2019年4月30日火曜日

山種美術館「花*Flower*華」2


今日(427日)は「饒舌館長『四季の花――琳派の傑作――』口演す」ということに相成りました。キャパ200人の國學院大學院友会館は満員御礼――それでも50人以上の方々にお断りをしたというのですから、こんなうれしいことはありません。

木花之開耶毘売[このはなのさくやひめ]から始まり、すでにアップした「古径が遊亀になった話」まで、いつものおしゃべりトークとなりました。もちろんお馴染みの「ジンムスイゼイアンネイイトク」や『國華』創刊の辞「ソレビジュツハクニノセイカナリ……」、杜甫「春望」の「グォポーシャンホーツァイ」など、「ここでたいてい拍手が起こるものなんですけど……」というジョークも抜かりなく織り込みながら……()

最後に山﨑館長が「たいへん勉強になりました」と〆て下さり、今は亡き西城秀樹にならっていえば、「モトアキ感激!!」でした。いつも「とてもおもしろかった」「じつに楽しかった」「すごく笑えた」という感想ばっかりなものですから()

2019年4月29日月曜日

山種美術館「花*Flower*華」1


山種美術館「広尾開館10周年記念特別展 花*Flower*華――四季を彩る」<62日まで>

 山種美術館は日本一働いている館長といっても過言じゃない山﨑妙子さんを中心に、意欲的な美術館活動を展開、多くのファンを魅了し続けています。僕もちょっとだけお手伝いしているのですが……。

かつて日本橋兜町にあった山種美術館が、お洒落な広尾新館に移って10周年を迎えました。それを記念するとともに、いよいよ令和を迎える春の空気美しく、風やわらかな好き月々をことほいで、四季の花をテーマとする特別展が、今月6日から開かれています。江戸時代から近代・現代までの優品60点を集め、改めて日本に生まれてよかったと思わせてくれる美術展です!! チラシのリードに、書かれている通りです。

美しく咲き誇る花々は、古くから日本人の心を魅了してきました。花は春夏秋冬で多彩な表情をみせ、四季を象徴する題材としても愛好されて、現代にいたるまで描き継がれています。


2019年4月28日日曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」10


60日間というシバリのある「関屋澪標屏風」を撤収すべく来てくれた、我がキューレーターの吉田恵理さんに、僕のトークを聞いてもらえたことも、ぜひ書き添えておきたいと思います。彼女にはニューヨーク三菱の方々に対するギャラリー・トークでも頑張ってもらいましたが、たまたま日本から来ていてこれを盗聴した( ´艸`)僕のフェイスブック・フレンドから、とても素晴らしい解説であったと聞きしました。

続いてランチをはさみ、河田昌之さん、龍澤彩さん、ハルオ・シラネさん、メリッサ・マコーミックさん、小嶋菜温子さん、佐野みどりさん、高橋亨さん、エステル・ボエールさん、渡辺雅子さんの発表があり、最後に「幻の源氏」とそれ以外のパネル・ディスカッションとなりました。

2019年4月27日土曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」9


ほとんどこの傑作の伝来と、五十嵐公一さんの覚定注文説の紹介に終ってしまいましたが、「澪標図屏風」における住吉の浜の表現を、かの藤原敏行の名吟「住の江の岸に寄る波よるさえや夢の通い路人目よくらん」と結びつけたところに、新味があったかもしれません。
静嘉堂文庫美術館には、この和歌に取材する尾形光琳の硯箱がありますが、これは本阿弥光悦の原本をうつした作品です。したがって、静嘉堂文庫美術館には住之江を主題としつつ、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳という琳派三名家が打ち揃うことになるといって〆ました。

2019年4月26日金曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」8


13日はシンポジウム「源氏絵:新しい美術史的展望」の初日、会場はコロンビア大学のシャーマホーン・ホール614番教室です。小林忠さんの学生で、コロンビア大学教授をつとめるマシュー・マッケルウェイさんの挨拶に続いて、一番バッターは僕ということになっていました。

