2019年5月31日金曜日

『嘘をつく器 死の曜変天目』2


しかしより一層面白かったのは、ちょっと僕と関係があるところが登場することでした。巻末には例のごとく、「この物語はフィクションです。作中に同一の名称があった場合でも、実在する人物、団体とは一切関係ありません」と書かれていますが、モデルがあったことは言うまでもありません。

亀岡市にあるという伝統工芸の専門学校とは、僕が勤めていた京都美術工芸大学の姉妹校ともいうべき京都伝統工芸大学校でしょう。「最寄りの駅は閑散としていて、コンビニ一軒くらいしか開いている店はない。夜になるとさぞかし寂しくなるだろう」というのは園部駅そのものです。そこに僕は”as long as 3 years”いたのです。もっとも、いま大学の方は京都市内の七條川端にある東山キャンパスに移っています。この移転については、僕も若干努力したのですが( ´艸`)。
 町子と馬酔木の母校である京北美術大学が、かつて高階秀爾さんからお呼びがかかり、おしゃべりトークをやったことがある京都造形芸術大学であることは、まず間違いないでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」6

 友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社  1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...