(垂仁天皇の)皇后の日葉酢媛命ひばすにめのみことが、薨こうじられた。葬りまつるまでに日数があった。天皇は、群卿に詔しょうして、「亡きひとに殉死する方法は、前に良いことではないということを知った。いま、今度の葬礼には、どのようにしたらよかろうか」と仰せられた。
そのとき、野見宿禰のみのすくねが進み出て、「そもそも、君王の陵墓に、生きた人を埋めるのは、まことに良いことではありません。けっして後世に伝えることはできません。願わくは、いま適当な処置を協議して奏上いたしたいと存じます」と申し上げた。
そこで野見宿禰は、使者を遣わして、出雲国の土部はじべ百人を召し出し、みずから土部たちを使って、埴はにつち(赤くて粘る土)を取り、人や馬および種々の物の形を造って、天皇に献上して、「いまより以後、この土物はにをもって生きている人にかえて、陵墓に立てて、後世の法といたしたい」と申し上げた。
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