2020年11月30日月曜日

『國華』1500号❣❣❣16

ところが西田さんによると、当時の1円はかけそば100杯分にあたったそうです。つまり、かけそば1杯が1銭ほどだったのでしょう。ときどき僕が食べに行く近くのお蕎麦屋さん「あん彦」では、かけそばが1667円ですから、これで計算すれば、『國華』創刊号は66700円だったことになります。もちろん667円というのは税抜き価格ですよ――明治時代消費税などなかったわけですから、税込価格では正しい比較になりません(!?)

いま『國華』は普通号で15000円、特輯号は7000円ですから、消費税を加えたとしても、かけそば100杯に比べれば、ものすごく廉価だということになります。みなさん、お買い得ですよ!!――でもチョット理論の飛躍があるかな()

 ところで最近、北斎の『万物絵本大全図』の版下絵103点が、新しく大英博物館のコレクションに加わりました。 

2020年11月29日日曜日

『國華』1500号❣❣❣15

創刊当時、『國華』は11円でした。編輯委員の間では、当時の1円は今の1万円から15千円に当るようだから、創刊のころはものすごく高価な雑誌であり、それに比べれば、高いといっても今の方が安いんだということになっていました。

ところがあるとき、僕がネットで明治22年ころの物価を調べてみると、小学校の先生の初任給で比べた場合、今は25千倍になっていることが判りました。つまり『國華』1冊が、今でいえば25千円だったことになります。いよいよ今の『國華』は安いということになります。

 

2020年11月28日土曜日

『國華』1500号❣❣❣14

 


晩年の北斎が描いた肉筆画の大絵馬で、1923年の関東大震災で焼失。だが、2016年のすみだ北斎美術館(東京都)の開館にあわせ、1910年の「國華」に掲載された図版をもとに凸版印刷が推定復元した。同館に常設展示中

僕が『國華』創刊の辞の暗唱をやって拍手を強要すると、すぐニコニコ動画の画面に、「意味がまったく分からないのに、拍手なんかできない!!」というコメントがアップされました。世の中には真面目な方もいらっしゃるんだなぁと感を深くしましたが、そりゃ~格調が高すぎて、現代人に意味なんかよく分かりませんよ。やってる本人もジュゲムジュゲムみたいに唱えているだけで、ほとんど理解していないんですから()

2020年11月27日金曜日

『國華』1500号❣❣❣13


  僕は口演でしばしば「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」に続く数行を暗唱し、「ここでたいてい拍手が起るものですが……」と言って拍手を強要し、場を盛上げることにしています()

この間、墨田区主催の北斎生誕260年記念シンポジウム「世界の北斎 すみだにあり」に呼ばれた際も、「須佐之男命厄神退治之図額」復元の話題になったとき、僕は早速この暗唱をやって拍手を強要しました。というのは、この作品が『國華』のモノクロ・コロタイプ図版と深く関係しているからです。この記事にも一番大きく写真が掲載され、西田さんのキャプションが加えられていますので、次にそのまま引用しておきましょう。

なお、先のシンポジウム「世界の北斎 すみだにあり」については、遅ればせながら、改めてアップすることにしたいと思います。

2020年11月26日木曜日

『國華』1500号❣❣❣12

これを連載中の1116日、朝日新聞朝刊の「文化の扉」というコーナーに、「『國華』1500号 名品発信」と題する大きな特集記事が掲載されました。副題には「岡倉天心ら創刊 日本・東洋美術の『目利き』」とあります。お読みになった方も少なくないと思いますが、『國華』編輯委員でもある饒舌館長にとって、こんなうれしいことはありません。チョット主幹をやったことがある僕の名前も出ているみたいです。

 とてもうまくまとめてくれたのは、美術を担当する西田健作さん――本当にありがとうございました!! 西田さんは、『國華』創刊の辞の劈頭「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」から書き始めていますが、これこそ『國華』という誌名の由来です。四六駢儷体を読み下しにしたような、岡倉天心による創刊の辞は、日本語としても実に美しく、またすばらしい内容だと思います。 

2020年11月25日水曜日

『國華』1500号❣❣❣11

 


