2025年1月4日土曜日

インターメディアテク「写真家立木義浩×東京大学」2

立木義浩――僕にとっては神みたいな写真家です。これまた神みたいな山口百恵の早すぎる自叙伝『蒼い時』の巻頭に、執筆中の彼女を撮った、筆舌に尽くしがたきモノクロ写真があります。

『蒼い時』にプリントされたただ一点の写真ですが、これを撮ったのが誰あろう、立木義浩さん――写真の下につつましく「photo-tatsuki yoshihiro」と書かれています。神のような山口百恵の、神のような写真を撮ったわけですから、僕にとって神みたいなフォトグラファーなんです。その立木義浩さんの写真展が、驚くことに無料なんです!! 

ところが、その入口に貼ってあるポスターを見てさらに驚きました。明日彫ろうと思っているアカショウビンがメイン・イメージになっていたからです。

 

2025年1月3日金曜日

インターメディアテク「写真家立木義浩×東京大学」1

 

インターメディアテク「写真家立木義浩×東京大学 in Vitro? In Vivo!<119日まで>

実は田中一村「初夏の海に赤翡翠」のパクリ年賀状にも、シンクロニシティがあったんです。これを作る前日、出光美術館の納会に出ましたが、千駄ヶ谷で夕方から始まる飲み会まで時間があったので、しばらくぶりに近くのインターメディアテクへ出かけてみました。

インターメディアテクの正式名称はJPタワー学術文化総合ミュージアム――日本郵便と東京大学総合研究博物館がコラボレーションを組んだ博物館です。KITTEビル(旧中央郵便局)の23階にありますが、マンションのメゾネット式みたいになっています。

エスカレーターで2階へ、常設展示を見終わって階段を3階へ上っていくと、「写真家立木義浩×東京大学 in Vitro? In Vivo!」という特別展をやっているではありませんか。


2025年1月2日木曜日

2025謹賀新年2

 

一村の画歴上こんな重要な節目の新春に、「初夏の海に赤翡翠あかしょうびん」を汚すような年賀状を作ってしまいましたが、どうぞお許しください。ところで、僕が今のスタイルでモノクロ年賀状を彫り始めたのは昭和51(1976)、これまた半世紀の節目を迎えました。

 ヤジ「田中一村をダシに使ったりするな!! 《初夏の海に赤翡翠》をパクッた上に!!

僕は小さいころから何となく絵が好きで、高校では美術部に入ったりしていました。しかし仲間の作品を見ると、コリャ~とても勝負にならんと思い、人の描いた絵を批評する――有り体にいうとケチをつける方に回ったんです。

というわけで、年に一度の自刻自摺年賀状が青春の思い出につながっているんです。先日の朝日歌壇には、我が同朋ともいうべき石黒紀夫さんという方の佳吟「来年の賀状いつもの木版画年に一度の小さな個展」が選ばれていましたが、石黒さんにとっても青春の思い出なのかもしれません。もっとも僕の場合は、青春の残滓という方が正しいかな()


2025年1月1日水曜日

2025謹賀新年1

 

 明けましておめでとうございます。本年も「饒舌館長ブログ」をよろしくお願い申し上げます。

今年のマイ年賀状は、田中一村の傑作「初夏の海に赤翡翠あかしょうびん」(田中一村記念美術館蔵)をパクりました。去年、東京都美術館で「不屈の情熱の軌跡 田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を見たとき、すごい画家だなぁ、俺には真似ができない生き方だなぁと感を深くするとともに、来年の年賀状はこの奄美一村でいこうと決めたからです。

はじめて田中一村を世に知らしめた中野惇夫さんの『アダンの画帖 田中一村伝』に添えられた年譜を見ると、一村が初めて四国、九州をスケッチしながら旅行し、種子島、吐カ喇列島まで足を延ばし、南海の自然に魅了されたのが昭和30(1955)47歳のときでした。今年は昭和100年ですから、奄美一村が誕生する直接の契機となったこの四国九州旅行から数えてちょうど70年の節目にあたっています。


インターメディアテク「写真家立木義浩×東京大学」2

立木義浩――僕にとっては神みたいな写真家です。これまた神みたいな山口百恵の早すぎる自叙伝『蒼い時』の巻頭に、執筆中の彼女を撮った、筆舌に尽くしがたきモノクロ写真があります。 『蒼い時』にプリントされたただ一点の写真ですが、これを撮ったのが誰あろう、立木義浩さん――写真の下につつま...