2018年9月30日日曜日

静嘉堂文庫美術館「松浦武四郎展」5


次にその思想性、あるいは感性ですね。松前藩のひどいアイヌ政策が、当たり前のように行なわれていた時代、アイヌを自分と同じ人間としてみるヒューマニズムが、武四郎の胸中に育まれていた事実は、ほとんど奇蹟のように思われます。武四郎に何かインスピレーションを与えるような思想が、すでにあったのでしょうか。あるいは、まったく独自に、あのようなヒューマニズムに到達したのでしょうか。

そして人間としての行き方ですね。明治2年、52歳のとき武四郎は、明治政府から開拓判官に任じられ、従五位を授けられます。しかし政府のアイヌ政策を是認することができなかった武四郎は、1年にして一切の官職と位階を返上し、その後は旅と古物蒐集に悠然たる余生を送ったのです。

武四郎のふるさと松阪市にある松浦武四郎記念館は、今回もポスターに使わせていただいた武四郎の肖像写真を所蔵しています。武四郎の姿を知ることができる現存唯一の肖像写真だそうです。明治15年、65歳のとき撮影された写真ですから、その旅と古物蒐集に明け暮れていたころの武四郎ですね。その老武四郎が首からかけている「大首飾り」が、本展覧会の目玉です。ぜひ実物を見にいらしてくださいね!!

2018年9月29日土曜日

静嘉堂文庫美術館「松浦武四郎展」4


武四郎は、自分が死んだらこの「一畳敷き」を解体して荼毘の薪にし、骨は大台ケ原に埋葬してほしいという遺言を残して旅立ったそうです。しかし「何だ、辞世の歌と話が違うじゃないか?」なんて、いわないでください。武四郎は矛盾した人間だなんて、簡単に結論を下さないでください。おそらく幕末明治といえども、亡骸をそのまま田圃に打ち捨てておくことなど、絶対許されなかったでしょう。

辞世はナチュラリスト武四郎の憧憬――もしそれが可能なら、どんなに素晴らしいことだろうなぁという憧れの気持ちであったとみるべきです。

憧れといえば、僕が武四郎に憧れるのは、まずその行動力ですね。16歳にして手紙を残し、突然家出をして江戸まで行ったのを皮切りに、全国をくまなく旅行して回った行動力です。その記録を整理して出版することができたのも、すぐれた行動力があったればの話です。


2018年9月28日金曜日

静嘉堂文庫美術館「松浦武四郎展」3


 『自伝』の一節もすごいなぁと感動を呼び起こしますが、僕はその辞世に、さらに強く心を動かされました。それは歳をとるにしたがって、2月6日がめぐってくるたびに、だんだんと強まっていきました。その後、少なくない偉人の辞世を知りましたが、武四郎を超えるものに出会った記憶はありません。

ところが今回、これは武四郎が理想を述べた辞世であって、実際はそうじゃなかったことを知りました。武四郎は晩年、法隆寺や伊勢神宮外宮、出雲大社など、かつて訪れた全国の名だたる社寺から古材を譲り受けました。それを用いて「一畳敷き」の書斎を、神田五軒町の自邸に増築し、そこで悠々自適の日々を送りました。現在は、国際基督教大学内の有形文化財「泰山荘」に移築され、大切に保存管理がはかられています。

2018年9月27日木曜日

静嘉堂文庫美術館「松浦武四郎展」2


 これはいよいよ今日から、我が静嘉堂文庫美術館で始まった「松浦武四郎展」のリードです。僕が松浦武四郎という偉大な存在をはじめて知ったのは、桑原武夫先生の『一日一言』(岩波文庫)においてでした。毎日、その日の項を必ず読むという日課を、僕は学生のころから続けてきました。

いつ、どこで読むのかって? 朝、於トイレです――桑原先生、申し訳ございません!! その2月6日の条に、「この日伊勢に生まれた探検家」として、武四郎が登場するんです。その項を、丸写ししておきましょう。