タイトルは「俵屋宗達筆『源氏物語 関屋澪標図屏風』と能」――すでに発表したことがある宗達と能の関係つき、「関屋澪標図屏風」に限って発表することにし、すでにフルペーパーの英訳も出来上がっていました。しかし、それを読んでも面白くないので、いつもの「おしゃべりトーク」という感じでやることにしました。

2019年4月25日木曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」7


そのあと、先だって佐野みどりさんが『國華』特輯号に組んだこととあいまち、いま話題となっている盛安本源氏――いわゆる「幻の源氏」を、覗きケースに顔をくっつけるようにして見ていきました。英語のキャプションが、”Phantom Genji”となっているのが愉快でした。

12日午前中は、島尾新さんと一緒にジョン・ウェーバーさんをお訪ねし、コレクションを拝見いたしました。ジュリア・ミーチさんと何年ぶりかの再会を果しましたが、フェイスブック仲間なので、いつも会っているような感覚が不思議でした。かつて國華社で見た柴田是真筆「茨木図額」の下絵に、改めて興味を呼び起こされるとともに、懐かしく拝見したことでした。

午後はみんなで展示を見ながらギャラリー・ツアー、夜はジャパン・ソサイアティで、カロール・アーミティッジのパフォーマンス”You took Part of  Me”を拝見しました。

2019年4月24日水曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」6


チェック・インをすまして部屋に入れば、伝統的なアメリカン・スタイルの落ち着いた雰囲気が得もいえず素晴らしく、一休みのあと、セントラルパークを横切り、30分ほど歩いてメトロポリタン美術館へ……。

外国人でもシニア割引があって$17、これこそ後期高齢者の効用です。すでに書いたように、我が俵屋宗達筆「関屋澪標図屏風」が燦然たる光を放ち、来館者の熱い視線を集めています。もちろんメインルームで、その前に巨大な座卓といった感じの机と椅子が設えられています。そこに座って、スピーチの内容を考えながら、改めてじっくりと観賞したことでした。

2019年4月23日火曜日

有馬三恵子「17才」by南沙織


 作詞家の有馬三恵子さんが、418日にお亡くなりになりました。83歳だったそうです。南沙織のデビュー曲「17才」の詞を遺してくれた方です。心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。「17才」のほか、伊東ゆかりの「小指の思いで」も素晴らしいですね。
初めて知りましたが、広島カープの応援歌「それ行けカープ」も、有馬さんの作品だそうです。

 今日(422日)お袋を見舞いに行き、ちょうどお昼時になったので、先日アップした「そば太田」に寄りました。入り口を入るとちょうど流れていたのが「17才」――復活した「じゃこ天うどん」を注文しながら、ジッと耳を傾けていました。

有馬さん逝去の記事をたまたまネットで見たのは今日の朝、そして同じ日のお昼に、有馬さんの代表曲を聴くチャンスに遭遇したのです。もし有馬さんの逝去を知らなければ、こんなに「17才」が心に沁みることもなかったでしょうし、「そば太田」に入るのがもうちょっと遅ければ、「17才」は聴けなかったのです。やはりシンクロニシティという現象は絶対存在するんです‼

メトロポリタン美術館「源氏絵展」5


というわけで、もちろんビジネスは快適ですが、かつてのアエロ・フロートを考えれば、ボーイングならエコノミーだって御の字です。かつて辻惟雄さんは、「ビジネスでなければ海外に行けないようになったら、もう海外には絶対行かない!」という名言を吐きました。

そもそも、前澤や孫や三木谷と名乗る方々ならいざ知らず、僕なんかがビジネスに乗るべきじゃーないんです。しかし、どうぞビジネスで……と招待されれば、もちろんヤブサカじゃーありません()

