あの平凡な非凡人である画伯が、そのような精神状態になることなど、想像もできませんでした。今日出海氏は「自然の人、前田青邨画伯にはエピソードはない」と、先のエッセーを書き出しているほどなのです。画伯は「きわめてノーマルに成長した人」であり、「屈折したものがなく、偏狭な精神構造もなく、ただ自然に個性を伸ばしていった」というのです。しかしそれだけではなかったのです。
先の事実を知って、驚いた僕は改めて考えてみました。そして理想とした近代的自我をもつ画家と、平凡な非凡人である自己との乖離あるいは齟齬に、画伯は苦悩されたのではないだろうかという推論に至りました。
近代的自我は、平凡なる非凡人である画伯が理想として、あるいは自己に欠けたものとして自覚的に目指したイディアであったからです。もともと近代的自我意識をそなえていた大観であれば、こんなことに悩む必要はまったくなかったにちがいありません。





