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2026年4月30日木曜日

カエルも骸骨も踊り出す サントリー美術館・暁斎ワールドの迷宮へようこそ❣❣❣1

 

サントリー美術館「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」<6月21日まで>


 河鍋暁斎 (1831-89) は、幕末から明治という大きく変わる時代を生きた絵師でした。 明治政府が推し進めた西洋化と近代化は、伝統的な創作の世界にも大きな影響を及ぼし、絵師たちを取り巻く社会 経済構造は大きく変化しました。

 

武家の庇護を受けてきた狩野派の絵師たちの大半が仕事を失い困窮する一方、 浮世絵師のなかにはいち早く時代の流れに乗って、精力的に活動を続けた者が何人もいました。 暁斎もまた、この社会的変容を敏感にとらえて、既存の枠組みにとらわれない新たな表現を追求し続けました。

 

その精神は、現代においてもなお、文化や価値観の多様性を考える上で示唆に富んでいます。 暁斎の作品世界は、軽妙な戯画から精緻な仏画まで幅広く、動物・人間・妖怪 神仏といった多彩なモチーフが登場します。

2026年4月29日水曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 12

 


 その棕櫚が「花木眞寫」に見出されることは、何と興味深いことだろうか。言うまでもなく「花木眞寫」は、豫樂院近衛家熙 (一六六七一七三六)の筆になる植物寫生圖巻である。すでに源豊宗・北村四郎編『近衞豫樂院御畫 花木眞寫』(淡交社 一九七三年)があつて、私たちは大きな恩恵を受けてきた。北村氏は植物學的に見てきわめて精確であり、有名な『カーチスの植物學雑誌』と比較しても劣らないという。しかもこの雑誌は十八世紀後半の出版というから、「花木眞寫」は半世紀も先行することになる。とくに北村氏は、十六歳年長であった家熙から始興の方が影響を受けた可能性を推定しているが、卓見というべきであろう。


また源氏は、「花木眞寫」に家熙の悟性的志向を見抜いた。それが一つの時代精神であつたとはいえ、家熙は藝術にまでそれを實現した先駆者であり、十八世紀京都畫壇の活況は彼よつて準備されたことを指摘した。そして「花木眞寫」の制作時期としては、家熙が落飾して法名を眞覺と稱した享保十年(一七二五)頃を推定したのである。

2026年4月28日火曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 11

 


 たとえば大変珍しいモチーフである棕櫚が、「花木真写」のなかに見いだされるのです。始興が「花木真写」を見ていた可能性はとても高いように思われます。たとえ見ていなかったとしても、家煕文化圏において棕櫚に対する興味が湧き起こっていたことは間違いありません。そこには実証主義的精神がはっきりと感じられるのです。


写生主義を唱えて一代の巨匠となった円山応挙が始興に惹かれたのは、始興の実証主義的精神であり、始興の写生図でした。その始興に霊感を与えたのは近衛家煕であったと考えられています。かの源豊宗先生は、これを「悟性的志向」と呼ばれました。「花木真写」とその意義については、つぎに拙稿の一部を引用することにしましょう。


2026年4月27日月曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 10


  「木蓮棕櫚図」に始興が学んだ尾形光琳の影響が強いことは、改めて指摘するまでもありません。デザイン的ともいうべき簡潔な形態にまとめ、垂らし込みを愛用し、装飾的効果を高めています。明らかに光琳画風を摂取した結果です。

しかし光琳と異なる美意識も看取されます。それは自然観がとても強いことです。それこそがこの作品の個性であり、光琳のエピゴーネンを凌駕する素晴らしさなのです。たとえばこの椿と、光琳の「椿図団扇」を比べてみると一目瞭然でしょう。始興の眼と筆による装飾化か少なく、自然のフォルムに近いのです。つまり広い意味で写実的なのです。


そこで興味深いのは近衛家煕が制作した植物写生図帖「花木真写」です。すでに述べたように、始興筆「木蓮棕櫚図」と近衛家煕との直接的関係はご破算になってしまいました。しかし拙稿で指摘した、家煕による「花木真写」との関係をはじめ、美術史的な大枠は間違っていなかったと思います


 ヤジ「またまたお得意の居直り、強弁、屁理屈というヤツだな!!」 

2026年4月26日日曜日

饒舌館長ブログファンの方、いや、江戸絵画ファンの方、5月5日鎌倉でお会いしましょう❣❣❣


 

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 9

 


ちょうど京都美術工芸大学の仕事をしていた僕は、その監修を頼まれ、いわゆるゲストキューレーターをつとめることになりました。そのカタログには、「琳派私的旅行」と題するエッセーを寄稿する機会にも恵まれました。


この特別展には渡辺始興の「木蓮棕櫚図」も出品され、カタログ解説は京都国立博物館の福士雄也さんが担当したのです。この解説により、僕は「大門」というのが興福寺大乗院門跡・大門隆遍であることを教えられました。つまり大門がそのころの近衛家当主・経煕に贈った作品だったのです。


しかも大門の父は二条吉忠であり、この吉忠は光琳・乾山の庇護者であった二条綱平の子だったのです。近衛家や家煕のために始興が制作した作品ではなかったのです。もし依頼主を考えるとすれば、二条吉忠こそ可能性が高いことになります。ここにお詫びして訂正させていただきたく存じます 

2026年4月25日土曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 8

 


