140万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2019年9月30日月曜日

追悼エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続4



陸游「畜猫を嘲[あざけ]る」<『剣南詩稿』巻38>

 ネズミが盆ひっくり返して大暴れ
 でもキミは爆睡グーグー高いびき
 腹いっぱい食べるご馳走夢に見て……
 好き勝手ネズミがやるのを横目で見
 身上はパッとセミ捕る敏捷性
 でも好きはのんびりすること木の上で
 ク山とは一体どこにあるのやら
 名猫がそこにはたくさんいるのにね

*  ク山の「ク」は「月+句」という、僕のワードでは出てこない変な漢字です。

2019年9月29日日曜日

追悼エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続3

陸游「粉鼻に贈る」<『剣南詩稿』巻28>
 愛猫 毎晩 ネズ公を 血祭りにする何匹も
 武者震いしてヒゲを立て 残りの米蔵 護ってる
 「どうしてそんなに金持ちの ため懸命に働くの?」
 「そうすりゃ毎日ご馳走と フカフカベッドがワテのもの!!」
*この「粉鼻」という調子のいいネコは、一海知義先生によると「鼻ジロ」とされていますが、ゴマシオみたいな鼻だったとも考えられるかな?

2019年9月28日土曜日

出光美術館「奥の細道330年 芭蕉」


出光美術館「奥の細道330年 芭蕉」<9月29日まで>

 いよいよあと2日です!! 元禄2年(1689)3月下旬、松尾芭蕉は弟子の河合曽良をともなって旅に出ました。元禄2年は尊敬する西行の500回忌にあたる年、芭蕉はこの年を選んでこの大旅行に出発したのです。言うまでもなく、このときの紀行文が「奥の細道」ですが、今年は元禄2年から数えてちょうど330年、これを記念して開かれた久々の大芭蕉展です。

 「僕の一点」は芭蕉に憧れ私淑した与謝蕪村の「奥の細道図巻」(京都国立美術館蔵)です。蕪村の筆になる「奥の細道図巻」は3点知られており、これに屏風が1点加わります。それぞれ特徴がありますが、いずれも蕪村の代表作に数えられています。かつて海の見える杜美術館が所蔵する北風来屯旧蔵の一本を、『國華』に紹介したことを、いま僕は懐かしく思い出しています。

このほかにも蕪村は奥の細道図を描いたことでしょう。そこには、芭蕉に対する絶対的尊敬の念があったはずです。

もちろん、蕪村が繰り返し同工異曲ともいうべき奥の細道図を制作した理由に、経済的事情や日々の生活があったことは言うまでもありません。例えば、来屯に宛てた安永7年12月21日付け書簡を見れば、金銭工面の腐心は痛々しいほどです。また当時における熱狂的芭蕉リバイバル運動も、理由の一つであったにちがいありません。

しかしそれらは、蕪村にとって二義的理由と言うべきものだったのではないでしょうか。奥の細道図は、あくまで蕪村の芭蕉に対するオマージュだったのです。

追悼エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続2


 まず最初は、すでにアップした「十一月四日風雨大作」ですが、「渓柴」の意を活かしてちょっとバージョンアップしましたので……。

陸游「十一月四日風雨大作」<『剣南詩稿』巻26>
 風は川水 巻き上げて 雨がこの村 昏[くら]くする
 周りの山は山鳴りし 湖[うみ]の波涛が吠えまくる
 粗末な毛氈 谷川で 集めた柴 焚きゃあったかい
 ネコとオイラの二人きり じっとしている家の中

2019年9月27日金曜日

追悼エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続1




 畏友山本勉さんが愛猫エオンちゃんを亡くしたとき、すぐに僕はマイブログ「饒舌館長」に哀悼の意を表し、それまで書いた梅尭臣や陸游や祇南海の漢詩をまとめてアップしました。もちろん原文じゃ~なくマイ戯訳の方ですが……。

ところがエオンちゃんの人気ゆえか、はたまた山本さんがもつ研究者としての存在感ゆえか、ちょっと前に「追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)1」がアクセス数№1に躍り出たのです❣ これまで1000話くらいアップしていると思いますが、その№1ですよ❣

そこで続けてネコ詩の大詩人・陸游の『剣南詩稿』から、まだアップしていない名吟を、またまたマイ戯訳で天上のエオンちゃんに献呈させてもらうことにしました。けっしてアクセス数稼ぎじゃ~ありませんよ(⁉)

2019年9月26日木曜日

諸橋轍次博士と石井茂吉氏6



『諸橋大漢和』の巻末「大漢和辞典製作関係者」のトップに、「原字・文字盤製作 石井茂吉」と掲げられているのは、むしろ当然のことです。1960年、この業績を中心として、石井氏には第8回菊池寛賞が贈られることになりましたが、これまた当然のことでしょう。

虚栄を嫌う石井氏も、この受賞はことのほかうれしく感じ、生涯に受けた数多くの賞のなかでも、これをもっとも喜んでいたそうです。そして「半生をかたむけ来つる文字の道なほきわめなん命のかぎり」詠んで、さらなる精進を誓ったのでした。

石井氏は写真植字機の発明者として、また石井明朝体や石井ゴシック体など、かずかずの石井書体――いま風にいえば石井フォントを編み出した文字デザイナーとしてむしろ有名だそうです。ウィキペディアによると、現在の漫画に使われている吹き出し部分の漢字は、たいてい石井ゴシックだそうです。しかし静嘉堂の饒舌館長にとっては、あくまで『諸橋大漢和』の写植原字創作者としての石井茂吉先生ですね!!

2019年9月25日水曜日

諸橋轍次博士と石井茂吉氏5



人情と責任感と二つのもつれに私も苦しんだ。その結果、窮余の一策、やむなくばこれ以後の字母は誰かお弟子中のすぐれた人に書かせて下さいと申し入れたが、石井さんはがんとしてきかない。

自分が引き受けたのだから自分でやると、ついに最後まで人手には任さなかった。多分病を押してのことも多かったであろう。私はその時、その責任感の深さと友情の厚さに深く感激した。おかげによって大漢和辞典は整斉にして雅味ある石井式の細明朝体の文字をもって内容を飾ることができたのである。


出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」4

   さすが大典和尚、七言絶句にみえて七言絶句にあらず、ワードじゃ 出てこない変な字を使っています。当然意味はサッパリ分からず、 まったくお手上げでした。ところが 出光論文により、芳澤勝弘さんが正しく解読していることを知ったのです。それ を参照しながら 例のごとく、マイ戯訳を作っ...