文君慚婉娩  文君は婉娩に慚じ

神女譲娉婷  神女も娉婷に譲[へりくだ]

爛熳紅兼紫  爛熳として紅く紫を兼ね

飄香入繍扃  飄香は繍扃[しゅうけい]に入る

確かに戯訳より読み下しの方が格調にすぐれますが、意味は戯訳の方が取りやすいと思います。もちろん普通に漢文学者が行なう現代語訳も悪くありませんが、チョット味気ない感じがします。基本的に戯訳は七五調や和歌調になっていますから、七言や五言の漢詩とリズムと言う点で、通い合うものがありますし、意味がよく取れるという点では、現代語訳と遜色ないのではないでしょうか?

それはともかく、僕にとってネットはもう完全に必須のツールですね――最初はあんなに馬鹿にしていたのに()

2020年11月24日火曜日

『國華』1500号❣❣❣10

 

僕がもっているのは『全唐詩』の簡単な索引だけですが、静嘉堂文庫には数種の『全唐詩』が収蔵されています。そのうちの清・聖祖編(康煕刊)888巻というのを見てみると、第11函第1冊の「徐寅」にチャンと載っていたんです。ついでといっては何ですが、それも掲げておくことにしましょう。

剣門南面樹  剣門 南面の樹

移向会仙亭  会仙亭に移したり

錦水饒花豔  錦水 饒[ゆた]かなる花豔[つや]やかにして

岷山帯葉青  岷山 葉の青きを帯ぶ


2020年11月23日月曜日

『國華』1500号❣❣❣9

 

『國華』には原詩と読み下しを掲げましたが、この「饒舌館長」では、毎度おなじみの戯訳で紹介することにしたというわけです。徐寅は福建・甫田の人だそうですが、剣門山、錦水(錦江)、岷山の3つがそろうのは蜀(現在の四川省)のようです。あるいは「蜀葵」という花の名に惹かれて、そこの立葵を想像して詠んだ詩なのでしょうか。

こういう漢詩があるらしいことは、春山幸夫著『花の文化史』で分かったのですが、そこには現代語訳の一部が引かれるだけで、詩人の名も詩のタイトルも書いてありませんでした。これが徐寅の「蜀葵」であり、『全唐詩』に収められていることが判明したのは、ひとえにネット検索のお陰でした。

2020年11月22日日曜日

『國華』1500号❣❣❣8

 

剣門山の南斜面 たくさん生えてる立葵

仙人たちが集うという 会仙亭に移植せり

豊饒なる花つややかに 錦水の水面[みなも]染めている

[みどり]の葉っぱが岷山を 変えた!! みごとな青山[せいざん]

卓文君をも恥ずかしく 思わせるその妖艶さ

女神を顔色なからしむ その穏やかな美しさ

咲き乱れたる紅い花 また紫の花もあり

刺繍で飾った扉から 馥郁[ふくいく]たる香が風に乗り……


2020年11月21日土曜日

『國華』1500号❣❣❣7

左隻の立葵は、琳派の画家によってしばしば描かれた華麗なモチーフですが、多くの薬効が知られてきました。この屏風が制作されたと推定される正徳年間、九条家の当主は九条輔実[すけざね]でしたが、そのころ子供の師孝[もろたか]が、わずか26歳で没しています。

このような点から、輔実が病魔に冒された師孝の病気平癒を願い、光琳に依頼して、解毒薬効の表象ともなる孔雀と立葵を一双屏風に描いてもらったのではないかと、饒舌館長は推定したのです。けっこう当っているんじゃ~ないかなと自負していますが、またまた妄想と暴走だと笑われちゃうかな() 

それはともかく、立葵の美しさをもっともよくたたえている詩歌は、唐末五代の詩人・徐寅の五言律詩「蜀葵」です。またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。

 

2020年11月20日金曜日

『國華』1500号❣❣❣6

 

僕は以前からニューアイデァを温めてきた、尾形光琳筆「孔雀立葵図屏風」を取り上げました。もともと光琳とゆかりのある九条家に伝えられ、『國華』にも九条家所蔵として紹介されたことがある名品ですが、そのあと原三渓の手に渡り、さらにあるプライベート・コレクションへ移りました。

