ところが密教では否定されねばならぬ五境に、逆に真理が象徴として宿っているのだと説く。またその象徴を理解するために、一般仏教ではその活動を停止することが求められている五感を、逆に思いきって活用せよという。こういったところに、果分を可説たらしめた密教の積極的な姿勢を読み取ることができるであろう。
目という感覚器官を活用するための対象として、密教の華やかな荘厳具とか儀礼、曼荼羅などがある。密教の道場は一般仏教の各宗派の道場に比して、まことにきらびやかである。また荘重な宗教儀礼が数々用意されている。さらに曼荼羅といった宇宙の真理を凝縮した図形がある。人はこれらから視覚を通じて真理より送られてくる暗号を解読し、その内容を具体的に把握することができる。





