2024年12月21日土曜日

東京国立博物館「はにわ」11

 

 人は死後黄泉国へ行くが、この世に残る分霊わけみたまもあるというのがポイントです。しかも偉業をなした人の霊魂は、とくにいつまでもこの世に残るというのです。ここに「埴輪が作られた意味」に対する重要な示唆が宿っているように思います。

宣長死生観にしたがえば、黄泉国での生活がこれまでどおり何不足なく、つつがなく送れるように、現世と同じ物や動物や人物を造形化しようとするのは、当然だったのではないでしょうか。それは現世で用いた物、世話になった人物の代用だったのです。先に、殉死代用説の「代用」に注目してみたいといったのはこのためなのです。

また分霊がこの世を浮遊しているとすれば、依代を作って差し上げようとする心理も、素直に理解されるのではないでしょうか。しかも古墳に埋葬される人間は、この世で功業を成し遂げた指導者――君王だったのです。


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揖斐高『江戸漢詩の情景」4

六如「春寒」   花の便りが聞こえても まだ寒風が吹き止まず   老いた俺にはあったかい 炬燵 こたつ にまさるものはなし   遠くの空に揚がる凧 放つ唸 うな りを頬杖 ほおづえ を   つきつつ聞けば幼少の 楽しかった日 思い出す