2021年4月13日火曜日

遠藤湖舟・日々是美的3

 

この記事を書いていた日の『朝日新聞』夕刊に、「5分間の奇跡 ダブルレインボー」と題して、山本一朗さんという方の第37回「日本の自然」写真コンテストの入選作が掲載されていました。これは奈良の里山にかかったダブルレインボーだそうですが、「朝虹」を拝見した日のシンクロニシティでした。

ダブルレインボーとは、はっきりと見える主虹の外側に、薄く副虹がかかった虹のことです。たいてい虹をよく見ると二重になっているものですが、とくに副虹が美しくかかったものをダブルレインボーというようです。

虹はもっとも美しい自然現象の一つでしょう。しかし中国では、虹を非常にセクシーなものとか、官能的なものとみる思想がありました。聞一多の『中国神話』<東洋文庫497>を読んでいてそれを知ったとき、とても不思議な気がしました。日本にはそんな観念がほとんどないからで、虹を詠んだ和歌をみるとよくわかります。

2021年4月12日月曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」2

 

というわけで、今回の展覧会が現在の岡本最後となりますが、「蛍の光」をうたうことは止め、むしろ新ギャラリーへのスタートを記念する「旅立ちの美術 Departure in Arts」として企画し準備いたしました。

旅立ちといえば別れと新しい出会い――これらと呼応する名品傑作のオンパレードです!! これまでの歴史になかった斬新なる表紙で飾られるカタログもおススメ、静嘉堂の名品と歴史がコンパクトにまとめられています。饒舌館長の巻頭エッセー「日本中国絵画史の出会い旅立ち別れの情」が錦上花を添えています() 

悪乗りした饒舌館長は、424日(土)11時から、「出会い旅立ち別れの情――日中絵画の流れから――」なる講演もやるそうです。今回は岡本最後ですので、チョット真面目に「講演」と銘打っていますが、やはりいつもの「口演」となっちゃうかな()

2021年4月11日日曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」1

 

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術 Departure in Arts」<66日まで>

 静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」展のオープン初日を迎えました。10時の開館前からたくさんの美術ファンが行列をつくってお待ちくださいました。ディレクターとしてこんなうれしいことはありません。

すでに「饒舌館長」にもアップしましたが、静嘉堂文庫美術館は来年202210月、丸の内・明治生命館に新しいギャラリーを開設いたします。昭和の建築としては最初に重要文化財に指定されたのが、建築家・岡田信一郎の傑作とたたえられる明治生命館です。

その1階ホワイエを、最新技術を駆使して面目を一新させ、「曜変天目」や「関屋澪標図屏風」にもっともふさわしい空間をご用意いたします。面積も現在の5割ほど広くなるでしょう。期してお待ちいただきたいと存じます。

2021年4月10日土曜日

遠藤湖舟・日々是美的2

「僕の一点」は、やはり「朝虹」ですね。見たこともない不思議な光景です。青空なのに、虹の内側だけがピンクに染まっているんです。これは虹が朝日を受けたときに時たま起こる自然現象で、現像処理を加えたものではないそうです。しかし僕には、大空に君臨するがごとくにかかった虹が、大きな腕[かいな]で抱え込んだ空間を、みずからの美しさで染め上げようとしているように感じられたのでした。

しかも幸運の象徴といわれるダブルレインボーになっているんです。13日までに玉川高島屋へ足を運び、この「朝虹」を拝めば、きっとグッドデーとともにグッドラックにめぐまれることでしょう。

 

2021年4月9日金曜日

遠藤湖舟・日々是美的1

 

玉川高島屋本館5階アートサロン「遠藤湖舟  日々是美的ーGood Days―」<4月13日まで>

 3年ほど前、写真家・遠藤湖舟さんの個展「<たまがわ>の美。写真空間by遠藤湖舟」を見て、深く心を動かされた僕は、すぐ「饒舌館長」で紹介させてもらいつつ、オマージュを捧げました。写真家としてのチョット変わった略歴は、それをご覧くださいね。

今回の「日々是美的―Good Days―」もすごくいい!! 湖舟さんの明晰なカメラレンズが新しいモチーフを発見し、自然の一瞬を美しい典型に昇華させることを可能ならしめ、富士山のような古典的主題に肉薄して、これまでになかった相貌を現出せしめています。

そして「美は細部に宿る」という湖舟美学が、通奏低音のようにすべての作品に流れています。それはギャラリーへ一歩足を踏み入れた瞬間に、どこからともなく聞こえてくる妙なる通奏低音だといってもよいでしょう。

2021年4月8日木曜日

三谷幸喜さんと銭湯10

 

 その伝統的な要素として、植物的な食体系、柱立ちの建物、卜甲・卜骨、お箸などを挙げたあと、あまり注目されていないものとして、居眠り、肩こりに言及します。そして最後にトイレ羞恥心を指摘し、つぎのように述べています。

トイレに入っているのが恥ずかしいと思うのが日本文化。私の勤め先で、大きい方に入って、終って出ようと思うと人が入ってくる気配がする。恥ずかしくて出られない。これは私だけではないでしょう。ところが中国に行ったらば、トイレの扉がない。扉があっても開けっ放しで平気でいる。これはアメリカの二、三流のデパートでもそうだし、ソ連の空港でもそうだし、ドイツの炭鉱でもそうですね。へだてのない共同便所は、ギリシャ・ローマ以来です。だから、トイレの恥ずかしさも我々の獲得した文化なのです。

2021年4月7日水曜日

三谷幸喜さんと銭湯9


 ところがあるとき、埴原和郎編『日本人新起源論』<角川選書202>を読む機会がありました。この本は1989年7月1011日の2日間にわたって、京都大学楽友会館で開催された一般公開セミナー「民族の形成――日本人の場合」の全記録だそうです。

これを読んでいて、俺は異常じゃ~なかったんだ!! 正真正銘の日本人だったからなんだ!! ということが分かってとてもうれしくなり、それからは堂々と個室の出はいりができるようになったんです(!?) 

