③長次郎「黒楽茶碗 紙屋黒」はいわゆる楽焼です。僕ら世代の関東人が「楽焼」と聞くと、すぐ江の島を思い出すのですが、この「紙屋黒」はオリジナルの楽焼です。
それは初代の楽長次郎が、千利休の侘び茶にふさわしい茶碗として編み出したものでした。轆轤を使わずに手だけで成形しますが、これを手づくねといいます。しかも低い火度の窯で焼き上げるため、柔らかい感じが強まり、とても親しみやすい茶碗が出来上がります。神々しいような曜変天目の対極にある茶碗だといってもよく、一見「ヘタウマ」のような印象を与えられることもあります。
豊臣秀吉は第1回朝鮮出兵の際、九州・名護屋城を築いてここを基地としましたが、ある日、博多の紙商・神谷宗旦(あるいは宗堪とも書きます)は秀吉を招いて茶を振舞いました。もちろん宗旦は前もって来訪を知らされていましたので、長次郎に頼んでこの黒楽を焼いてもらって使ったのです。
その後、大阪の豪商・鴻池喜左衛門の所持となり、江戸千家の創始者・川上不白が江戸に出るときハナムケとして贈られたことでもよく知られています。それ以降、「紙屋黒」は江戸にあったことになります。ところで、鈴木其一の義父である鈴木蠣潭に、「椿に楽茶碗」という扇面画がありますが、そこに描かれている黒楽茶碗は「紙屋黒」だと思っているのですが……。
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