僕は①落款から寛政元年(1789)4月、応挙57歳のときの制作だとわかること、②個々のモチーフは写生から導き出された美しい典型的フォルムを誇っていること、③しかし写生と大画面構成の相克を解決しようとする、若いころの強い意思からは解き放たれていること、④したがって全体的にみると、それ以前の有機的構成から情趣的構成へバージョンアップしていること、⑤これが弟子・呉春によって創始された四条派に決定的影響を与えたことを指摘しました。
出光佐千子館長から『江戸絵画の華』カタログを送られると、先ずこの屏風の解説を読んでみました。しかし今回は、若い研究者からとくに批判もされていないようなので、ホッとしたことでした(笑)