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2026年9月14日月曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!18


即身成仏とは、父母から受けたこの現実の身体が、そのまま仏であることを自覚することである。それは顕教に対する、密教の成仏論の特色となっている。一般に大乗仏教では、生きとし生けるものすべてが仏となる性質を持つと説く。しかし生身の人間が、仏となるにはさまざまな修行が必要で、それにはかなり長い時間が必要だというのが常識であった。(略)


顕教によってこつこつ努力していては、とうてい生きているうちに悟りにいたりつくことはできない。ところが密教によれば、仏になるためにそれほどの長い期間は必要ではなく、この世に生きているうちに悟ることが可能だという。当時の人々が密教に魅せられた原因の一端も、こんなところにあったのかもしれない。

 

2026年9月13日日曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!17

 


 もっとも「本能的な欲望を、そのまま無条件に肯定するわけではなく、欲望を一度は空として否定したのち、それが持つ本来的な生命力を取り出し、そこではじめて欲望の全面的な肯定が成り立つ」そうです。こういう付帯条件をつけられると、僕などはヒドク混乱してしまうのですが、一義的には本能的な欲望を認める思想であるといってよいのではないでしょうか。つまり現世肯定主義であるといって間違いではないのです。

このような現実肯定主義をもっとも端的に表すのが「即身成仏」という思想でしょう。あのミイラを意味する即身仏ではありません。「成」があるかないかで、まったく違います。これについて松長有慶氏は、つぎのように述べています。


2026年9月12日土曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!16

 

煩悩の代表的なものとして、仏教では貪とん・瞋じん・痴の三をその代表としてあげ、いずれも悟りに向う修行者には障害となるから、三毒とも名づけたのである。貪とんとはむさぼりの心、瞋じんとはいかりの心、痴とは真理に対して愚かな心をいう。

ところが密教では、これらの煩悩を頭から否定しない。煩悩もまた、その本質から見ると空であり、善とか悪とかいった価値判断を持たないと見るわけである。それよりも、むしろ人間の本来的に持つ欲望のエネルギーに満ちた生命力を、そのまま生かすことによって、社会に働きかけ、衆生を救済する原動力にしようとする。

2026年9月11日金曜日

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!15

 

ここ(神・菩薩・悪鬼が並置され地位が与えられていること)には、近代の科学文明が持つ淘汰、排除、疎外といった否定の原理は見当たらない。その背後には、現象界に存在する一切の存在の中に無限の価値を認め、それぞれの持つ特性を、そのまま真理の部分的な表現と見る、密教独自の肯定の思想が秘められている。

自己が他と対立し、排除し合う関係ではなく、現実に存在する人間はもちろんのこと、鳥や獣、魚や虫けら、一木一草にいたるまでが同体であり、俗なるがままに聖であるという関係を、曼荼羅は宇宙の凝縮図として示そうとしているのである。

2026年9月10日木曜日

追悼 山本勉さん愛猫・ルリちゃん 続

 

 もう一首、同じく揖斐高『江戸漢詩の情景』から菅茶山「猫」の戯訳をルリちゃんに捧げましょう。菅茶山――もちろん尊敬して止まない、いや、大好きな江戸漢詩人です。南郭も茶山も猫を心底愛していましたが、何よりネズミを捕ってくれることに感謝していたようです。ネズミは命より大切な本をかじったり、オシッコを引っかけたりするからです。梅尭臣以下、猫を愛し称え、その死を悲しんだ中国の文人もみんなそうだったと思います。

眼光 鋭く 暗い部屋

毛色 輝く 日の窓辺

用心深きは利口ゆえ

媚態も示すが恥ずかしげ

  ネズミ捕らえる身の速さ!!

我によく馴れ性 穏和

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!14


日本文化象徴主義的であることは、これまた多くの指摘がありますが、それは日本独自の芸能であるお能に象徴されているように思われます。かつて僕は能勢朝次氏の研究から多くを学びましたが、能勢氏はお能を鑑賞する際重要な目の付けどころとして、「簡潔な型に象徴される節約性と単純性」をあげています。お能の中核にある「型」に象徴性を見いだしているのです。


美術についてみれば、やはり矢代幸雄氏が日本美術における四大特質の一つとして「象徴性」をあげたことが思い出されます。


さらに松長が強調しているのは、密教の現世肯定的性格です。それこそが曼荼羅だとして、つぎのように述べています。

 

2026年9月9日水曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」7

 


ところが澁澤栄一が数え92歳の天寿をまっとうして没したのは昭和6年1931のことです。単行本『旧聞日本橋』が出版されたのは、澁澤栄一が亡くなってから4年もあとのことだったのですしかし栄一が活躍した時代を暗示するため、澁澤青さんは『旧聞日本橋』をあえて描き入れたのではないでしょうか描かれた栄一は4、50代にみえます。その時代こそ『旧聞日本橋』のライトモチーフなのですから……。


もっとも絵のタイトルは「行く道と、来た道」であり、「澁澤栄一像」ではないのですから、こんな詮索など所詮ナンセンスかもしれません。それはそれとして像主に対する画家の深い思いが秘められていることは疑いありませんこれこそ「僕の一点」に選んだ理由なのです断っておきますが、けっして一万円札のアイコンだからじゃありませんよ(´艸`)

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!18

即身成仏とは、父母から受けたこの現実の身体が、そのまま仏であることを自覚することである。それは顕教に対する、密教の成仏論の特色となっている。一般に大乗仏教では、生きとし生けるものすべてが仏となる性質を持つと説く。しかし生身の人間が、仏となるにはさまざまな 修行が必要で、それにはか...