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2026年5月27日水曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」4

 


大正15年1926スタールが日本へやってきたとき、日本の千社札愛好家が歓迎の意を込めて作った納札会のポスターのようです。もとになった絵は、五雲亭貞秀の富士全景図(1860年)です。日本の江戸と近代が入れ子になっていますが、それをもたらしたのがアメリカ人であったというのが、じつに愉快じゃ~ありませんか。


はじめに掲げた写真に写る僕が右手に持っているのは、葛飾北斎の富士御祭神・木花之開耶姫をフィーチャーして、このたび制作された「静岡県富士山遺産センターオリジナル千社札」です。関連イベントに参加した全員にプレゼントされるそうです。

 

江戸川柳の佳吟「蜘蛛の巣をとるかと思や千社札」は、少しでも札を高いところに貼ろうとする人の心理を揶揄しつつ、千社札が蜘蛛の巣の掃除と同じ、ごく普通に行なわれていたことを教えてくれています

7日間ブックカバーチャレンジ19 山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』 



山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』 青弓社 2026年


 山田萌果さんが2023年3月北海学園大学大学院に博士論文として提出した「アブジェクトとしての少女――現代日本の少女表象へフェミニズム美学からのアプローチ」をもとに、大幅に加筆修正したのが本書だそうです。山田さんは「序章」のなかで、つぎのように述べています。


本書の課題は大きく三つに分けられる。第一は、少女がいかにアブジェクトな存在であるかを明らかにすること。第二は、現代芸術に出現するかわいいだけでない少女に、その描き手である芸術家が何を託しているのかを明らかにすること。そして第三は、アブジェクトを強調して描かれた少女の芸術的価値を明らかにすることである。


 山田さんは本研究の重要なキーワードとして、「アブジェクト(名詞「アブジェクシオン」)を措定します。フランスで活躍するブルガリア出身の思想家ジュリア・クリステヴァは、『恐怖の権力――<アブジェクシオン>試論』(1980年)において、この言葉を一つの概念として理論化しました。それは「アイデンティティ、システム、秩序をかき乱すもの、境界や場所や規則を尊重しないもの、つまり中間的で、曖昧な、混ぜ合わせのものである」と規定されるそうです。 


一般的に「アブジェクト」は、みじめな、みすぼらしい、卑劣で軽蔑に値するという意味ですが、クリステヴァは新しい概念規定を行なったようです。山田さんはこのクリステヴァ理論によって、日本現代美術の少女表象を読み解こうとしています。それは充分に成功しているように思います。


もちろんこのような方法論には批判も予想されますが、方法論批判は何も生み出さないというのが僕の考えです。ある方法論が嫌いな研究者は、その方法論を利用しなければいいだけの話で、方法論を批判してもナンセンスでしょう。山田さんはフェミニズム美術史が興隆したときのジェンダー論争を、序章・註19に詳しく報告して、方法論に対する自分の立ち位置を明らかにしています。


「未成年」というのはコンテンポラリーアートの中核的概念です。それを早くに見抜き、すぐれたコレクションを形成したのが高橋龍太郎さんです。それは「ネオテニー・ジャパン」というコレクション名に象徴されており、このカタログブックは山田さんの参考文献リストに抜かりなくあげられています。


 かつて「ネオテニー・ジャパン」展を秋田県立近代美術館で開催したとき、美術手帖編『現代アート事典』(美術出版社 2009年)のお世話になりました。いま書架から引っ張り出してきて「未成年Adolescent」のページをみると、山田さんも依拠したジュリア・クリステヴァとその「未成年の小説」が引用されているではありませんか。僕が知らなかっただけで、重要な思想家だったようです。しかしわずか2ページの解説では隔靴掻痒の感を免れず、はじめて山田さんにより「未成年」の意味が少し分かるようになったのです。

 十代後半から二十代前半まで、摂食障害とうつ病でほとんど起き上がれない日々を過ごしていたという山田さんが、すぐれた博士論文を完成させ、それをもとに本書を出版された克己と努力と苦闘に心からの尊敬を捧げたいと思います。山田さん、あなたの「あとがき」を読んで、熱いものがこみ上げてくるのを僕は止められませんでした。出版をお手伝いできた鹿島美術財団を誇らしく思っています。

