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2026年5月29日金曜日

7日間ブックカバーチャレンジ21 竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』

 


竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』中央公論美術出版 2026年


 最近読んでおもしろかった美術書を「7日間ブックカバーチャレンジ」に取り上げてきたら、みんな著者が女性になってしまいました。チョッと口惜しいので( ´艸`)、7冊目は男性による美術書を選ぶことにしましょう。男性といっても編者で、論文執筆者には4人も女性が含まれているのですが……。


 かつて7日間ブックカバーチャレンジで取り上げた『松竹梅の美術史』に続く第2弾です。はじめて僕が雲龍図を扱ったのは、半世紀以上まえ「探幽筆日光東照宮陽明門雲龍図天井画について」という拙文を『美術研究』に寄稿したときでした。


しかし本書のコシマキにある「東洋のイマジネーション」という視点を欠いていました。その後もこれを深く考える機会はありませんでした何か龍について書くときは金井紫雲の『東洋画題綜覧』でお茶を濁していましたが、これからは必ず『龍の美術史』をひもとくことにしたいと思います。なお本書の出版もまた鹿島美術財団の助成によるところです。


『唐詩選』に選ばれる杜甫の五言律詩「禹廟」に、龍の障壁画が詠まれていることを思い出しました。またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。四川省忠州にも禹廟――夏王朝の始祖とたたえられる聖天子の禹を祀った廟がありました。765年、揚子江を船で下る流浪の旅に出た杜甫が、この禹廟に立ち寄って詠んだ一首だそうです。杜甫は「龍蛇」としていますが、「青龍・玄武」と訳してみました。


 の禹の廟びょうは人気ひとけなき 山の真中まなかに鎮しずまりて 

  秋風 吹いて夕日影 今しも斜めに射している

  その庭前は荒れ果てて 柑橘かんきつの木に実が熟れて

  古びた廟の障壁に 青龍・玄武が描かれる

  長江 望む絶壁に 雲がモクモク湧き起こり

  その下 流れる水の音も 走り去ってく砂の上

  四種の乗り物 禹が駆使し 治水工事で三巴から

  長江の水 引いた苦労――いま廟前に偲しのんでる


2026年5月28日木曜日

7日間ブックカバーチャレンジ20 児玉絵里子『歌謡と芸態 在原業平の表象』

 

児玉絵里子『歌謡と芸態 在原業平の表象』 勉誠社 2026年


 児玉絵里子さんは芸能と文学と美術の抜き差しならぬ関係を追究してきた研究者です。そこに日本文化の基層ともいうべき、琉球文化という視点を導入した点がとてもユニークです。木村重信先生が主宰する民族芸術学会で、初めてお会いしたのは20年ほどまえでしょうか。


それ以来児玉さんの研究からは多くの刺激を受けてきました。このたび児玉さんは京都美術工芸大学に着任されましたが、僕も3年間大変お世話になった大学です。何か縁を感じないではいられません。新著『歌謡と芸態 在原業平の表象』は、歌謡と芸態という観点から本質を問おうとする意欲作です。その研究成果を、児玉さんはつぎのように述べています。


踊歌(歌謡)が備える物語性は、「芸態」すなわち芸能の身体的動作(所作・振り・型) を芸術に昇華させる根本的要素にほかならない。踊歌(歌謡)と芸態の考察は芸能の生 成過程を明らかにする重要な「鍵」だが、両者に照明を当てることで浮かぶ表象の姿こそ、日本文化を貫く日本人の思想にほかならない。それは、業平と『伊勢物語』が 「芸能の表象」となり、やがて寺社仏閣に近しく栄えた芸能本来の呪術的性格を伴って、人々に幸福をもたらす厄除開運の像として信仰にも近い「希望と祈りの表象」となっ たことを物語る。


 美術史を専門とする僕は、第2章「歌謡と芸能踊衣裳――若衆歌舞伎と歌舞伎の意匠 ゆきのふりそでちらちらと」にもっとも興味を覚えました。若衆歌舞伎とその代表的な踊り歌を集めた「業平躍」などとの関係はすでに指摘されてきました。

 

しかし児玉さんは、「踊り絵巻」(奈良県立美術館蔵)にみられる若衆踊りの詞章と挿絵の衣裳模様から考察を広げ、雪輪(雪)というキーイメージを抽出し、それを『伊勢物語』や在原業平伝説と結びつけて読み解いたのです。


若衆歌舞伎と業平の関係で思い出すのは、2005年『芸術新潮』で「光琳の七不思議」という特集を監修したとき、丹尾安典さんと行なった対談ですね。丹尾さんによると、『古今和歌集』に詠み人しらずとして、「思ひいづるときはの山のいはつづじ言はねばこそあれ恋しきものを」という一首が収められています。


ところが男色世界では、弘法大師の実弟である真雅僧正が、少年の在原業平に恋焦がれて詠んだ恋歌ということになっているそうです。こんなところにも、若衆歌舞伎と業平が結びつく原因があったのかな? あるいは両者が結びついていたからこそ、真雅の逸話が生まれたのかな?