そして最近、旧ブリヂストン美術館――名称も新しく華々しいスタートをきったアーティゾン美術館が収蔵することになった、あまりにも有名な光琳の重文屏風です。

さて、右隻の孔雀は、文禽ともたたえられる姿の美しさに加え、害毒を消去し息災延命の功徳を有する孔雀明王のイメージにつながっています。

2020年11月19日木曜日

『國華』1500号❣❣❣5

 

ついに1500号に達した『國華』は、「日本・東洋美術の伝統」という記念特輯号として編輯されました。まず辻惟雄さんの「日本美術の特質について――かざり、あそび、アニミズム」と、高階秀爾さんの「『源氏物語』の女たち」という巻頭論文から始まります。我らが美術史界の重鎮――というより、現在も日本美術史界のオピニオン・リーダーであり続けるお二人は、『國華』の編輯委員としても長い間活躍されました。

これに続いて、10人の編輯委員がそれぞれ、随論や作品解説を寄稿しています。「随論」というのは、70年にわたって『國華』編輯にたずさわり、現在の『國華』に育て上げた水尾比呂志さんが、随筆と論文を綯い交ぜにした文章に名づけたもので、僕もよく使わせてもらっています。


2020年11月18日水曜日

『國華』1500号❣❣❣4

これを物心両面で温かく、また力強く支え続けてくれたのが、創刊後間もなくやってきた危急存亡のときを救ってくれた村山龍平翁と上野有竹斎翁であり、両家が社主をつとめる朝日新聞社でした。その支援は現在も絶えることなく続けられています。

このように朝日新聞は、日本東洋美術研究のすぐれた庇護者であり、日本東洋文化の守護神であるといっても過言ではないと思います。もし朝日新聞の支援がなかったとしたら、『國華』は『ガゼット・デ・ボザール』と同じ運命を、しかもより早くたどっていたにちがいありません。

たとえ朝日新聞に反省すべき点があったとしても、もしそればかりをあげつらおうとする方がいらっしゃるなら、このような採算を度外視した日本東洋美術に対する朝日新聞の貢献を、饒舌館長は声を大にして叫びたいのです。今の言葉でいえばコストパフォーマンスをまったく無視した、日本東洋文化に対する熱烈なサポートです。




 

2020年11月17日火曜日

『國華』1500号❣❣❣3

 

世界でもっとも長命の美術雑誌が我が国にあるということは、日本が美の国であることの証明です。美術のまほろばであることの証しです。人文科学はもとより、社会科学でも、自然科学でも、世界最長の雑誌は必ず欧米にあると聞いたことがあります。それが美術だけは、我が日本に存在するんです。

これは美術を愛して止まない国民、日本東洋美術を慈しむ世界の人々が、明治以来『國華』を支えてくれたからにほかなりません。そのような人々の期待に応えて、岡倉天心以来、編集に携わってきた先輩たちが大変な努力を傾けてきたことも、ぜひ書き加えておきたいと思います。


2020年11月16日月曜日

『國華』1500号❣❣❣2

しかし、美術雑誌という条件にすれば、日本はおろか世界でもっとも古いということになるんです!! 『國華』より30年ほど早く、1859年フランスで『ガゼット・デ・ボザール』という美術雑誌が創刊され、ずっと出版され続けてきたものの、2002年、ついに休刊という名の廃刊(!?)になってしまいました。

『國華』のあと10年ほどして、イギリスで『バーリントン・マガジン』という美術雑誌が創刊され、これは現在も続いています。しかしこうなれば、『バーリントン・マガジン』がいくら頑張っても、我が『國華』を追い抜くことは絶対にできません――「当り前田のクラッカー」(!?) 

