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2026年4月6日月曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 7

 


その2年後、「ギッター・コレクション特輯号」として『國華』1406号が編集出版されました。最初から僕は、与謝蕪村の「夏景山水図」について書かせてもらうことに決めていました。もちろん蕪村が大好きな文人画家だったからであり、「夏景山水図」がとても興味深い蕪村画だったからです。 


高士を訪ねようとする旅の尼僧が描かれているのですが、女性の訪隠図とはきわめて珍しい主題です。尾形仂先生は著書『芭蕉・蕪村』において、故郷喪失者となった蕪村の原点は、母が歌詠む遊女であったことだと推定しています。

 

僕は尾形先生の魅力的な蕪村観に寄り添いながら、この尼僧こそ、蕪村が追い求めた母の姿であったのではないかと考えたのです。『蕪村伝記考説』を著わした高橋庄次氏は、さらに進んでこれを「父母離別図」だと断じているのですが……。 

2026年4月5日日曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 6


  2010年、日本の美術館を巡る特別展「帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展」が開かれました。ゲスト・キューレーターをつとめたのは、御存知小林忠兄でした。小林兄はそのカタログに、「お帰りなさい、ギッター・コレクション」と題して、いかにも小林兄らしい魅力的な総論を巻頭に寄せています。ギッター・コレクションの全体像については、是非これを参照していただきたいと存じます。 

小林兄から寄稿を求められた僕は、ギッター・コレクションの逸品俵屋宗達筆「鴨に菖蒲図」を取り上げ、「宗達の鴨と賀茂」という一文を書くことにしました。宗達が好んで鴨を描いたのは、王城京都の地主神とされる賀茂神社のイメージが重ね合わされていたからだという私見、いや、独断と偏見を披露したのです。 

2026年4月4日土曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 5


  僕は「宗達と能」という発表を行なったのですが、あまり自信はありませんでした。しかしギッターさんとコーディネーターをつとめられたスティーブ・アディス先生から、とてもおもしろかったとお褒めの言葉を頂戴したのです。そのアディス先生も先年幽明界を異にされました。「饒舌館長ブログ」に追悼の辞をアップしてありますので、ぜひご高覧のほどお願い申し上げます。 

ギッターさんとアディス先生からヨイショ(!?)されて気をよくした僕は、これをすぐ東大美術史研究室の紀要『美術史論叢』に活字化しちゃいました。その後『琳派 響きあう美』という拙著にも収めたのですが、あのときギッターさんが発表の機会を与えてくださらなかったら、きっとアイディアのままで終わっていたことでしょう。 

2026年4月3日金曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 4

 


このあとアメリカで、また日本で親しく交流する機会は少なくありませんでした。とくに医者の卵となった長女の真意まいをニューオーリンズに呼んでくださり、ギッター邸に泊めていただいたことは、親としてお礼の言葉もありません。本当にありがとうございました。 

相前後して、ギッターさんがアリス夫人とともに拙宅をお訪ねくださったことも忘れられません。その後もギッターさんは、「真意さんは元気でやっていますか?」と、いつも心にかけてくださいました。 


もう一つゼッタイ忘れられない思い出があります。2002年秋、ニューオーリンズ美術館で開催された、ギッターさんとアリス夫人の愛の結晶ともいうべき日本絵画コレクションによる「エンデュアリング・ヴィジョン」<不朽の視覚>展とそれを記念する国際シンポジウムです。

 

その充実した内容は改めていうまでもありませんが、ハリケーン・イズドァーが僕たちを「熱烈歓迎」してくれたからです。それもいまでは懐かしいスイート・メモリーです。 

2026年4月2日木曜日

饒舌館長も出品した「第14回横浜開港アンデパンダン展」が横浜市民ギャラリーで開催中 !!

 


 いよいよ僕も美術史家じゃなく、美術家になっちゃいました!! 去年に続いて「横浜開港アンデパンダン展」に出品したからです。東海大学講師をつとめていたときの学生に古川巧君がいます。コンテンポラリー・アーティストとして活躍してきた古川君は、本アンデパンダン展の実行委員長もつとめてきました。 


去年「先生の年賀状はすばらしいから、ぜひ出してくださいよ」とおだてられ、50年間自刻自摺で作り続けたモノクロ年賀状からベストテンを選んで、厚かましくも出品しちゃったんです。

 

やってみると精神衛生上とてもいいことが分かったので、今年はこちらから売り込んじゃったんです( ´艸`) 畏友・大高保二郎さんから激賞(!?)された今年の「根来湯桶」を含めて、10点を新たに選びました。去年に続いて一番いい壁面に優遇してもらいましたが、古川君のソンタクがあったのかな?? 会期は4月6日(月)までです。ヒマな方は、いや、お時間のある方は是非ご来駕のほどを!!  いつも人の絵を批評していますが、今回は皆さんの批評をお待ちしております❣❣❣

 

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 3

 


前年の1982年、生まれてはじめて僕は、国際シンポジウムなるものに参加して拙い発表を行ないました。ボストン美術館日本ウィング完成記念国際シンポジウムですが、たくさんの日本人研究者と一緒に参加したので、まるで団体旅行のような感じでした。 


しかし2回目の今回は、日本人の発表者が少なく、心細いことこの上なかったんです。そんな僕をギッターさんは、とても親切に迎えて下さいました。英語のたどたどしい僕も、不安を覚えることは絶えてありませんでした。

 

恥ずかしい内容でしたが、お陰で発表を無事終えることができました。そのあとでギッターさんにほめていただいたことが、どんなにうれしかったことでしょう。日本美術史研究者として、国外に出ても何とかやっていけそうな自信がチョッと芽生えたのも、ひとえにギッターさんの温かい思いやりによるところでした。 

2026年4月1日水曜日

追悼 カート・ギッターさんの思い出と感謝の言葉 2

 

 

 カート・ギッター博士がお亡くなりになったのは3月25日、享年89でした。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます。ギッターさんは世界的に有名な眼科の博士でした。ですからギッター博士とか、ギッター先生とするのが礼儀だと思いますが、ここでは親しみを込め、これまでどおり「ギッターさん」と呼ばせていただきたいと存じます。 


 はじめてギッターさんにお会いしたのは、1983年のことでした。その晩秋、ニューオーリンズ美術館でギッターさんの日本絵画コレクション展「ミリヤッド・オブ・オータム・リーブス」<錦秋万葉>が開かれました。それを記念して企画された国際シンポジウムに、ギッターさんは僕を招いてくださったのです。そこでの発表も依頼された僕は、俵屋宗達の構図をテーマにその独自性と同時代性についてしゃべることにしました。

 


出光美術館<門司>「水墨画の巨匠たち 雪舟から鉄斎まで」7

    しかし 大典和尚が この賛を書いたとき、頭にあったのは むしろ 如拙の「瓢鮎図」 だったのではないでしょうか? この国宝画をよく見てください。 瓢箪を持つ 乞食 僧が鯰を指差しているように 、少なくとも指を差し伸べているように 見える でしょう。 事実、島尾新さんは 著書...