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2026年11月8日日曜日

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション 国宝でたのしむ仏教美術」3

 


ところが日本の垂迹思想において、文殊菩薩は春日若宮(天押雲根命あまのおしくもねのみこと)の本地仏とされるようになります。有名な「春日若宮影向ようごう図」(五島美術館蔵)が童子形であることから明らかなように、春日若宮=童子形というイメージが強かったため、胎蔵界曼荼羅に童子形で登場する文殊菩薩は、春日若宮と結びつきやすかったんだと思います。


柴田コレクションの「文殊菩薩像」はタイトルのごとく文殊菩薩を描いた仏画ですが、そこに春日若宮の心象も投影されているにちがいありません。これを垂迹絵画といえば言い過ぎでしょうが、その萌芽が認められることは否定できないように感じられます。


八大童子が文殊の眷属けんぞくとされているのも、この菩薩のうちに童子的観念が内包されていたことと無関係ではないでしょう。わが国で文殊会(文殊講)が広まり、だれでも知っている「三人寄れば文殊の智恵」ということわざができるほど親しまれた理由の一つに、我々の祖先が抱いていた子供聖性観があるように感じられてならないのです。


見終わったあと金沢文庫のカフェで柴田さん、瀬谷さんと一緒に、おいしいランチをとりながらおしゃべりを楽しんだことでした。


  ヤジ「オマエが一人でしゃべりまくってたんじゃないの?」

2026年11月7日土曜日

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション 国宝でたのしむ仏教美術」2

 


「僕の一点」は掛幅「文殊菩薩像」ですね。瀬谷さんは鎌倉時代までさかのぼる五髻騎獅文殊ごけいきしもんじゅ像の佳品と評価していますが、そのとおりだと思います。与謝蕪村筆「夜色楼台図」を所蔵していた実業家・武藤山治氏の旧蔵品だそうですが、何となく分かるような気がしました。


とくに興味深く感じたのは、この文殊さんが少年というか、子どものような顔つきを示していることでした。きりっとしたスゴクいい顔をしていますね。童子形の文殊菩薩は胎蔵界曼荼羅の文殊院に主尊として描かれているそうですから、起源はインドか中国にあって早くに完成していた図像だと思われます。


その後このような図像は稚児文殊ちごもんじゅと呼ばれるようになりますが、伝教大師最澄が将来したものともされているそうですから、これまた早くにわが国へもたらされていたのでしょう。ともかくも童子形の文殊菩薩は、日本で生れた図像ではなかったことになります。


前田青邨画伯50回忌法要 9

 


以上を書き終わって「饒舌館長ブログ」に連載を始めると、早速読んでもらった中村夫妻が『出会いのコラージュ 秋山光和随想集』(講談社 1994年)に秋山先生が書かれた一話のコピーを送ってくださいました。


それによると、大正8年1919画伯は中国旅行に出かけ、その成果として「燕山図巻」という力作を院展に出品されました。しかしこの大旅行は、頑健とはいえない画伯の肉体をさいなみ、精神的にも大きな負担を与えました。


米寿記念展に際し半世紀ぶりに「燕山図巻」を開き見たとき、画伯はポツリと「何度絵を破ろうとしたか知れない。ひどい神経衰弱だったね、あの時は……」ともらされたそうです。画伯は神経衰弱に陥り、精神的にも苦しんでいらっしゃったのです。神経衰弱は他覚的所見に乏しい神経症だそうですから、なおのこと悩まれたことでしょう。


そこに近代的自我の苦悩があったのではないかと愚考したのですが、もちろんそれは「青邨芸術の創造的展開」と表裏一体をなしていました。だからこそ秋山先生は、自己の画風をどのように進めるべきかを模索する画伯の苦渋を「燕山図巻」に読み取っているのです。

2026年11月6日金曜日

前田青邨画伯50回忌法要 8


  「画禅入三昧」は「画禅三昧に入る」とも「画禅三昧に入れ」とも読めますが、後者であったと思います。この教えによって、近代的自我は目指すべき理想から、画に没頭して雑念を離れれば、おのずと獲得される三昧の境地に昇華したのではないでしょうか?

30代半ばにして画伯がスランプに陥り、精神的安寧を失ったことがあったとお聞きして、それは画伯が芸術家として理想に求めた近代的自我のゆえであったのではないかと思い至ったのです。そしていよいよ人間前田廉造れんぞうさんが好きになりました。


近代的自我といえば、すぐに川端龍子が思い出されます。しかし院展と袂を別って、青龍社の創設に邁進した近代的自我の鬼子ともいうべき龍子と異なり、あくまで院展に留まり近代的自我を三昧境に解き放って創作を深化させたのが青邨画伯でした。その画伯と龍子が同じ明治18年1885生まれというのも、何という偶然の一致でしょうか。もちろん龍子も偉大にして尊敬すべき画家でしたが、その生き方は僕にとってとても真似のできないものでした。 

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション 国宝でたのしむ仏教美術」1

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション受贈記念 国宝でたのしむ仏教美術――奇珍異宝の世界――」<11月8日まで>

 柴田芳明さんはとても熱心は國華清話会の会員です。僕もずいぶん長いあいだ親しくさせてもらってきました。京都大学教養部時代に上野照夫先生から宗教美術の講義を聴き、興味を掻き立てられた柴田さんは、上野美学をもとにして古美術の蒐集を始められました。かつて國華社へ持参された仏教絵画を拝見したことはありましたが、なにせ専門外のジャンルでしたから、コレクションについて詳しくお聞きすることもなく打ち過ぎてしまいました。


柴田さんは先年コレクションの一部を神奈川県立金沢文庫に寄贈、これを記念する特別展が11月8日まで開かれています。先日柴田さんにご案内いただくとともに、金沢文庫のキューレーター瀬谷貴之さんの解説を聞きながら、奇珍異宝に富む柴田コレクションを楽しく鑑賞させてもらいました。タイトルに「国宝でたのしむ」とあるのは、国宝に一括指定された「金沢文庫文書」「称名寺聖教」から関係ある資料を選んで一緒に展示してあるからです。瀬谷さんが編集した『神奈川県立金沢文庫所蔵 柴田コレクション図版目録』がすでに出版されています。

2026年11月5日木曜日

前田青邨画伯50回忌法要 7

  

 あの平凡な非凡人である画伯が、そのような精神状態になることなど、想像もできませんでした。今日出海氏は「自然の人、前田青邨画伯にはエピソードはない」と、先のエッセーを書き出しているほどなのです。画伯は「きわめてノーマルに成長した人」であり、「屈折したものがなく、偏狭な精神構造もなく、ただ自然に個性を伸ばしていった」というのです。しかしそれだけではなかったのです。

先の事実を知って、驚いた僕は改めて考えてみました。そして理想とした近代的自我をもつ画家と、平凡な非凡人である自己との乖離あるいは齟齬に、画伯は苦悩されたのではないだろうかという推論に至りました。


近代的自我は、平凡なる非凡人である画伯が理想として、あるいは自己に欠けたものとして自覚的に目指したイディアであったからです。もともと近代的自我意識をそなえていた大観であれば、こんなことに悩む必要はまったくなかったにちがいありません。

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション 国宝でたのしむ仏教美術」3

  ところが日本の垂迹思想において、文殊菩薩は春日若宮 (天押雲根命 あまのおしくもねのみこと ) の 本地仏とされるようになります。 有名な「春日若宮影向 ようごう 図」(五島美術館蔵)が童子形であることから明らかなように、春日若宮=童子形 と いうイメージが強かった ため 、...