2020年11月15日日曜日

『國華』1500号❣❣❣1

『國華』1500号発刊❣❣❣ 特輯「日本・東洋美術の伝統」

 明治22年(188910月、岡倉天心を中心とする人々によって、『國華』創刊号が世に出ました。それ以来じつに131年、絶えることなく出版され続け、ついに1500号という節目の号に達しました。

絶えることなくといっても、じつは関東大震災と太平洋戦争敗戦前後には、何ヶ月間か出版がとどこおったことがありますが、それ以外は毎月、定期的に発刊されてきました。もっとも、僕が編輯アルバイトをやっていたころ、出なかった月があるにはあるのですが()

 現在我が国で出版されている雑誌のうちで、『國華』はもっとも長い歴史を誇っています。『中央公論』は『國華』より若干早く出版されましたが、これは途中で誌名が変っているそうです。したがって、創刊当時の誌名を守り続けて出版されている雑誌のうちでは――という条件をつけての話ですが……。 

2020年11月14日土曜日

北斎『潮来絶句集』と南郭5

  大堤数株柳  だいてい すうしゅのやなぎ

  不繋歓舟帰  かんがふねの かえるをつながず

  空余悩人色  むなしくひとを なやますいろをあまして

  不似儂依依  どうがいいたるににず


   数株の柳 堤防に…… 繋がず君が帰る舟

   風になびく葉 艶[なま]めくも もっと燃えてる恋心

 

2020年11月13日金曜日

北斎『潮来絶句集』と南郭4

しかし紙面の都合上、服部南郭の翻訳漢詩を紹介することがかないませんでしたので、これまた『江戸詩人選集』3により、ここで果したいと思います。これは原詩がないとおもしろくないので、戯訳と一緒にアップしましょう。オオモトの潮来節が分かれば、さらに興味も増すのですが……。

潮来の詞 二十首<うち二首>

 門前倚独樹  もんぜん どくじゅよる

 鬱鬱掩江涯  うつうつとして こうがいをおおう

 為是苦心多  これ くしんおおきがために

 春来不著花  はるきたれども はなをつけず

   門前近くに一樹あり こんもり茂って川岸に……

   冷たいあなたに恋煩い 花は開かず春来ても



2020年11月12日木曜日

北斎『潮来絶句集』と南郭3

青山文化センターにおける収録では、この「千辛復万苦……」をさらに訳したマイ戯訳を読み上げました。それは……

  一生懸命苦労して 朝に自分で結った髪

  いとしい貴方とベットイン きれいな髷[まげ]も乱れちゃう

当然編集でカットされるものと思っていました。なにしろお堅いNHKですよ。ところがそのままオンエァされちゃったんです(!?) きっと人間や文化の何たるかをよく知ったディレクターさんだったのでしょう。  

それはともかく、この潮来節を漢詩に翻訳するというチョット衒学的な遊びが、先に秋の詩を紹介した服部南郭によって早く行なわれていたことを知ったのです。これはおもしろい!!と思って、先月発行された『聚美』37号に書きましたので、ご興味のある方はご笑覧くださいませ。

 

2020年11月11日水曜日

北斎『潮来絶句集』と南郭2

  千辛復万苦  せんしん またばんく

今朝手親梳  こんちょう てみずからくしけずる

嚥婉同床裡  えんえんす どうしょうのうち

雲鬢故乱紆  うんかん ことさらにらんうす

 もちろん饒舌館長は、この翻訳漢詩にさらに戯訳をつけて楽しんできました。先日アップしたように、いまNHKラジオ第2・カルチャーラジオ「葛飾北斎再発見」という番組に出ていますが、その第4回は「宗理型美人と狂歌絵本」でした。


 

2020年11月10日火曜日

北斎『潮来絶句集』と南郭1

 

葛飾北斎『潮来絶句集』と服部南郭

今年生誕260年を迎えた天才浮世絵師・葛飾北斎に『潮来絶句集』というすばらしい狂歌絵本――厳密にいえば狂詩絵本があります。狂歌師・富士唐麿がわが国の潮来節を漢詩に翻訳し、それに北斎が挿絵を添えた、情緒纏綿たる傑作絵本です。かつて迷著『北斎と葛飾派』(日本の美術367)に私見を書きましたし、「饒舌館長」にもアップしたことがあるように思いますが、改めて一例をお示ししましょう。

