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2026年10月23日金曜日

第38回國華賞贈呈式

   昨日22日夕方6時から、第38回國華賞贈呈式が朝日新聞社レセプションルームで行なわれました。今回の國華賞は藤原重雄さん(東京大学教授)の「縁起絵・行事絵を読む―中世絵画史料論―」(中央公論美術出版)、國華奨励賞は猪岡萌菜さん(千葉大学助教)の「『常陸名所図屛風』研究」(思文閣出版)と久保佐知恵さん(サントリー美術館主任学芸員)の「識字陶工木米の絵画における見立て――二つの『兎道朝潡図(うじちょうとんず)』を中心に――」(國華1560号)、國華展覧会図録賞は澤田和人さん(国立歴史民俗博物館准教授)の「野村正治郎とジャポニスムの時代―着物を世界に広げた人物」展図録(国立歴史民俗博物館)に贈られました。乾杯の音頭を頼まれた僕は、またまた岡倉天心國華創刊の辞を暗唱して、4人の研究者を言祝いだことでした😀

「縁起絵・行事絵を読む」
「『常陸名所図屛風』研究」
「國華1560号」
「野村正治郎とジャポニスムの時代」展図録

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」2


  そのころ日本の市場は、煎茶、抹茶の茶道具が中心で、これらを扱う商人は、道具商とか骨董商と呼ばれていた時代です。松太郎氏は、 世界の先端をいく北京市場で学んだ商売を日本に持ち込んだのです。 それは茶道具に拘泥しない鑑賞美術品を取り扱う仕事であり、日本における美術商の草分けとして活躍したのです。
 
 大正5年1916松太郎氏は日本に戻り、東京銀座に開店、4年後の大正9年に現在地である京橋に移転し、 新店舗を開設しました。大正12年1923には、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルが開業しましたので、 ホテル内に店舗を設けました。
 
 昭和10年1935、松太郎氏が死去すると、長男である順吉氏が跡を継ぐこととなりました。 順吉氏は父松太郎氏の仕事を受け継ぎ、 中国陶磁を中心とした東洋古美術品を取り扱いましたが、 とくに戦後アメリカとのビジネスが始まってからは、 日本美術の名品を数多くアメリカに紹介しました。 

2026年10月22日木曜日

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」1

 

繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」<11月1日まで>

 繭山龍泉堂さんは世界的に有名な、中国古陶磁を中心に扱う古美術商さんです。僕も長い間ずいぶんお世話になってきました。そのホームページによって、繭山龍泉堂さんの歴史を知ることにしましょう。


創業者である繭山松太郎氏は明治38年1905、 単身北京に渡り、古美術という仕事を始めました。22歳のときです。当時の北京は、欧米での東洋美術の流行にともない、美術市場の中心地として栄えていました。


 鉄道工事の際に発掘される古代の文物や、清末の動乱期に流出した宮中の伝世品などの宝物が次々と市場に運ばれ、多くのコレクターやディーラーたちが集まり賑わっていました。 繭山松太郎氏はこのような国際的な市場で、古美術売買の仕事を学んだのです。

2026年10月21日水曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」13

  


 興味深いことに、大典が文章の三大要素と見なした整調、流暢、円熟は、まさに「鶴図」双幅の特色であり、宝暦十年屏風からの変化にほかならないのである。(略)すでに狩野博幸氏が指摘するように、若冲絵画を生み出す思想的基盤としては、売茶翁に象徴される「畸」があったにちがいないのだが、それとともに、大典の思想との関係もより直接的であっただけに看過することはできないであろう。 

『國華』の解説ですので何だかゴチャゴチャしていますが、要約していえば、大典の思想はきわめて穏健であり、奇癖をきらうものだったのです。それは大雅筆「瓢鯰図」の賛にもよく現われているように思います。とくに宇野明霞が編み出した縁訳の意義を求めつつ、しかし採用しないという立場は、荘子の詭弁家や弁者に対する態度と同じだといってよいでしょう。大典が荘子や老荘に惹かれたのは当たり前田のクラッカーだったのです。

2026年10月20日火曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」12


  大典は宋儒や荻生徂徠の解釈を非難し、あえて新説のために新説を考え出すような態 度を否定する。 そして 『論語集覧』なる注釈書について、「毎章各々異義を演べ、力めて 新説を出す。 要は一家の説を立つるに在りて、聖言を以て己が意に随わすの弊を免れず」 と批判する。個性的であればそれでよいというわけではないとする主張であって、ここに も大典の穏健な思考法がよく看取されるのである。

それを端的に示すのは、大典が門人玉潤元寔の文章に関する問いに答えた手紙である。 大典は「其工夫を用ゆるには、必ず整調を要す、必ず流暢を要す、必ず円熟して窒がらざ るを欲す、圓熟して窒がらざるには歐陽(脩)を学ぶに如くは莫し、流暢を欲せば蘿山 (林道栄か)を学ぶに如くは莫し、整調を欲せば空同(李夢陽)を学ぶに如くは莫し、吾子試に三家の文を取って之を看よ」という。

2026年10月19日月曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」11


  縁訳を奇僻とする一般的な見方に対しては、明霞の本意を知らぬものとして師を擁護するのだが、結果としては不採用の立場に立つわけである。ましてや明霞の勧める唐音直読法などは、「世上みな音読すること能ざれば、倭読の声にて大概節奏もよく、口耳にも順穏に、吟誦にも信屈ならず、記憶にも便利なるを要とすべし」 ということになる。 大典の穏健な考え方が、これらによく反映しているというべきであろう。

小畠文鼎によれば、大典の思想は折衷主義であって、著書『四書越俎』には全編にわた つて「折衷」の文字が見え、また「衆説を参考して之を研尋し、力めて折衷を求む」とも あるという。私はこれを国立国会図書館所蔵本によって確認してみた。「折衷」の文字は 数か所に見えるだけだが、大典の思想が折衷主義的傾向を有することは充分理解できた。 特に卷之二の「論語上」の冒頭は大典の思想をよく示す部分で、右の引用もここに現われる。

2026年10月18日日曜日

出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」10

  


 30年ほど前、新しく世に出た伊藤若冲の「鶴図双幅」に感を深くし、『國華』1225
号に紹介しました。そのとき若冲に大きな影響を与えた大典の思想についてチョッと考えた結果、つぎのように書いたんです。

大典の思想のうちには、穏健をもってよしとする傾向がうかがわれるからである。それを象徴的に示すのは、師宇野明霞の編み出した漢文訓読法に対する態度である。徳田武氏によれば、明霞の方法は伝統的訓読法を否定し、助字や虚字の正確な意味からまったく新しい訓読を提唱した革新的なものであった。明霞はこれを縁訳と呼んだらしい。


大典はこの縁訳の意義を一応認め つつも、漢文訓読の目的はその内容を把握することにあるのだから、必ずしも訓読法を改める必要はないと主張する。 



第38回國華賞贈呈式

    昨日22日夕方6時から、第38回國華賞贈呈式が朝日新聞社レセプションルームで行なわれました。今回の 國華賞は藤原重雄さん(東京大学教授)の「縁起絵・行事絵を読む―中世絵画史料論―」(中央公論美術出版)、 國華奨励賞は猪岡萌菜さん(千葉大学助教)の「『常陸名所図屛風』研究」...