始興は近衛家煕(予楽院)との関係が深く、御用絵師と考えられる「家士」であったと伝えられてきました。したがって僕は、元文元年1736に没した家煕の霊前に始興が捧げた鎮魂の一作だったのではないかとさえ想像したのです。事実『光琳派画集』の解説も、始興が主家近衛家のために揮灑したものであろうと述べているのです。しかしそうではありませんでした。


京都国立博物館の福士雄也さんが明らかにしてくれたのです。2015年秋、京都国立博物館で特別展「琳派 京みやこを彩る」が開催されました。この年は本阿弥光悦洛北鷹峰に光悦村を開いた元和元年1615から数えてちょうど節目の400年を迎え、京都では琳派400年記念祭が行なわれていました。「琳派 京を彩る」はそれをことほぐ特別展でした

2026年4月24日金曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 7

 


それが出現したのですすぐにも飛んで行きたかったのですが、ちょうど外国出張などが重なって忙しく、そのままにしてしまいました。仕事が一段落して古美術商の方に連絡したとき、この始興双幅はもうお嫁に行ったあとでした。


ところが2009824日、この傑作が國華社に持ち込まれたのです。神は僕を見捨てなかったのです。すぐに調査を始め3年後『國華』1405号に載ったのですが、さらに後日談があります。拙稿発表と相前後して、この作品が文化庁により購入されることになりましたが、その審査委員会からお呼びがかかったので、この傑作と2度目のゴタイメ~ンとなったのでした。


『國華』1405号の解説において僕は決定的間違いを犯してしまいました。先の『光琳派画集』に「公爵 近衛文麿君蔵」となっており、大正7年の「第一回近衛公爵御蔵器入札目録」には第82番として搭載されているため、僕は最初から近衛家伝来であることを信じて疑いませんでした。

2026年4月23日木曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 6

 「僕の一点」は渡辺始興の「木蓮棕櫚図」双幅(文化庁蔵)ですね。選んだ理由は、15年ほどまえ僕が『國華』1405号に紹介した作品だからです。とても思い出深い始興の傑作だからです。というのは、その20年以上もまえ京都に住まわれる古美術商の方から、親切にも手元にあるという情報が寄せられました。ずっと捜していた始興です。

 

昭和40年代後半、山根有三先生は『琳派絵画全集』(日本経済新聞社)の編集に着手され、始興を含む「光琳派2」を昭和55年1980に出版されました。この巻の編集担当を依頼された僕は、是非この作品をと思いましたが、その所在は杳として分かりませんでした。 

2026年4月22日水曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 5

 

 野口さんは出典として拙著『日本美術絵画全集17 尾形光琳』(集英社)をあげているので、早速書架から引っ張り出してくると確かにそんな風なことを書いているじゃ~ありませんか。ほとんど忘れていたのに……。 

また野口さん『琳派絵画全集 光琳派一』のマイ緒言から、「光琳系の魅惑的な惑星たち」という一句を引いてくれたこともスゴクうれしいことでした。さらに野口さんは、つぎのように述べています。 


 『光琳派一』の問題意識、すなわち光琳落款を有しながら光琳の画風とは少し異なる作品と『光琳派二』の画家との関わり、あるいはそうした作品が『光琳派二』の画家に与えた影響についても考えることで、一九八〇年の先端的な研究への現時点でのレスポンスとしたい。

 

というわけで、今回エントリーのタイトルを<饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!!>にした( ´艸`) 

2026年4月21日火曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 4

  


 光琳派の豊饒なる美的世界に改めて感を深くしつつ帰宅、一杯やりながらカタログを開くと、野口剛さん「光琳派をめぐる四つの断章」という巻頭論文を寄稿しています。「はじめに」から読み始めた僕は、つぎの一節に驚くやら、うれしいやら、穴があったら入りたいような気持ちになりました。 

この展覧会を(2012年根津美術館「KORIN展」)きっかけに、光琳四十代半ばに制作された「燕子花図屏風」と五十代後半、晩年作の「八橋図屏風」の印象の違いを美術史的に考える機会をもち、その中で「八橋図屏風」と渡部始興の「燕子花図屏風」の描写の類似が意識に入ったのであった。同時に当館所蔵の「光琳「夏草図屏風」も論の俎上に上がった。「八橋図屏風」、あるいは「夏草図屏風」の制作には、光琳以外の画家が関与しているのではないか。一方、その過程で、早くも一九八〇年にすでに河野元昭氏が光琳の工房制作や代筆の可能性を提言されていることに、あらためて畏敬の念を抱いたものであった。 

2026年4月20日月曜日

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 3

 この「光琳派」展のすばらしいキューレーションは、野口剛さんによって進められました。かつて鈴木其一筆「夏秋渓流図屏風」重要文化財指定を記念して行なわれた特別展を、饒舌館長オススメ展としてこのブログにアップしたことがあると思います。そのときお名前をあげたあの野口剛さです。 

 内覧会の日はかなりの雨、傘を差して出かけました。翌週NHK青山文化講座「魅惑の日本美術展 絶対ベスト6だ!!」の第1回に取り上げることになっていたので、その前に絶対見ておきたかったです。けっしてカタログをただでゲットするためじゃ~ありませんよ´艸`) 

 

出光美術館<門司>「日本の名所絵」5

  さらに、嗜好品を買う余裕のある人のために、林檎や梨 ( 両方とも期待はずれの場面では飛び道具として使われる ) 、ナッツ類、ジンジャーブレッド、瓶エール、それと最新流行の商品となったタバコが用意された。小さいパイプ用のタバコの葉で三ペンスもし た 。入場料より高い! トイレは...