2026年5月26日火曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」3

 


しかし規制はほとんど効果がなく、流行は止まなかったともいわれます。これまたまさに江戸文化です。よく知られた資料に、斎藤月岑『東都歳時記』(1838年刊)の初午の記事があります。もっともこれは江戸の稲荷神社を巡り貼っていくもののようです。「中人」とは成人と幼児との中間年齢層ですから、大の大人はあまりやらなかったのでしょうか。


千社参りと号して、稲荷千社へ詣でるもの、小さき紙に己が名所などころを記したる札をはりてしるしとす。此の族殊に多し何れも中人以下の態なり。


 「僕の一点」は「米国御札博士寿多有歓迎富士全図」(静岡県富士山遺産センター蔵)ですね。「寿多有」とは、先にチラシにあったフレデリック・スタールのこと、千社札に魅入られて熱狂的コレクターとなったアメリカ人です。

7日間ブックカバーチャレンジ18  児島薫『藤島武二研究 「東洋」の女性像 「帝国」の風景画』

 


児島薫『藤島武二研究 「東洋」の女性像 「帝国」の風景画』中央公論美術出版 2026年

 藤島武二は大好きな洋画家の一人ですが、これまた大好きな川喜多半泥子が本書に登場するので、うれしくなってしまいました。挿絵の「桜の美人」(石水博物館蔵)をながめながら、かつて半泥子ゆかりの石水博物館で、半泥子へのオマージュを捧げたときのことを思い出したです。

 30年ほど前でしょうか、児島さんが著わした「新潮美術文庫」の『藤島武二』を読んで感を深くしましたが、このポケットブックを438ページのモノグラフに発展充実させた児島さんの努力をたたえたいと思います。出光美術館が出版のお手伝いをさせてもらったことも是非書き添えておきましょう。児島さんは「本書のねらい」を次のように語っています。


藤島が当時の台湾や「朝鮮」、中国を訪れたことの意味についても考察する。戦前の日本の帝国主義、植民地主義について考えること無しに純粋に絵画としてモダニズムの文脈で語ることは、藤島が生涯取り組んだ仕事の全体像を狭め、意義を減じてしまうと考える。 

藤島の評価の中心を、国家的な、あるいは公的な依頼画を受けるようになる以前の時期に留め、「浪漫主義」という個人的、感覚的な文脈に取り込むことによって、その仕事を帝国主義、植民地主義の時代の文脈から引き離すことになった。


しかし児島さんは事実だけを指摘し、その事実に目を向けるべきことを示唆しながら、早急な個人的評価をあえて避けようとしているようです。真善美の美を扱う美術史研究者としてたたえられるべきスタンスであり、本書の価値を高めています。マックス・ウェーバーが『職業としての学問』で指摘するように、これこそ教育者の理想です。


僕は児島さんの文脈コンテクストにおける今昔問題(!?)を、とても興味深く拝読しました。というのは、僕も江戸時代の絵画を江戸時代という文脈のなかで考えようとはしますが、20世紀半ばに生まれた人間にとって、きわめて難しいことだからです。


どうしても困難な道は回避して、現代に生きる僕の視点から、つまり現代の文脈から観察し記述するという安易な方法をとってしまうです。これこそ児島さんが批判するところなのですが……。原稿を書き上げて、これじゃ~まずいかなと思っても、結局は「これでよいのだ!!」と活字にしてしまうです( ´艸`)


2026年5月25日月曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」2

 

 千社札は江戸文化を象徴する文物です。パクストクガワーナが千社札に凝縮しています。基本的に庶民文化であり、生活美術だからです。楽しむ宗教であり、旅の安全により担保されているからです。交換会より普及し、連により洗練が進んだからです。


それが熱狂を帯び、寛政11年7月には幕府から取締りの法令が出されるようになります。日本浮世絵協会編『原色浮世絵大事典』3には、「出版法令と取締り関係資料」が載っています。これスゴク便利で、法令の概略が現代語で併記されているです。


 近頃千社参りといって、講中を組んで参詣し、札を張り歩く者がいるという。神仏を尊ぶ人までも同様にし、茶屋などへ寄って千社札を交換、なかには世話人となって金を集め、手広く千社札を張るのを誉れとさえ思っている者もいるようだが、よからぬことである。以後これらのことは禁止する。

