰返し仰ぐことが、果して出来るであろうか、若し出来たとしても、木の葉が末枯れて夜風が身に泌むといったような、そんな平凡な変化とは思われ無い、或は開闢以来日本国民の、未だて遭遇したことの無い、みじめな最悪の変化が、目の前に横たわっているのではあるまいか。

2026年6月4日木曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」6

 


シーンものどかな山裾から、険しい山中に入ってきています。昭和11年は2.26事件の起こった年ですが、世の中はまだまだ安定していたのでしょう。少なくとも窮乏と混乱の昭和20年に比べれば……。いずれにせよ昭和21年の「朝晴」は、「冬嶺松秀」の対極にあるといっても過言ではありません。へたをすると人馬もろとも尾根から転げ落ちそうです。山肌、岩肌もゴツゴツしていて、厳しい感じが画面を覆っています。


三遠を組み合わせた純粋な狩野派風山水図を別にすれば、玉堂の風景画は俯瞰視(鳥瞰視)が基本となっています。「冬嶺松秀」も俯瞰視です。ところが「朝晴」だけは自然を仰ぎ見るような仰瞰構図なのです。それが尾根を行く人馬の不安定な感じを、生み出しているようにも思われます。ここにも僕は、この作品の特異な制作意図を読み取りたいのです。


2026年6月3日水曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」5



  

 このような決して平坦ではない道――それは日本の歩むべき道であり、また玉堂みずからがたどらなければならない道であったはずです。第1回日展の審査員に選ばれた玉堂
でしたが、その時代を考えれば、その栄光に酔っている暇など一瞬たりともなかったでしょう。

このように僕が考える理由は、昭和11年に描かれた「冬嶺松秀」(山種美術館蔵)という作品があるからです。両者を比べてみると、「朝晴」は「冬嶺松秀」をもとにした作品であることが一目瞭然です。しかしその画面感情は何と異なっていることでしょうか。「冬嶺松秀」はどこか明るく伸び伸びとしており、林の間を抜けていく馬と人は、大地によってしっかりと支えられています。ほかの玉堂作品と共通する、日本人のをいやす抒情やおだやかな郷愁に満ちています。




2026年6月2日火曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」4

  


 「僕の一点」は「朝晴」ですね。終戦後の昭和21年1946、文展が「日展」と改められふたたびスタートを切りました。その第1回日展で玉堂は審査員をつとめるとともに、この「朝晴」を出品したのです。

葉を打ち落とした落葉樹と、緑をたたえる松の向こうに尾根が続いています。そこを人や荷物を乗せた馬が3匹、馬子に引かれて歩いています。尾根は細く狭く、油断をすると人馬もろとも転げ落ちそうです。危険な尾根伝いです。季節は晩冬から早春のころその尾根の向こうには、白雪をいただく山が美しく気高い姿を見せています。


ここに僕は、これから日本が進まなければならない険しい道を表象させようとした玉堂の意図を読み取りたい誘惑に駆られるのです。玉堂の覚悟といってもよいでしょう。それは苦難の道にちがいありませんが、その先には白く輝く高き嶺が待っているのです。 

2026年6月1日月曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」3

 

日本の山河をこよなく愛した玉堂は、四季の自然や田園風景とそこに暮らす人々を情感豊かに描きました。 玉堂による古き良き日本の原風景ともいうべき世界は、見る者の郷愁を誘い、日本の自然の素晴らしさを改めて気づかせてくれます。


本展では、初期の代表作である《鵜飼》など明治期の作品から、琳派研究を通じて誕生した大正期の《紅白梅》 (玉堂美術館)、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した玉堂芸術の真骨頂ともいえる《春風春水》や《早乙女》、戦後の第一回日展に出品された《朝晴》まで、名作の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。


山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」9

  さらに続けて「文展再開」とあり、「天にやぶれ地にまみれたるうましくにかきおこすべき絵筆と れ といふ」という 一首 が 採られて います。この絶唱こそ、文展再開に際して揮毫した「朝晴」の制作意図であり、僕の推測を裏付けるものにほかなりません。   そこで 改めて 作品へ 寄り...