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2026年6月9日火曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」11

  


 このトピックを連載中の6月4日、生まれてはじめて曹洞宗大本山・永平寺にお参りしました。大部でむずかしい道元禅師の『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』はチャンと読んだことがなく、僕の道元理解はもっぱら弟子にして永平寺2代孤雲懐奘こうんえじょう師の法語を書き留めた『正法眼蔵随聞記しょうぼうげんぞうずいもん<岩波文庫>によるという省エネ理解ですが( ´艸`)ぜひ一度永平寺をお訪ねしたいと思っていたからです。家族旅行を兼ねた1泊2日の越前旅行とは相なりました。 

朝、北陸新幹線「かがやき」で福井へ、越前蕎麦を堪能したあとタクシーで永平寺へ向いました。吉祥閣で参拝手続きを済ますとエレベーターで階上に昇り傘松閣へ、またエレベーターでその2階に上がると、156畳敷きという絵天井の間迎えてくれました 

2026年6月8日月曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」10


  これは広く晩冬早春の美と、東洋画に内在する線の美における強い共通性について述べたものです。しかし「朝晴」を考察するときに、きわめて重要な玉堂の言葉であり、逸することのできない絵画観のように思われます「朝晴」はまさに晩秋から早春のころをテーマにしているからです。 

厳しさと明るい希望内包するこの季節こそ、日本の厳しい現状と明るい未来、あるいは明るいにちがいない未来、明るくしなければならない未来を象徴させた「朝晴」にもっともふさわしい四季の転換期だったのです。

 

のように玉堂が創造発表の場とした日展のために、いまチョッとお手伝いをさせてもらっているです。もちろん微力であることは言うまでもありませんが( ´艸`) 今年の第119回日展<東京会場>は、1030日から六本木の国立新美術館で開催されます。ご来駕のほど、お待ち申し上げております。 

2026年6月7日日曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」9

 


さらに続けて「文展再開」とあり、「天にやぶれ地にまみれたるうましくにかきおこすべき絵筆とといふ」という一首採られています。この絶唱こそ、文展再開に際して揮毫した「朝晴」の制作意図であり、僕の推測を裏付けるものにほかなりません。

 

そこで改めて作品へ寄り添ってみると、玉堂が『萌春』創刊号(1953年)に随筆「身辺画趣」を寄稿し、つぎのように述べていることが注目されます。

 

私は此のように、晩冬から、早春の頃の季節が好きなのは、前にもいったように、自然の骨といおうか、ものみなの線というものがはっきりわかるからで、これは東洋画というものが、本来線を重んじ、墨色を尚ぶという、その気分とピッタリ合致するからである。 

2026年6月6日土曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」8

 


 今や此の九年間の戦争は勿論、それ以前にも溯って、日本国民が一大反省をせねばならぬ秋に直面して居るのではあるまいか、否一大天譴を蒙りつつあるのである、この天譴を緊しと肝に銘じて、あらゆる面に於いて各自が立直り、築き直さなければならない時ではあるまいか。

 

 私は今白丸大澤邸の庭に立ちて冴えきった三日月を、銀河を、そして悠久の天体を仰いで無量の感慨に耽って居るのである。

 

これに続けて玉堂は、「八月十五日 玉音放送謹承」と題して、和歌二首を詠んでいます。

 

 みことのりみ声をただにみ民われらこの身にききてひたにつつしむ 

 耳をうちし大詔おおみことのりかしこくも宣のたまわさぬ御声猶きき得しか 


2026年6月5日金曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」7


  これは僕の独断と偏見ではありません。妄想と暴走でもありません。玉堂みずから、『奥多摩雑稿』の「三日月」と題する随想のなかで、つぎのように述べているからです。じつに昭和天皇が戦争終結の詔書を放送する5日前、昭和20年8月10日に書かれた文章です。旧仮名を新仮名に直して引用することにしましょう。この「無量の感慨」を絵画化したのが、「朝晴」であるといっても過言ではないような気がします。

今年もまたここ白丸で、此の三日月を去年と同じように幾度も繰返し仰ぐことが、果して出来るであろうか、若し出来たとしても、木の葉が末枯れて夜風が身に泌むといったような、そんな平凡な変化とは思われ無い、或は開闢以来日本国民の、未だて遭遇したことの無い、みじめな最悪の変化が、目の前に横たわっているのではあるまいか。

2026年6月4日木曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」6

 


シーンものどかな山裾から、険しい山中に入ってきています。昭和11年は2.26事件の起こった年ですが、世の中はまだまだ安定していたのでしょう。少なくとも窮乏と混乱の昭和20年に比べれば……。いずれにせよ昭和21年の「朝晴」は、「冬嶺松秀」の対極にあるといっても過言ではありません。へたをすると人馬もろとも尾根から転げ落ちそうです。山肌、岩肌もゴツゴツしていて、厳しい感じが画面を覆っています。


三遠を組み合わせた純粋な狩野派風山水図を別にすれば、玉堂の風景画は俯瞰視(鳥瞰視)が基本となっています。「冬嶺松秀」も俯瞰視です。ところが「朝晴」だけは自然を仰ぎ見るような仰瞰構図なのです。それが尾根を行く人馬の不安定な感じを、生み出しているようにも思われます。ここにも僕は、この作品の特異な制作意図を読み取りたいのです。


2026年6月3日水曜日

山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」5



  

 このような決して平坦ではない道――それは日本の歩むべき道であり、また玉堂みずからがたどらなければならない道であったはずです。第1回日展の審査員に選ばれた玉堂
でしたが、その時代を考えれば、その栄光に酔っている暇など一瞬たりともなかったでしょう。

このように僕が考える理由は、昭和11年に描かれた「冬嶺松秀」(山種美術館蔵)という作品があるからです。両者を比べてみると、「朝晴」は「冬嶺松秀」をもとにした作品であることが一目瞭然です。しかしその画面感情は何と異なっていることでしょうか。「冬嶺松秀」はどこか明るく伸び伸びとしており、林の間を抜けていく馬と人は、大地によってしっかりと支えられています。ほかの玉堂作品と共通する、日本人のをいやす抒情やおだやかな郷愁に満ちています。




山種美術館「開館60周年記念 川合玉堂――なつかしい日本の情景」11

    このトピックを連載中の6月4日、 生まれてはじめて 曹洞宗大本山・永平寺にお参り しました 。大部で むずかしい 道元禅師の 『正法眼蔵 しょうぼうげんぞう 』は チャンと読んだことがなく、僕の道元理解はもっぱら弟子 にして永平寺2代 の 孤雲 懐奘 こうん えじょう が...