じつは僕も「寛文美人試論」という、文字通りの拙文を書いたことがあるです。しかし児玉さんの研究を知った今なら、もうチョッとおもしろく仕立てることができるような気がします。気がするだけかな(笑) また雪を花にたとえる和歌がたくさんあることを教えてもらい、漢詩だけじゃなく、和歌からも改めて蕪村の「夜色楼台図」を考えてみたいと誘惑されたことでした。

2026年5月27日水曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」4

 


大正15年1926スタールが日本へやってきたとき、日本の千社札愛好家が歓迎の意を込めて作った納札会のポスターのようです。もとになった絵は、五雲亭貞秀の富士全景図(1860年)です。日本の江戸と近代が入れ子になっていますが、それをもたらしたのがアメリカ人であったというのが、じつに愉快じゃ~ありませんか。


はじめに掲げた写真に写る僕が右手に持っているのは、葛飾北斎の富士御祭神・木花之開耶姫をフィーチャーして、このたび制作された「静岡県富士山遺産センターオリジナル千社札」です。関連イベントに参加した全員にプレゼントされるそうです。

 

江戸川柳の佳吟「蜘蛛の巣をとるかと思や千社札」は、少しでも札を高いところに貼ろうとする人の心理を揶揄しつつ、千社札が蜘蛛の巣の掃除と同じ、ごく普通に行なわれていたことを教えてくれています

7日間ブックカバーチャレンジ19 山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』 



山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』 青弓社 2026年


 山田萌果さんが2023年3月北海学園大学大学院に博士論文として提出した「アブジェクトとしての少女――現代日本の少女表象へフェミニズム美学からのアプローチ」をもとに、大幅に加筆修正したのが本書だそうです。山田さんは「序章」のなかで、つぎのように述べています。


本書の課題は大きく三つに分けられる。第一は、少女がいかにアブジェクトな存在であるかを明らかにすること。第二は、現代芸術に出現するかわいいだけでない少女に、その描き手である芸術家が何を託しているのかを明らかにすること。そして第三は、アブジェクトを強調して描かれた少女の芸術的価値を明らかにすることである。


 山田さんは本研究の重要なキーワードとして、「アブジェクト(名詞「アブジェクシオン」)を措定します。フランスで活躍するブルガリア出身の思想家ジュリア・クリステヴァは、『恐怖の権力――<アブジェクシオン>試論』(1980年)において、この言葉を一つの概念として理論化しました。それは「アイデンティティ、システム、秩序をかき乱すもの、境界や場所や規則を尊重しないもの、つまり中間的で、曖昧な、混ぜ合わせのものである」と規定されるそうです。 


一般的に「アブジェクト」は、みじめな、みすぼらしい、卑劣で軽蔑に値するという意味ですが、クリステヴァは新しい概念規定を行なったようです。山田さんはこのクリステヴァ理論によって、日本現代美術の少女表象を読み解こうとしています。それは充分に成功しているように思います。


もちろんこのような方法論には批判も予想されますが、方法論批判は何も生み出さないというのが僕の考えです。ある方法論が嫌いな研究者は、その方法論を利用しなければいいだけの話で、方法論を批判してもナンセンスでしょう。山田さんはフェミニズム美術史が興隆したときのジェンダー論争を、序章・註19に詳しく報告して、方法論に対する自分の立ち位置を明らかにしています。


「未成年」というのはコンテンポラリーアートの中核的概念です。それを早くに見抜き、すぐれたコレクションを形成したのが高橋龍太郎さんです。それは「ネオテニー・ジャパン」というコレクション名に象徴されており、このカタログブックは山田さんの参考文献リストに抜かりなくあげられています。


 かつて「ネオテニー・ジャパン」展を秋田県立近代美術館で開催したとき、美術手帖編『現代アート事典』(美術出版社 2009年)のお世話になりました。いま書架から引っ張り出してきて「未成年Adolescent」のページをみると、山田さんも依拠したジュリア・クリステヴァとその「未成年の小説」が引用されているではありませんか。僕が知らなかっただけで、重要な思想家だったようです。しかしわずか2ページの解説では隔靴掻痒の感を免れず、はじめて山田さんにより「未成年」の意味が少し分かるようになったのです。

