2024年12月19日木曜日

東京国立博物館「はにわ」9

古代人の死生観を考えようとするとき、非常に示唆的な一冊があります。それは 安蘇谷正彦という研究者の『神道の生死観 神道思想と<死>の問題』(ぺりかん社 1989年)です。安蘇谷氏は江戸時代における代表的な6人の神道家を取り上げ、一人ずつその死生観――氏は生死観と呼んでいますが――を詳細に分析しています。

直接古代人の死生観を探ろうとするのではなく、江戸時代の神道家をとおして考察しようとするのです。これは素晴らしい方法だと思います。現代人が直接探求しようとすれば、どうしても現代的解釈に陥ってしまいます。江戸時代のすぐれた神道家をとおして、古代の死生観を考えようとするのは、理にかなったメソッドではないでしょうか。

もちろん彼らも江戸時代的観念の影響を受けるわけですが、若干とはいえ古代に近く、しかも真摯に死生の問題を考えた神道家ばかりです。そのなかで僕の腑にもっともよく落ちたのは、やはり本居宣長の死生観でした。安蘇谷氏は次のように結論を下しています。

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揖斐高『江戸漢詩の情景』3

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