同じ飛行機だった金城学院大学の龍澤彩さんと、タクシーでブロードウェイ75のホテル・ビーコンへ……。今回、中心となって準備を進めたバーク日本美術研究所の岡みどりさんがロビーで迎えてくれます。


2019年4月22日月曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」4


これを読んで僕は、日本酒文化もだんだんワイン文化の域に近づいてきたなぁと、とてもうれしくなりました。かつて「おしゃべり館長」にアップしたことがあると思いますが、日本酒をもっと世界の方々に楽しんでもらうためには、ワインのように、ソフィストケートされた褒め言葉や、微妙な差を分からせる表現が絶対必要です。

ワイン評というか、ウンチクというか、「ほんまかいなぁ」と思わせるものも少なくありませんが、日本酒もただ甘口だ、辛口だなどといってグイグイやってるようじゃー、文化としての発展がありません。ウソでもいいから、日本酒ソムリエの方々には、微妙な差を的確な表現でどんどん発信していただきたいと念じています。もっとも「AKABU」は、食前食中食後と3杯もやったせいか、上品な余韻を楽しむ前に眠っちゃいましたが()

2019年4月21日日曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」3


主催者が後期高齢者になった僕の健康を案じてくださったのか、今回は往復ともビジネス・クラス、快適この上なき空の旅です。しかも、いまのビジネスは椅子が完全にフラットになる――つまりベッドになります。そして何よりうれしいのは、やはり食事ですね。というよりも、ドリンクですね。ワインはワインアドバイザーが選んだ銘酒が5種もそろっています。

しかしこれから1週間アメリカだと思うと、やはり日本酒がやりたくなり、今まで味わったことのない岩手県・赤武酒造の純米大吟醸「AKABU」をお願いしました。スッキリとして口当たり爽快なる銘酒です。メニューには、「グリーンアップルやメロン、白桃の香りが穏やかに広がります。優しい甘さと共にピュアで輪郭の整った口当たりはとても心地よく、透明感のある上品な余韻をお楽しみ頂けます」とあります。

2019年4月20日土曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」2


311日午前羽田発のJALで一路ニューヨークへ。今回のスポンサーは、コロンビア大学バーク日本美術研究所です。僕もお世話になったことがあるアメリカの日本美術コレクター、メアリー・バークさんのご遺志をもとに最近設立された研究所です。とくに日本美術を研究するために創られた研究所というのですから、日本人としてこんなうれしいことはありません。

しかも、バークさんが日本美術のコレクションを始める切っ掛けになったのは、英訳された『源氏物語』を読んで、いたく感動されたためだそうです。そのバーク日本美術研究所が源氏絵展シンポジウムの主催者となったことを、泉下のバークさんは、どんなに喜んでいらっしゃることでしょうか。

2019年4月19日金曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」1


メトロポリタン美術館「源氏物語 絵画化された日本の古典文学」<616日まで>

 34日から、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、とても充実した特別展「源氏物語 絵画化された日本の古典文学」が開かれています。企画したのはメトロポリタン美術館のジョン・カーペンターさん、ハーバード大学のメリッサ・マコーミックさん、多摩美術大学の木下京子さんです。

会場では、我が静嘉堂文庫美術館が所蔵する国宝7点のうちの一つである俵屋宗達筆「関屋澪標図屏風」が燦然たる光を放ち、来館者の熱い視線を集めています。これまで国宝を海外にお貸ししたことはないのですが、展覧会の規模と意義を考え、またカーペンターさんの情熱にも館員一同深く心を動かされ、むしろ僕たちの方から、ぜひ源氏絵を象徴する作品として陳列していただくよう――できたら一番目立つところに陳列していただくよう、お願いすることになりました()

オープニングには代表理事の佐々木幹夫さんと常務理事の安藤一郎さんが出席、僕はカーペンターさんの招待を受けて、413日と14日の両日開かれるシンポジウムの方へ参加することにしました。

