薬箪笥の蓋裏に蒔絵された百種の草花や虫が、本草マニア・頼恭に対する重喜のソンタク(!?)だったことは確かでしょう。しかし薬箪笥そのものには、義父・至央の夭折という重喜の悲しい思い出があったのではないでしょうか。
これだけの妙薬が揃っていれば、義父も助かっていたにちがいない――そんな無念が重喜に薬箪笥を思いつかせたのではないでしょうか。しかも明和8年は、義父の17回忌だったんです。厳密にいえば前年ですが……。そうだとすれば、「百草蒔絵薬箪笥」には重層的意味が込められていたことになります。その中心には、秋田から出た蜂須賀重喜がいたことになります。
ヤジ「今回は郷土愛に駆られた独断と偏見みたいだな!!」
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