我、もと遊歴を好んで山川を跋渉して、いかなる険もいとわず、日に十六、七里、その甚だしきときには三十里にも向うことなり。しかるに粗食を常として、生来、美服を好まず。不毛の地に入るときは、日に二合の米を食して、その余は何にても生草生果の類、生魚、干魚等を多分に食し、身命堅剛……(伊)勢国を出でしより未だ一日も病にさわり候こともなく、一帖の薬を服することもなし。(自伝)

我死なば 焼くな 埋めな 新小田に 捨ててぞ秋の みのりをば見よ(辞世)

2018年9月26日水曜日

静嘉堂文庫美術館「松浦武四郎展」1


静嘉堂文庫美術館「生誕200年記念 幕末の北方探検家 松浦武四郎」展<129日まで>(924日)

 
「幕末の北方探検家」「北海道の名付け親」松浦武四郎(18181888)をご存じですか? 武四郎は当時の蝦夷地に6回も渡って調査し、初めて内陸部まで詳細に記した地図を作成しました。また、明治2年(1869)、蝦夷地の新たな地名の選定を任され、「北加伊(海)道」という名を選びました。「北の人々が暮らす大地」という意味です。さて、武四郎のキーワードは上記2つだけではありません。彼は「古物の大コレクター」でもありました。

 本展示では、そのうち「幕末の北方探検家」「古物の大コレクター」という2つの面に焦点を当て、幕末・明治前期を生きた稀有な存在、松浦武四郎の姿をご紹介します。2019年春には、テレビドラマ化も決定しました。生誕200年の記念の年、その多彩な事蹟に是非ご注目ください。

2018年9月25日火曜日

筆の里工房「筆が奏でる琳派の美」2


今日はいよいよオープンの日です。音には聞いていましたが、あまりの立派な施設に心底驚いてしまいました。展示内容も、俵屋宗達筆「牛図」をはじめとして、素晴らしい作品が集められています。豪華なカタログを開けば、僕のエッセー「琳派――筆と墨――」が巻頭を飾っていて、ちょっと恥ずかしいように気分になりました。

オープニング・セレモニーでは、日本画家・中野嘉之さんの新作「平成の風神雷神図屏風」が披露されました。現在、独創的水墨画の世界を切り開いている中野さんですが、銀地に着彩を用いた、意欲的力作です。皆さんと一緒に、僕も惜しみない拍手を捧げたことでした。

そのあと僕が、基調講演「筆が奏でる琳派の美」を行ないました。普通でしたら、「筆が奏でる琳派の美 饒舌館長口演す」とやるところですが、今回は何といってもお目出度い特別展のトークですから、「饒舌館長口演す」は省いて真面目なタイトルにしました。

2018年9月24日月曜日

筆の里工房「筆が奏でる琳派の美」1


筆の里工房「熊野町制100周年記念特別展<筆が奏でる琳派の美>」オープニング(922日)

不思議なことには、広島に熊野があるんです! その熊野に筆の里工房があるんです!! そこで上記の特別展がオープンしたんです!!! 

熊野の筆づくりは江戸時代の末に始まったそうですが、いまでは「熊野筆」として有名ですね。書道の筆はもちろんですが、最近ではお化粧に使う化粧筆も、すぐるとも劣らぬ人気を誇っているようです。

数年前、熊野町制100周年をことほぐ琳派展を企画しているので、監修者をやってほしいと、筆の里工房の理事をもつとめている畏友・島尾新さんから頼まれました。二つ返事でというか、軽いノリでというか、ソク引き受けたことは、いうまでもありません。ぶっちゃけていえば、監修者といってもノミナルなものにして、具体的な準備はすべてヤンガー・ジェネレーションの畏友・奥平俊六さんに……という条件でお引き受けしたのでした。

東京国立博物館「江戸☆大奥」7

  そして明治 20 年代を迎えると、早くも富国強兵による近代化に成功した自国に、多くの国民が自信と矜持を抱くようになりました。それと日清戦争がまったく無関係であるはずはありません。 そうなると旧弊としてあれほど否定したはずの江戸時代を、誇るべき歴史の 1 ページとしてながめ...