しんくみだしてけさゆふたかみを ぬしのそひねでみだれがみ

 これがもともとも潮来節ですが、富士唐麿はこれを次のような漢詩に翻訳したのです。じつに愉快じゃ~ありませんか。結句の「雲鬢」は「雲鬟」の彫り間違いのようですが……。

2020年11月9日月曜日

服部南郭の秋の詩7

 


中秋の独酌

 もの寂しくて俺一人 玉壷の酒を酌んでいる

 夜の情趣を江戸の地で 味わうヤツなど誰もいず

 俗世で年取りゃ我が心 氷のように冷え切って

 秋来りゃ空にはお月さん 光っているよただ一つ

 白髪を照らす丸鏡 かかったようだよ大空に

 赤羽川の川底に 沈んだごとき珠[たま]を愛づ

 こんな素敵な中秋の 夜 町なかの友だちが

 空を仰いで俺のこと 思い出してる? いや全然?

 

2020年11月8日日曜日

服部南郭の秋の詩6

秋夜、友人に別る。『安』の字を得たり

 別れの宴[うたげ]は真夜中に なってお酒も冷えました

 「別れたあともお互いに 無事で……」と言葉 交わすのみ

 今夜はるかに指差した 関所の山に出た月を

 明日は地の果て行く馬の 背中で君は見るのでしょう

 

2020年11月7日土曜日

服部南郭の秋の詩5

 

県次公 舟を泛べて徂来先生を宴す。同に賦して『秋』の字を得たり

 周遊せんとて蘭[あららぎ]の 舟を泛[うか]べた隅田川

 日没のころ清き風 吹いて岸辺に舫い舟[もやいぶね]

 海の汐[うしお]が三叉[みつまた]を 裂かんばかりに押し寄せて

 武蔵・下総またがって 虹は両国橋の上

 差しつ差されつするうちに 満月昇り三味[しゃみ]に歌

 空に届いて行雲を 止[とど]めりゃ秋の涼しさが……

 錚々たる人打ち揃い 神仙舟に乗り合わせ

 世外[せがい]に遊んでいようとは お釈迦様でも知るまいに


2020年11月6日金曜日

服部南郭の秋の詩4

 

燕歌行

 秋の気配が日々日ごと 募ってきます 悲しいわ!!

 わびしく木々は風に鳴り 帰って来ません あの人は

 チョット登った高殿で 心の悲哀いや増して

 秋風吹けば白雲が 乾[いぬい]の方から流れ来る

 その西北の道はるか 君は久しく彷徨[さまよ]って

 天涯の地で故郷[ふるさと]を 思い出してることでしょう

 妾[わたし]は一人鬱々[うつうつ]と 転寝[うたたね]さえもできません

 君帰り来て再会が 叶うはいつのことかしら?

 いつも弾いてる琴に手が 触れても弾く気になれません

 なぜって澄んだその絃の 悲しい響きが恐いから

 この明月を夜明けまで 眠くもならず眺めれば

 遥か千里のかなたへと 雁鳴きながら飛んで行く

 銀河に降りた白露[しらつゆ]は 消えもしません一晩中

 牽牛・織女の紅涙が 妾[わたし]の衣を濡らします

 天上界には何ゆえに 悲しい別れが多いのよ?


2020年11月5日木曜日

服部南郭の秋の詩3

 

秋懐 二首 その2

 旅の宿りの我が住まい 秋風吹けばなお侘[わび]

 都の西北 夕景色 日に日に寂しくなってゆく

 放蕩無頼の阮籍[げんせき]が おぼれた酒なら分かるけど

 晩年 書物を著わした 虞卿[ぐけい]の真似などするもんか

 見渡す限りの大自然 枯れゆく草木[くさき]を悲しんで

 身の置きどころなき天地 うらやましいのは漁夫木こり

 我が人生は順調に 進んだためしがまるでなく

 故郷の田舎に隠居した 淵明みたいな詩もできず


2020年11月4日水曜日

服部南郭の秋の詩2


秋懐 二首 その1

 ひとひらの雲 空の果て 木々 鮮やかに紅葉し

 時に感じて見下ろせば 旅人[りょじん]の心 悲しみに……

 落ち葉 散り敷く高殿に 光陰矢のごと流れゆき

 大海の靄[もや]果てしなく 愁いもいよいよ深くなる

 酔えば隠者の庭の菊 採って夕餉[ゆうげ]のおかずとし

 病気がちにて髪の毛に 秋の霜さえ見え始む

 要領悪い役人が 傲慢不遜となじられて

 髪 振り乱し歌いつつ 彷徨[さまよ]うさまは楚の狂人

 

