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2020年4月14日火曜日

追悼 大林宣彦さん3



412日の『朝日新聞』に、映画評論家・監督の樋口尚文さんが「大林宣彦さんを悼む 監督ではなく『映画作家』だった」を寄稿しています。従来の「映画監督」は、自社の映画館で上映する商品としての映画を上々に仕上げる社内の「職人」だった。しかし大林さんの作品は、大林という強烈な「個」がつむぐ「詩」であって、劇場用映画のまねごとではなかった――樋口さんの指摘するとおりです。

しかし僕にとって、「CM界の巨匠」である大林さんの方が、思い出を呼び起こしてくれるんです。チャールズ・ブロンソンの「う~ん マンダム」は、モテタイナァという気持ちが結構あったころですから、チョットは丹頂さんに貢献したように思います。山口百恵・三浦友和の「グリコセシルチョコレート」も、高峰三枝子・上原謙の「国鉄フルムーン」も、「いいなぁ うらやましいなぁ」「あんな夫婦になりたいなぁ」と思って見ていました( ´艸`)

2020年4月13日月曜日

追悼 大林宣彦さん2



みんながよく知っている錚々たる方々に混じって、何か申し訳ないような気持ちで、出勤簿に判子を捺していました。しかし、大林さんは名誉教授ですし、寧日なき毎日ですから、僕のようなチャッチー授業を毎週するわけではありません。

ワン・セメスターに何回か、撮影現場に学生を連れて行って、直接に教え指導するのです。ナマの映画体験をさせるのです。その教育効果たるや、筆舌に尽くし難きものがあったはずです。僕も一度参加させてもらおうと思いながら、そのままになってしまいましたが、一年に一度お会いする機会が巡ってきました。

卒論発表の日にいらして、指導学生のプレゼンテーションを聞き、講評を述べられるからです。僕は、あぁこれが「時をかける少女」の大林監督なんだと、お顔を眺めながら聴いていました。映画監督という仕事に憧れながら、実際にお会いすることができた映画監督は、大林さんと吉田喜重さんのお二人だけです。あの時、上福岡のキャンパスで大林さんとご一緒できたことは、生涯僕の誇りです。

2020年4月12日日曜日

追悼 大林宣彦さん1


 大林宣彦さんがお亡くなりになりました。心からご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。作品へのオマージュはたくさんの方がお書きになると思いますし、「饒舌館長」にもそのうちアップすることをお約束して、ここでは個人的な思い出だけを書くことにしましょう。
2006年から尚美学園大学芸術情報学部大学院で教えることになった僕は、そこで大林さんと同僚になったのです。大林さんは名誉教授として学生を指導していました。したがって大学内での呼称を使えば、「先生」とお呼びするべきかもしれませんが、やはり「さん」の方がふさわしいような感じがします。逝去を伝える『朝日新聞』も、「氏」ではなく「さん」づけにしていますね。このごろ、新聞はみんな「さん」かな?
大学院単独で教えるのは、大林さんとモーツァルト研究の権威・海老澤敏さん、尚美学園出身のトランぺッター・日野皓正、そして僕でした。

杜牧「清明」9



 杜牧「清明」柏木如亭訳  

  清明時節[さんがつごろ]の紛々[しっぽり]とふる雨に
  路上[たび]の行人[もの]は欲断魂[たまられ]
  酒屋[さかや]は何処[どこ]に有[ある]と借問[きけ]
  牧童[くさかりこぞう]が杏花[あんずのさい]た村のはうへ遥指[おしえた]


 岡田米山人筆「武陵桃源図」賛マイ戯訳

  高低なみうつ青い山 あいだを碧[あお]き渓流が……
  立ち込めている春霞 あまたの楼閣隠してる
  「ちょっとお尋ねしますけど 中のお客はどなた様?」
  「桃咲く谷の入り口に 舟を泊めてる人でしょう」


2020年4月11日土曜日

杜牧「清明」8


 
江戸時代後期の漢詩人・柏木如亭は、当時の話し言葉を使って『聯珠詩格』を翻訳し、享和元年(1801)に『訳注聯珠詩格』を出版しました。これに揖斐高さんが注を施した岩波文庫版『訳注聯珠詩格』が10年ほど前に出版され、『聯珠詩格』はぐっと親しみやすい漢詩集となりました。カバーに「従来の訓読とはひと味もふた味も違う、清新な味わいの“現代語訳”」とあるのが愉快です。その如亭訳「清明」も紹介しておきましょう。

[  ]内は一種のルビです。たとえば「清明時節」を「さんがつごろ」、「牧童」を「くさかりこぞう」と如亭は訳したわけです。『訳注聯珠詩格』こそ、清新な味わいを誇るマイ戯訳の大先輩です() ついでに先の岡田米山人筆「武陵桃源図」の七絶自賛も……。

ヤジ「調子に乗るんじゃない!!

2020年4月10日金曜日

杜牧「清明」7



多分いけるだろうと思って、僕が小皿に汾酒を注いで火をつけると、揺らめくような青白い炎が上がり始めました。何しろ汾酒は53度ですから燃えるんです。それを見ながら、みんなで「ハッピー・バースディ」を歌い、先生をお祝いしたことが、昨日のことのように思い出されます。

その後、先生とは賀状の交換をさせていただいていましたが、3年前、悲しくも白玉楼中の人となられました。前置きが長くなってしまいましたが、そろそろマイ戯訳を……。

  清明節のころは雨 シトシトシトシト降る季節
  旅する人の心中を ちょっとブルーにするのです
  「もしもし お尋ねしますけど 酒屋はどこにありますか?」
  牧童 黙って指すかなた アンズの花の咲く村が……

2020年4月9日木曜日

杜牧「清明」6



1989年春から初夏にかけて、北京日本学研究センターの講師として北京に滞在していたことは先日もアップしましたが、その4月11日夕方、宿舎となっていた友誼賓館の蘇園餐庁で、我々からの答礼宴が開かれました。宴が果てたあと、「僕の部屋で二次会をやろう」というと、何人かが集まってくれたのですが、うれしいことにセンター長の尾上兼英先生と奥様も加わってくださったのです。

そのとき振舞ったのが僕の部屋にあった汾酒でしたが、誰かが「尾上先生は確か今月のお生まれでしたね」というと、「そうですけど、よくご存知ですねぇ」とおっしゃる。それじゃ~先生の誕生パーティーをやろうということになりましたが、ローソクなんて部屋にありません。

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!7

  また僕 の家の菩提寺である三ノ輪の永久寺は天台宗ですので、これまた密教なの です。 このように密教が日本に広がり深く信仰されたのは、 その教義はともかく、 日本人におけるものの考え方や感性と密教が、とても親和的であったからである――というのが 独断と偏見です ( ´艸`) 儀...