君王の霊魂の一部が、残された人々の生活を見守り、幸福へといざなってくれるとなれば、埴輪は君王のためばかりではなく、自分たちのためでもあったのです。しかも分霊のなかに、災いをなすものがあるとされていたというのです。依代を作り、そこに悪霊やもののけが乗り移ってくれることを祈念したとすれば、それは君王のためというより、ほとんど自分たちのためであったといっても不可ないでしょう。
このようにして埴輪には、君王の霊魂が乗り移る依代と、その君王の黄泉国における生活の担保という、重層的「作られた意味」があったという私見に立ち至ったのです。これはあくまで本居宣長の死生観にのっとったものですが、30余年を費やして大著『古事記伝』を完成させた宣長、そして何より僕が尊敬して止まない宣長ですから、ゼッタイ間違いないと思います。
ヤジ「12回まで付き合ってきたが、ヤッパリ独断と偏見だな!!」
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