科学を科学のままとせず、すぐに文学化してしまう我らが趣向に、とても興味を掻き立てられたことを思い出します。そういえば蒹葭堂旧蔵「貝類標本」も、科学の美術化だったといえるかな?
もう一つ思い出すのは、武田薬品の杏雨書屋で木村探元関係資料を調査したとき、ついでに見せてもらった木村蒹葭堂著『奇貝図譜』ですね。後題箋には「奇貝図譜」とありましたが、見返しには「南伎散能当万なぎさのたま」とありました。あとで『国書総目録』をみると「貝よせの記」で立項してあり、読みやすく「奈伎左なぎさの玉」とも書かれること、また複製本があることも分りました。
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