 十代後半から二十代前半まで、摂食障害とうつ病でほとんど起き上がれない日々を過ごしていたという山田さんが、すぐれた博士論文を完成させ、それをもとに本書を出版された克己と努力と苦闘に心からの尊敬を捧げたいと思います。山田さん、あなたの「あとがき」を読んで、熱いものがこみ上げてくるのを僕は止められませんでした。出版をお手伝いできた鹿島美術財団を誇らしく思っています。

2026年5月26日火曜日

静岡県富士山遺産センター「粋を摺る――千社札の中の富士山――」3

 


しかし規制はほとんど効果がなく、流行は止まなかったともいわれます。これまたまさに江戸文化です。よく知られた資料に、斎藤月岑『東都歳時記』(1838年刊)の初午の記事があります。もっともこれは江戸の稲荷神社を巡り貼っていくもののようです。「中人」とは成人と幼児との中間年齢層ですから、大の大人はあまりやらなかったのでしょうか。


千社参りと号して、稲荷千社へ詣でるもの、小さき紙に己が名所などころを記したる札をはりてしるしとす。此の族殊に多し何れも中人以下の態なり。


 「僕の一点」は「米国御札博士寿多有歓迎富士全図」(静岡県富士山遺産センター蔵)ですね。「寿多有」とは、先にチラシにあったフレデリック・スタールのこと、千社札に魅入られて熱狂的コレクターとなったアメリカ人です。

7日間ブックカバーチャレンジ18  児島薫『藤島武二研究 「東洋」の女性像 「帝国」の風景画』

 


児島薫『藤島武二研究 「東洋」の女性像 「帝国」の風景画』中央公論美術出版 2026年

 藤島武二は大好きな洋画家の一人ですが、これまた大好きな川喜多半泥子が本書に登場するので、うれしくなってしまいました。挿絵の「桜の美人」(石水博物館蔵)をながめながら、かつて半泥子ゆかりの石水博物館で、半泥子へのオマージュを捧げたときのことを思い出したです。

 30年ほど前でしょうか、児島さんが著わした「新潮美術文庫」の『藤島武二』を読んで感を深くしましたが、このポケットブックを438ページのモノグラフに発展充実させた児島さんの努力をたたえたいと思います。出光美術館が出版のお手伝いをさせてもらったことも是非書き添えておきましょう。児島さんは「本書のねらい」を次のように語っています。


藤島が当時の台湾や「朝鮮」、中国を訪れたことの意味についても考察する。戦前の日本の帝国主義、植民地主義について考えること無しに純粋に絵画としてモダニズムの文脈で語ることは、藤島が生涯取り組んだ仕事の全体像を狭め、意義を減じてしまうと考える。 

藤島の評価の中心を、国家的な、あるいは公的な依頼画を受けるようになる以前の時期に留め、「浪漫主義」という個人的、感覚的な文脈に取り込むことによって、その仕事を帝国主義、植民地主義の時代の文脈から引き離すことになった。


しかし児島さんは事実だけを指摘し、その事実に目を向けるべきことを示唆しながら、早急な個人的評価をあえて避けようとしているようです。真善美の美を扱う美術史研究者としてたたえられるべきスタンスであり、本書の価値を高めています。マックス・ウェーバーが『職業としての学問』で指摘するように、これこそ教育者の理想です。


僕は児島さんの文脈コンテクストにおける今昔問題(!?)を、とても興味深く拝読しました。というのは、僕も江戸時代の絵画を江戸時代という文脈のなかで考えようとはしますが、20世紀半ばに生まれた人間にとって、きわめて難しいことだからです。


どうしても困難な道は回避して、現代に生きる僕の視点から、つまり現代の文脈から観察し記述するという安易な方法をとってしまうです。これこそ児島さんが批判するところなのですが……。原稿を書き上げて、これじゃ~まずいかなと思っても、結局は「これでよいのだ!!」と活字にしてしまうです( ´艸`)


7日間ブックカバーチャレンジ21 竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』

  竹浪遠・山本尭編『龍の美術史』中央公論美術出版 2026年  最近読んでおもしろかった美術書を「7日間ブックカバーチャレンジ」に取り上げてきたら、 みんな 著者が女性になってしまいました。チョッと 口惜しい ので( ´艸`)、7冊目は男性による美術書を選ぶことにしましょう。男...