7日間ブックカバーチャレンジ17  鶴岡朋美『実景を描く 江戸後期風景描写をめぐる知の営み』 

 


鶴岡朋美『実景を描く 江戸後期風景描写をめぐる知の営み』 思文閣出版 2026年


 鶴岡朋美さんの論文をはじめて読んだのは、今から35年近くまえ1992年のことでした。『古美術』100号記念論文賞に選ばれた「谷文晁筆『公余探勝図』とその周辺」です。僕も谷文晁という画家の真景図に関心を寄せていましたが、依頼主である松平定信に焦点をしぼった考察に、深く心を動かされました。

それ以来鶴岡さんはこの方法論を活用して研究を進め、2012年『江戸期実景図の研究』を著わしました。その後の研究をまとめたのが、この『実景を描く 江戸後期風景描写をめぐる知の営み』です。 

鶴岡さんは実景図の背景に存在する権力構造に注目し、地誌編纂事業や対外政策など、さまざまな視点からこれを読み解いていきます。果敢に越境を試みる近世文化における「知の営み」を摘出し、画家や流派という視点からは隠されていた近世絵画史の新しい魅力に気づかせてくれます。

僕は谷文晁筆「熊野舟行図巻」の鳥瞰的構図に、依頼主・徳川治宝がもっていた国見という支配者のDNAを見いだす分析をとても興味深く拝読しました。そして理事をつとめる出光美術館の助成によって本書が発刊されたことも、大変うれしく感じたことでした。

2026年5月24日日曜日

7日間ブックカバーチャレンジ16 李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』 

 


 李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』勉誠社 2026年


 中国天津出身の李趙雪さんが東京藝術大学に提出した博士論文です。指導教官であった佐藤道信さんの構造主義的研究法を活用した瞠目すべき成果です。文人画研究者は李さんが提起したパラダイム変換に答えなければならないでしょう。李さんはつぎのように指摘しています。

「文人画」概念は明清時代に生まれたものではなく、近世日本の中国美術術認識が近代日本と中国でそれぞれ再編され、それが近代の日中交流で交錯し、共有、構築されたものだったと考えている。

 「文人画」を近代日本起源の美術概念として捉え、その成立と展開を検証するのが本書の目的なのです。文人画にカギカッコがついているのは、文人画という言葉自体を問題にしているからです。しかし新しい言葉には、新しい概念が付随するというのが構造主義の基本的考えです。もちろん僕は定説にしたがって、中国由来の美術概念だと措定してきました。「日本文人画試論」(『文人画 往還する美』)に書いたとおりです。

僕は董其昌が伝統的な「士大夫画」「士夫画」とともに、「文人之画」といっていることに注目しました。この言葉は董其昌以前にさかのぼらないとされているので、「文人画」が「士夫画」のように一般化していなかったことを意味すると考えたのです。しかし「文人画」が近代日本起源の美術概念となると、話はちがってきます。これからゆっくり考え直すことにしたいと思います。何しろ今や時間だけはタップリある身分ですから( ´艸`)

李さんから初めて教えてもらった中国の「新文人画」についても、大変興味を掻きたてられました。1989年4月、中国芸術研究院美術研究所(北京)と香港国際文化科技交流センター(香港)の共催で、第1回「中国新文人画展」が北京の中国美術館で開かれたのを機に、「新文人画」の呼称が一般化したそうです

まさにこのとき僕は、北京日本学研究センターの講師として北京に滞在していたのでした。しかしこんな展覧会が開かれていることなど露知らず、千載一遇の機会を逃してしまいました。知っていれば愛用の五羊自行車ウーヤンツーシンチャーを駆ってゼッタイ出かけたのに!!

なお本書は、鹿島美術財団の助成によって出版されました。チョッと財団のお手伝いしている僕にとっても、こんなうれしいことはありません。

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」4

  大正15年 1926 スタールが日本へやってきたとき、日本の千社札愛好家が歓迎の意を込めて作った納札会のポスターのようです。もとになった絵は、五雲亭貞秀の富士全景図(1860年)です。日本の江戸と近代が 入れ子になっていますが、それをもたらしたのがアメリカ人であったというのが...