2019年4月18日木曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)8


以上は、秋田県立近代美術館で行なわれた特別展「招き猫亭コレクション 猫まみれ展」をブログ「おしゃべり名誉館長」にアップしたものの一部ですが、その後どうしても「贈猫」以外のネコ詩を知りたくなり、『陸游集』全5巻を買ってしまいました。その中から、「雪児」に寄り添う五言律詩を戯訳で…… 

 木に登ること誰よりも 得意なんだネ 虎みたい

 人の言いなり 馬は馬鹿!! キミは気ままに生きている

 ネズ公捕らえることだけは 天才中の天才で

 魚の入ったネコメシが 何より好きなご馳走だ

 マタタビの実にゃ メロメロで

 あったか毛氈 夜の夢

 きっと前世もこの俺の 子供であったにちがいない

 この山村であい共に 老いていこうや のんびりと

2019年4月17日水曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)7


この一海さんが編集した『陸游詩選』(岩波文庫)に、「贈猫」という七絶が収められています。一海さんによれば、陸游は「南宋随一の詩人」、「飼猫の詩は唐以前にはあまり見えず、宋に至ってにわかに増える。陸游には20首を超える作品があり、雪児、粉鼻、小於菟などの愛称で呼んでいた」そうです。又々僕の戯訳で……

塩を贈ってその代わり 我が家に子ネコを迎えたよ

  書斎に万巻満ちる本 ネズミにやられぬようになる

  だが「悲しいなぁ!!」貧乏で その功績に報いえず

  寒中座る毛氈[もうせん]も 食事に添える魚[うお]もなし

2019年4月16日火曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)6


 陸游の「ネコを近くの村でもらい、雪児という名をつけたので戯れにその詩を作った」という五言律詩

一海知義さんに会ったことはありませんが、尊敬する中国文学研究者です。最近、僕は『國華』「南画と文人画 人物画篇」特輯号のために、「行路の画家蕪村――その旅立ち」という拙文を書きましたが、蕪村結城下館時代の傑作「陶淵明・山水図」三幅対を考えるに当たって、まず読み返したのは一海さんの『陶淵明 虚構の詩人』(岩波新書)でした。

しかしガチガチの研究者ではないらしく、かつて一海さんの友人たちは、停年記念に、『生前弔辞 一海知義を祭る』と題する一冊の弔辞集を出版したというのです。これは陶淵明の「自祭文」にならったものですが、一海さん自身にユーモア精神があっての話でしょう。

2019年4月15日月曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)5


 
 
  べっこう色の毛はソフト 生まれついてのおりこうさん

  ネズ公出没しなくなり 夜も太平ぐっすりと……

  もらって来てから一年も たたずに何で死んじゃった

  あるいは僕の飼い方に 欠けていたのか愛情が

  膝に抱かれてご主人に 甘えていたのを思い出す

  縁側あたりで子供らを 呼んでいた声まだ聞こゆ

  漢方・烏薬[うやく]を飲ませたが 薬効なきを恨むのみ

  牡丹の下に埋め 蘇生 願ったけれど無駄だった

  襤褸[ぼろ]でくるんで丁重に…… 恩を謝したが何になる

  ともしびの前 老人の まなこ涙でかすんでる

2019年4月14日日曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)4


しかし今回の目玉はネコの水指!! 担当学芸員がネコ・ファンなのか、はたまた今のネコ・ブームを当て込んだものなのか、いずれにしろネコ党の僕としては是非お薦めしたい特別展、印象記はこのブログに必ずアップすることにします。

もっとも、香山はネコの持つ妖力に惹かれたのか、ちょっと恐い顔になっています。現在のブームは、ネコの愛くるしさに照明を当てることにより生み出されたものです。それを知った上で、この水指を見れば、また新しい魅力も発見できるにちがいありません。

とは言っても、やはり僕のタビの方がずっと可愛かった(!?) 去年の44日、15歳で逝去したメスのスコティッシュ・ホールドです。私事ながら、悲しみのあまり、『京都新聞』のコラムに書いちゃったほどです。そのときちょっと引用した日本初期文人の一人、祇園南海の七言古詩「悼猫」を、またまた僕の戯訳で紹介することにしましょう。

