人は死後黄泉国へ行くが、この世に残る分霊わけみたまもあるというのがポイントです。しかも偉業をなした人の霊魂は、とくにいつまでもこの世に残るというのです。ここに「埴輪が作られた意味」に対する重要な示唆が宿っているように思います。
宣長死生観にしたがえば、黄泉国での生活がこれまでどおり何不足なく、つつがなく送れるように、現世と同じ物や動物や人物を造形化しようとするのは、当然だったのではないでしょうか。それは現世で用いた物、世話になった人物の代用だったのです。先に、殉死代用説の「代用」に注目してみたいといったのはこのためなのです。
また分霊がこの世を浮遊しているとすれば、依代を作って差し上げようとする心理も、素直に理解されるのではないでしょうか。しかも古墳に埋葬される人間は、この世で功業を成し遂げた指導者――君王だったのです。
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