2020年11月3日火曜日

服部南郭の秋の詩1

 今年の「饒舌館長」は大好きな服部南郭の春の詩から始まり、そのあと夏の詩を紹介しましたので、続いて秋の詩をエントリーすることにしましょう。もちろんすべてマイ戯訳――漢詩なんだから、もうチョット格調高くやってくれという声も聞こえてきますが() みんな出典は岩波書店の『江戸詩人選集』3<服部南郭・祇園南海>です。まずは「秋夜の吟」から……。

 庭のほとりの木の上で 夜中にカラスが鳴いている

 ベッドの脇の床[ゆか]にまで 月の光が差し込んで……

 秋は悲しく眠られず それが続くは誰がため?

 寒さいや増す長き夜 ついに露さえ霜となる

 鬢の白さを競うなど 止めよ!! 愁いに沈む人

 今宵はすでに半分が 過ぎてしまったことだから 

2020年11月2日月曜日

東京国立博物館「桃山」12

  もう一つ、式部輝忠研究上きわめて重要な資料を紹介しておきましょう。かつて辻惟雄さんの科学研究費で調査した東京国立博物館所蔵狩野家模本のなかに、この屏風のコピーがありました。模本番号1046/1309という1枚で、裏面に「熊狩之図 屏風 元信画 毛利元徳蔵 鶴沢守保摸」と書かれた紙が貼ってあったんです。

鶴沢守保なる画家について詳しいことは分かりませんが、幕末明治期に活躍した画家らしく、東博狩野家模本には彼による模本がたくさん含まれています。毛利元徳は長州藩14代、最後の藩主でした。

この鶴沢守保の模本により、式部輝忠の傑作「韃靼人狩猟図屏風」が、少なくとも幕末明治期には、狩野元信の作品として毛利家に伝わっていたことが明らかになるのです。

ヤジ「そんなモンが、式部輝忠研究上きわめて重要な資料といえるのか!!

  今日11月2日は香川景樹門下の歌人・木下幸文[たかぶみ]の祥月命日です。森銑三先生著『偉人暦』のこの日の条を、例のごとく朝食後某所で読んでいると、文中に幸文が誠拙和尚に就いて禅を学んだとあるので驚きました。明け方、『國華』円覚寺特輯号Ⅱに載せる原在中筆「泊船庵図」の拙稿を書き終え、編輯部にメールで送ったところでしたが、この作品は誠拙和尚の求めに応じて、冷泉為恭「ためやす」が賛を寄せたものだったからです。何たるシンクロニシティ!!


2020年11月1日日曜日

東京国立博物館「桃山」11

 山下さんが『國華』再考論文で取り上げた「韃靼人狩猟図屏風」は、この田澤桃山展にも出陳されて、錦上花を添えています。論文発表当時は某コレクションにありましたが、そのご文化庁が買い上げることになりました。その審査委員会に招聘された僕は、はじめて式部輝忠の作品をじっくり見る機会に恵まれたのですが、山下さんのディスクリプションや様式的分析が、すべて肯綮にあたるものであることを確認できたのでした。

この作品の伝来に関し、山下さんは相沢正彦さんからの教示によるとして、昭和2年(1927)11月子爵毛利家・某家の売立て目録をあげています。相沢さんは去年静嘉堂文庫美術館で開催した「墨の美術」展に際し、すばらしい講演をしてくださったこの分野のエキスパートです。その毛利家・某家売立て目録に「元信 着色 韃靼人熊狩六枚折屏風 捲り」として収録されているそうです。

 

渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。 僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘...