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2026年5月24日日曜日

7日間ブックカバーチャレンジ16 李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』 

 


 李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』勉誠社 2026年


 中国天津出身の李趙雪さんが東京藝術大学に提出した博士論文です。指導教官であった佐藤道信さんの構造主義的研究法を活用した瞠目すべき成果です。文人画研究者は李さんが提起したパラダイム変換に答えなければならないでしょう。李さんはつぎのように指摘しています。

「文人画」概念は明清時代に生まれたものではなく、近世日本の中国美術術認識が近代日本と中国でそれぞれ再編され、それが近代の日中交流で交錯し、共有、構築されたものだったと考えている。

 「文人画」を近代日本起源の美術概念として捉え、その成立と展開を検証するのが本書の目的なのです。文人画にカギカッコがついているのは、文人画という言葉自体を問題にしているからです。しかし新しい言葉には、新しい概念が付随するというのが構造主義の基本的考えです。もちろん僕は定説にしたがって、中国由来の美術概念だと措定してきました。「日本文人画試論」(『文人画 往還する美』)に書いたとおりです。

僕は董其昌が伝統的な「士大夫画」「士夫画」とともに、「文人之画」といっていることに注目しました。この言葉は董其昌以前にさかのぼらないとされているので、「文人画」が「士夫画」のように一般化していなかったことを意味すると考えたのです。しかし「文人画」が近代日本起源の美術概念となると、話はちがってきます。これからゆっくり考え直すことにしたいと思います。何しろ今や時間だけはタップリある身分ですから( ´艸`)

李さんから初めて教えてもらった中国の「新文人画」についても、大変興味を掻きたてられました。1989年4月、中国芸術研究院美術研究所(北京)と香港国際文化科技交流センター(香港)の共催で、第1回「中国新文人画展」が北京の中国美術館で開かれたのを機に、「新文人画」の呼称が一般化したそうです

まさにこのとき僕は、北京日本学研究センターの講師として北京に滞在していたのでした。しかしこんな展覧会が開かれていることなど露知らず、千載一遇の機会を逃してしまいました。知っていれば愛用の五羊自行車ウーヤンツーシンチャーを駆ってゼッタイ出かけたのに!!

なお本書は、鹿島美術財団の助成によって出版されました。チョッと財団のお手伝いしている僕にとっても、こんなうれしいことはありません。

2026年5月23日土曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」1


 静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」<6月7日まで>

 いま静岡県富士山遺産センターで千社札の企画展が開催中です。これだけまとめて千社札を見るのは初めて――じつにおもしろかった!! 以下はチラシの案内文です。


 「千社詣りの札」、いわゆる千社札は、 江戸の人々の間で神社仏閣への参詣の証として大いに流行しました。江戸時代の終わりには、この千社札の愛好家の人々同士が千社札を交換し合う交換会が組織されるようになります。


交換会では、江戸っ子の見栄と意地をかけて洒落や粋を盛り込んだ豪華な千社札が作られるようになり、独特のデザインと技術を有する「千社札文化」が生まれました。そして、この千社札文化は、江戸・東京を中心に、千社札を愛する人々によって現在まで連綿と受け継がれてきました。


本展では、静岡県富士山世界遺産センターが所蔵する、千社札文化に深く魅了された「お札博士」ことフレデリック・スタールに関係する資料(九十九コレクション)を中心に、富士山と千社札との 関わりを探るとともに、現在も活発に活動している千社札を愛する人々の協力を得て、千社札の魅力に迫ります。

7日間ブックカバーチャレンジ15 玉蟲敏子『かざりの水脈 日本美術における装飾』

 


玉蟲敏子『かざりの水脈 日本美術における装飾』 中央公論美術出版 2025年


 本書「あとがき」の終わりに「令和乙巳十二月 最終講義に臨む日に」とあるように、玉蟲敏子さんが4半世紀ほど教鞭をとった武蔵野美術大学の退職記念論文集です。その「あとがき」に、玉蟲さんはつぎのように述べています。

美しい美術書を作りたいと思った。日本で出版されている美術全集や論文集などの美術書は、前の方にカラー図版、後ろの方に概説や解説などの活字の頁が拝される構成が一般的であるが、そのようなテキストと図版が分離したものではなく、両者が溶け合うように共存する頁もあれば、作品をじっくりと堪能できる頁もあるような贅沢な美術書を作りたいと切望していた。

 このような「見せる論文集」として本書は編集されたのです。玉蟲さんの意図と希望はみごとに達成されたといってよいでしょう。<「かざりの幸さきはう国」の美術論>として、精緻な文章とすぐ脇にあるカラー図版が見るものを魅了します。

玉蟲さんは山上憶良の有名な長歌にある、「言霊の幸はう国」から「かざりの幸はう国」を導き出したのです。僕は口演の際、『國華』創刊号の岡倉天心による創刊の辞を音吐朗々暗唱して、「美の国 美術のまほろば」を導き出すのですが( ´艸`) 

最も僕がすばらしいなぁと思ったのは、本阿弥光悦と俵屋宗達の「蓮金銀泥絵下絵百人一首和歌巻」の復元です。半分以上が失われ、残りが諸家分蔵となっているこの傑作和歌巻を、大倉集古館蔵モノクロコロタイプ版と諸家分蔵のカラー図版を使って復元しているので、とても分かりやすいのです。「序曲」に始まり「終曲転生」に終わる全巻の構成を、玉蟲さんは和歌と下絵の不即不離なる関係から丁寧に解き明かしています。

そのもとになったのは、尊敬して止まない福井利吉郎先生が昭和6年、青年教育普及会で講演された「美術」です。とくに「桃山・徳川時代の装飾画」<宗達と光琳>ですが、玉蟲さんはさらに新しい解釈を加えて実証性を高めています。

福井先生の業績は『福井利吉郎美術史論集』全3巻(中央公論美術出版)にまとめられています。『福井利吉郎美術史論集』編集刊行委員の一人として、僕は下巻の解題を担当させていただきました。じつは東京国立文化財研究所の資料室で研究される晩年の福井先生に、求められる図書をお運びするのが僕の役目でした。

玉蟲さんの論考を拝読しながら、それらの思い出が昨日のことのようによみがえってきたのでした。もっとも玉蟲さんは、福井先生の「桃山・徳川時代の装飾画」を含む「美術」が、どういう理由か『福井利吉郎美術史論集』に採択されていないとお書きになっていらっしゃいますが、上巻に収めたような気もするのですが……。

これまで「7日間ブックカバーチャレンジ」を2回ほど「饒舌館長ブログ」にアップしました。そのまえの何回かは、フェイスブックにポストしただけだったので追跡できません。「饒舌館長ブログ」の2回分を勘案して今回を第15回とし、以後通し番号でアップしたいと思います。

2026年5月22日金曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」11


   沲江だこうこの座敷の中を流れゆき岷山みんざんここまで連なり来てる 

  波頭なみがしら白く飛沫しぶきが白壁に豪華な梁はりを突き抜く青山

  松杉の林の冷気や菱ひし荇菜あさざその香が部屋に満ちる不思議さ

  雪雲ゆきぐもが点綴てんていしてるが絵空事えそらごと砂地の草は微范惨憺びぼうさんたん

  嶺の雁は小さな点々川虹は画絹の艶つやの中で水飲む

紅散らしゃ洲に咲き乱花の蕊しべ墨掃きゃ石の蔦長く伸ぶ

  暗き谷雨ゆえではなく紅葉こうようも霜に打たれたためじゃない

 (すべからく絵描きの筆の穂先から生まれ出でたる風物なのだ)

  神仙の住処すみかの周りは秋景色みずうみ囲んで絶景広がる

  この画家の技量は秀逸もの思う胸に興趣が鬱勃うつぼつと湧く

  以前から謝安のごとき厳鄭公げんていこう隠遁への夢持ち続けてる


*謝安 山水を愛し、江南の山中に世を逃れていましたが、招きを受けて朝廷に出仕し、政治・軍事に手腕をふるった晋の人だそうです。

2026年5月21日木曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」10

 


これまた前野先生によると、杜甫たちは酒を飲みながら詠んだことになりますが、きっと我が国の名所歌も同じだったにちがいありません( ´艸`) それはともかく、この杜甫が吟じた五言排律と我が名所歌との間には明らかに類縁性が感じられます。杜甫をはじめとする唐詩の世界から、平安貴族が霊感を受けた可能性も、充分に考えられるのではないでしょうか。


なお、僕が参照する佐久節編『漢詩大観』本『杜少陵詩集』では、題の下に「得忘字」という注はありませんが、そのうちもうチョッとちゃんとしたバージョンで確かめてみたいと思いますこの五言排律をマイ戯訳で紹介することにしましょう。今回は我が名所歌にならって、5・7・5・7・7の和歌風にしてみましたが、チョットやり過ぎかな( ´艸`)

2026年5月20日水曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」9

  


 この解説を読むと、これはもう日本の名所絵と、それを見ながら詠んだ屏風歌や障子歌――これらを名所歌と呼ぶとすれば、名所歌とまったく同じじゃないかという感にとらわれます。対象は岷山沲江図という名所絵であり、杜甫を中心に複数の詩人が寄り集まってそれを鑑賞し、それぞれ感じたところを名所歌に、いや、名所詩に詠み歓を尽しているわけですから…… 

前野先生は掛幅とされているようですが、障壁画の可能性もあるのではないでしょうか。もし障子絵だったとすれば、いよいよ名所絵+障子歌に近くなります。『杜少陵詩集』を読むと、「李尊師の松樹障子に題する歌」をはじめ、障子絵を見て詠んだりそれに題した詩が少なくないからです。

2026年5月19日火曜日

出光美術館<門司>「日本の名所絵」8

 


厳鄭公は作者が成都にいる間、生活に援助を与えてくれた、この地方の節度使の厳武。鄭国公に封ぜられたので、鄭公と呼ぶ。庁事は役人が事務をとる部屋。岷山は四川省の西北、揚子江の水源にあたる山。 沲江は沱江とも書き、揚子江の一支流。 成都のあたりを流れる。厳武の執務する部屋に、この山水をえがいた絵がかけてあった。

それを見せてもらった作者が、画中の風物を題にして作った詩。十韻とはこの詩の韻の数を示す。十か所で韻をふみ、つまり二十旬より成るわけである。なお、この詩の題下に「得忘字」という注がある。これから見れば、厳武の事務室で酒宴があり、一座の人々がこの絵を題とし、それぞれに韻をきめて詩を作りあったので、作者が「忘」の韻をわりあてられたもののようである。

7日間ブックカバーチャレンジ16 李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』 

   李趙雪『「文人画」と近代 概念・中国絵画史学・国画』勉誠社 2026年  中国天津出身の李趙雪さんが東京藝術大学に提出した博士論文です。指導教官であった佐藤道信さんの構造主義的研究法を活用した瞠目すべき成果です。文人画研究者は李さんが提起したパラダイム変換に答えなければなら...