 僕を勇気づけてくれた研究発表とは、佐原真先生の「考古学から見た日本民族」でした。佐原先生は日本文化の要素を、外来的な要素、伝統的な要素、そして固有に発達した独自的要素の3つに分類します。 

2021年4月6日火曜日

三谷幸喜さんと銭湯8

 

もしそうだとすれば、羞恥心とは学習するものではなく、太古以来DNAのごとく人間に埋め込まれた感情、あるいは本能的なものということになります。この羞恥心自体は生得的なものだという説を認めるとしても、その後の学習によって、民族や国によって差異が生れることはとてもおもしろく感じられます。

小さいときから僕は、二大行為のうちの一つである排泄行為がとても恥ずかしかった。とくに家以外のトイレで、個室に入るのが死ぬほど恥ずかしかったのです。これをトイレ羞恥心と呼ぶならば、こんなにトイレ羞恥心が強い俺はチョットおかしいんじゃないかと思うほどでした。トイレ羞恥心は今でこそずい分と薄れましたが、長い間ずっと強く残っていました。

2021年4月5日月曜日

三谷幸喜さんと銭湯7

しかしこんなことをクダクダしく述べる必要など、毛頭ないのかもしれません。羞恥心が学習によって形成される感情であるということは、人間と動物を比べてみればすぐ分かることだからです。あの二つの行為を、人間はとても恥ずかしく思うのに、犬やネコにとっては恥ずかしくも何ともないんですから……。

 もっとも、人間がそれを恥ずかしく思うのは、その行為中まったく無防備になるため敵に襲われやすく、襲われないよう隠れて行なううちに、恥ずかしいことと思うようになったのだという仮説を読んだことがあります。確かに、よく腑に落ちる解釈です。チョット反論が難しい理由付けです。 

2021年4月4日日曜日

三谷幸喜さんと銭湯6

 

こんなにも三谷さんの体験にこだわったのは、渡辺京二さんの名著『逝きし世の面影』が伝えてくれる幕末明治の日本におけるあの「裸天国」を考える際、とても参考になるように感じられたからです。

『逝きし世の面影』を読むと、日本人は天真爛漫であり、欧米人は社会的規範によって雁字搦めになっていたという結論を導き出したくなりますが、それはやはり間違いでしょう。裸に対する天真爛漫ともいうべき態度や、あるいは恥ずかしいという感情を、日本人も欧米人も、親や家族や社会から学習していたにちがいありません。

2021年4月3日土曜日

三谷幸喜さんと銭湯5

 

つまり、銭湯で裸を見られるのは恥ずかしいことではないという、あとから学習したことは、数十年の間にすっかり忘れ去られて、その前に学んだ人前で裸になるのは恥ずかしいことだという感情に支配されることになるのでしょう。

たとえ赤ん坊のときから銭湯だったとしても、数十年間行かないうちに、銭湯では裸が当たり前だという感情が薄れ、裸は恥ずかしいものだという感情がその部分を侵食していくのではないでしょうか。しかも銭湯に一度も行かない数十年の間、裸は恥ずかしいものだという感情を毎日毎日学習し続けるわけです。

2021年4月2日金曜日

三谷幸喜さんと銭湯4

 

そうではないでしょう。羞恥心は学習される感情だからだと思います。人に裸を見られることは恥ずかしいことだということを、現代人は幼児のときから学習します。やがて銭湯に行くようになると、裸は当たり前田のクラッカー――またまた出てしまいましたが――で、恥ずかしいことではないということを学びます。

しかし後から学んだことは忘れられやすいものです。昔のことはよく覚えているのに、最近のことはほとんど忘れているという僕の経験からいっても、これは確かです。「オマエの経験がナンボのもんじゃ」というヤジが飛んできそうですが、多くの人が経験している真理ではないでしょうか。

2021年4月1日木曜日

静嘉堂文庫美術館「春のフルート四重コンサート」4

 


今日、クァチュオール・アコルデの素晴らしい演奏を聴きながら、それを改めて確信したことを述べた後、このような美しい音楽、諧調豊かな演奏にしばしのあいだ身をゆだねれば、おのずと免疫力も高まって、コロナになんか罹らなくなるにちがいと言って〆にもっていきました。我ながらうまい〆だったかな() 

アンドルー・ワイル博士も、同じようなことを名著『癒す心、治る力 自然的治癒とは何か』に書いていたように思いますが……。

もちろん、来年10月新たにオープンする明治生命館新ギャラリーのことも披露しました。明治生命館のホワイエをお借りするわけですから、少なくともオフィスアワーにミュージック・コンサートを開くことはむずかしいかもしれません。しかしクァチュオール・アコルデの皆さんには、ぜひそこで再演をお願いしたいと思わせる今日の演奏会でした。

そして最後に、チャッカリ「饒舌館長」なるブログの宣伝までやっちゃった饒舌館長でした()

遠藤湖舟・日々是美的3

  この記事を書いていた日の『朝日新聞』夕刊に、「5分間の奇跡 ダブルレインボー」と題して、山本一朗さんという方の第 37 回「日本の自然」写真コンテストの入選作が掲載されていました。これは奈良の里山にかかったダブルレインボーだそうですが、「朝虹」を拝見した日のシンクロニシティで...