かの水戸学が起こった城下町の水戸と、のどかな山あいの宿場町であった中津川という風土のしからしむところだったのでしょうか。それはともかく、画伯に近代的自我という決定的影響を与えたのは、誰あろう横山大観でした。
これはすでに書いたりしゃべったりしてきたことですが、いつもの独断と偏見にすぎませんでした。しかしこの青邨画伯50回忌法要の席で、大変興味深いお話をうかがったのです。大正7年、大阪ではじめての個展を開き、日本美術院評議員に推された翌年、34歳のとき画伯は円覚寺の宗演禅師に参禅して、禅師から「画禅入三昧」という一行書を授けられました。この事実は僕も知っていました。
ところがこの宗演参禅の理由が、スランプに陥っていたことにあるというのです。精神的にも安定を欠く状態になり、俗な言葉でいえば落ち込んでいたらしいのです。これはとても大きな驚きでした。