2019年4月13日土曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)3


サントリー美術館「没後100年 宮川香山」と愛猫タビ(2016年)

 サントリー美術館から、特別展「没後100年 宮川香山」の案内をもらいました。会期は224日から417日まで、同封されたチラシには、「欧米を感嘆させた、明治陶芸の名手。」とあり、「名手」には「ファンタジスタ」とルビが振ってあります。このチラシの写真を見て驚きました。

香山の研究家コレクターとして有名な田邊哲人さんの「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」が選ばれ、そのネコの顔が大きくフィーチャーされていたからです。香山といえば、代表作は蟹の花瓶と決まっています。その一つは重要文化財になっていますが、その指定のさい僕も審議委員だったので、これは凄いアーティストだと、改めて深く心に刻み付けられたものでした。

2019年4月12日金曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)2




梅尭臣「猫を祭る」


 ネコも北宋の詩人・梅尭臣も僕の愛するところです。そこで『中国詩人選集』第二集3から、例によって僕の戯訳で……


<五白>というネコ飼ってから 本はネズミにかじられず

  だが今朝<五白>は死んじゃった ご飯と魚をそなえたよ

  水葬に付し心籠め 彼女の冥福祈ったよ

  かつてネズミをつかまえて 鳴きつつ庭をぐるぐると……

  ほかの奴らもおどかして 追っ払おうとしたんだろう

  オイラの舟に乗り込んで 来た時いらい夫婦のよう

  貴重な乾飯[かれいい]ネズ公の 残飯食わずにすんだのも

  彼女の働きあればこそ!! 鶏[とり]や豚にもまさりたり

  「馬やロバなら役に立つ ネコにゃ車は引けない」と……

  分かっちゃねーなと笑いつつ 哀悼の意を捧げよう

 

2019年4月10日水曜日

小林古径が小倉遊亀へ6


もっとも古径は遊亀より40年以上早く、1957年に没していますから、何も知らなかった可能性も残るでしょう。かつて東京大学の「ニュース」でしたでしょうか、何かに書いたような気がしますが、古径は自分が今あるのは、みずからの才能というよりも、周囲の人々のお陰だと述べています。他人を押しのけて我が画名を高めようとするような、卑しい根性の人間ではありませんでした。

このような古径の人柄からみるとき、もし知っていれば、遊亀のためにも「白菜」は彼女の筆になることをおおやけにしたに違いありません。考えれば考えるほど、あっちにいったりこっちにいったり、結論など出るはずもない問題ですが、これは近現代日本美術史のワクワクするようなミステリーですね。「古径遊亀コード」とでも呼んでおきましょうか()

2019年4月9日火曜日

小林古径が小倉遊亀へ5


僕がそう考えるのは、遊亀が古径をとても尊敬していたからです。遊亀が直接就いたのは安田靫彦でしたが、それにも増して強い憧憬を感じていたのは古径でした。周知の事実です。

遊亀は自分の作品が、仰ぎ見るような古径の作品として通っていることに、一種の誇りを感じていたのではないでしょうか。もし事実を発表すれば、みずからの秘かな喜びを失うとともに、古径を傷つけることにもなりかねません。

もう一つ考えられる理由は、遊亀がその美術商を知っていた可能性です。もしそれを公表したりすれば、無用な混乱を起こすことになるでしょう。この点を重視すれば、古径も遊亀作品が自作になっていることを知っていたけれども、同じ理由で黙していたということになります。

2019年4月8日月曜日

小林古径が小倉遊亀へ4


凸版カレンダーの解説に、小倉和子さんが書いているとおり、画面の中心が少し右に寄ることになりましたが、あまりに出来映えがすぐれていたため、それさえも鋭敏なる古径の美的感覚とみなされ、古径筆を疑う研究者は誰一人いなかったのでしょう。

しかここで疑問が起こります。遊亀が「菜」を描いたのは1942年、105歳で亡くなったのは2000年です。いつ遠山コレクションに収まったのかは知りませんが、その間、遊亀は自分の作品が尊敬する古径の作品になっていることを知らなかったのでしょうか。知るチャンスに恵まれなかったのでしょうか。このあたりは小野さんに訊いてみなければ何ともいえないのですが……。

しかし、必ずや遊亀は知っていたんだと思います。知っていたけれども、黙っていたのではないでしょうか。

2019年4月7日日曜日

小林古径が小倉遊亀へ3


ここで再度ところが、遠山記念館所蔵の古径作品と、この遊亀作品の写真を比べると、細部まで完全に一致しており、同一の作品であることが明らかなのです。ただ、落款だけが異なり、よく見るとその位置も微妙に違っています。

ここから導かれる活論は、小野さんの指摘どおり、『国画』掲載のあと、遠山記念館創立者である遠山元一氏がコレクションに加えるまでの間に、何ものかが――もっとも疑われるのは関係した美術商でしょうが――高く売るために改作の手を加えたというストーリーでしょう。

遊亀の落款は画面右下ギリギリのところにありますから、数センチを断ち落とし、本来ならその左脇にあたるあたりに、ニセ落款を加えれば、何倍にも高くなる古径筆「白菜」にヘンシーンというわけです。


2019年4月6日土曜日

小林古径が小倉遊亀へ2


 ところが、先日送られてきた「遠山記念館だより」56号を見ると、この絵が表紙に大きく印刷され、その下に「小倉遊亀筆『菜』」と書いてあるじゃーありませんか。一瞬目を疑いましたが、小野恵さんの「館蔵品紹介」を読んで、その理由がよく分かりました。

分かりましたが、驚きはさらに大きくなりました。しかもきわめて面白いニュースです。凸版カレンダーを引っ張りでしてくると、9月/10月を飾るのが確かにこの傑作、さっそく「饒舌館長」に紹介することにしたという次第です。

 この事実を指摘したのは、東京国立近代美術館の鶴見香織さんだそうです。美術雑誌『国画』昭和17年(19425月号に、この作品が小倉遊亀の「菜」として掲載されていることを発見したのです。先の白文方印と同じように、業界で朱文方印と呼ぶハンコの印文までは判りませんが、「遊亀」というサインだけははっきりと読めます。この年に開催された「日本美術院同人軍用飛行機献納作品展」のために、制作された作品のようです。

なお、小野さんも鶴見さんもかつて『國華』でお世話になったことがある、すぐれた女性美術史研究者です。

2019年4月5日金曜日

小林古径が小倉遊亀へ1


小林古径が小倉遊亀へ(『遠山記念館だより』56号)

 小林古径は僕がもっとも好きな近代画家の一人です。そのなかでもっとも好きな絵が、遠山記念館が所蔵する「白菜」です。面取りされた薄いグレーのガラス器に、白菜と青梗菜と蕪を盛ったところを、背景は素地そのままにして描いた一点です。実にいい! 得もいえず素晴らしい!! 古径の傑作だ!!! 画面右下には、「古径」というサインがあり、「古径」と彫られた、業界で白文方印と呼んでいるハンコが捺されています。 

ただし現物を見た記憶はなく、僕が魅了されたのは、古径作品を集めた2016年版凸版印刷カレンダーによってです。カレンダーなんて、普通は壁に掛けて使い切ってしまうか、年末年始にまとめて逗子市役所の「自由にお持ち帰りください」と書かれた交換ボックスに持っていくだけです。

しかしこの凸版カレンダーは、その一点のためにだけ、大切に仕舞ってありました。仕舞ってあるといっても、凸版カレンダーは特大のため、スチールボックスと壁の間に立ててあるだけですが……。

2019年4月4日木曜日

静嘉堂文庫美術館「春のコンサート」8


この美術と音楽は、どの地域、どの民族においても、もっとも早く誕生した文化であり、だからこそ、両者はとても相性がいいのです。美術館でミュージックコンサートを開くことは、とても理にかなったイベントなのです(!?)

もちろん最後に、例の天心『國華』創刊の辞――「ソレビジュツハクニノセイカナリ。コクミンノソンケイ、キンボ、アイチョウ、キボウスルトコロノイショウ、カンネン、コンカギョウケツシテ、ケイショウヲナシタルモノナリ」を、音吐朗々とやりました。

これまた例のごとく、ポカンとしている皆さんに、「たいていここで拍手が起こるものですが……」とかまして笑いを取りましたが、今日のコンサートをコーディネートしてくれた上田事務長は、「饒舌館長がまた懲りずにやってるわ」と苦笑いしたにちがいありません() 

2019年4月3日水曜日

静嘉堂文庫美術館「春のコンサート」7


皆さんよりもうちょっと年かさだったと思いますが、昭和46年から54年まで、僕は東京国立美術研究所の研究員をやっていました。その8年半のあいだ、ほとんどランチは東京藝術大学の大浦食堂でとっていたこと、お好みは「バタ丼」であったことを話すと、皆さんが急にシンパシーを感じてくれるように思われました。

調子に乗って、東京藝術大学の前身である東京美術学校を創立したのは岡倉天心であることから始めて、その天心が『國華』という美術雑誌を創刊したことへと話をもっていったのですが、皆さん『國華』をまったくご存じない様子でした。

そこで、『國華』の宣伝を兼ねて、世界でもっとも長く発刊され続けている美術雑誌であることを話しました。これは我が国が美の国であることを象徴するものであり、美術の国であることのエビデンスなのです。



2019年4月2日火曜日

静嘉堂文庫美術館「春のコンサート」6


その音色をとおして、マサキの草笛という子どものころの思い出と結びついたために、「春のメドレー」が一番印象深かったのかもしれません。いずれにせよ、「クィンテット レグロ」の演奏する木管楽器は、日本の曲にこそふさわしいように感じられたのです。この日帰宅するとき、近所のお宅のマサキの葉を失敬して草笛を作り、思い切り鳴らしてみました。もう完全に70年前のボクでしたね()

演奏終了後、皆さんが館長室を訪ねてくださいました。残念ながらちょっと曇っていて、霊峰富士を仰いでもらうことはできませんでしたが……。5人とも大学院の博士課程だそうですが、若さというのは、もうそれだけで素晴らしい。ポール・ニザンの名言は、逆説としてのみ成り立つのだと思います。いずれにせよ、もちろん僕にもそういう時代があったのです()

2019年4月1日月曜日

静嘉堂文庫美術館「春のコンサート」5


もっとも、ホルンは金管楽器ですが、角笛から次第に進化したためか、柔らかさと潤いに満ち、木管五重奏に加えられて用いられるそうです。

ホルン以外の皆さんは、楽器からリードの部分を外して、それだけを吹き鳴らしてくれましたが、みな葦で作られるそうです。「リード」を『広辞苑』で引くと、「簧[した]」を見よとあり、「簧」をを引くと、「舌」の意味で、楽器に装置する板状の薄片と出てきます。

それを聞いていて僕は、子どものころ作って鳴らした、マサキの葉の草笛を思い出しましたが、とてもよく似た音色なのです。もちろんそれで曲を演奏することはできず、ただ鳴らすだけだったのですが、音色にはどこか共通するものがあります。

ブータン博士花見会4

  とくによく知られているのは「太白」里帰りの物語です。日本では絶滅していた幻のサクラ「太白」の穂木 ほぎ ――接木するための小枝を、イングラムは失敗を何度も重ねながら、ついにわが国へ送り届けてくれたのです。 しかし戦後、ふたたび「染井吉野植栽バブル」が起こりました。全国の自...