2018年11月7日水曜日

京都国立博物館「京の刀」3


しかし、平安時代以降わが国で創り出された日本刀――この特別展で鑑賞いただくような日本刀は、すでに日本独自の美に昇華されているといって過言ではないでしょう。

 中国の刀は本来直刀でした。その強い影響を受けたわが古墳時代や正倉院御物の刀が直刀であるのは、不思議でも何でもありません。しかし平安時代を迎えると、徐々に日本刀は反り、つまり微妙なカーブを身に帯びるようになり、彎刀が誕生します。

それはきわめて高度な折り返し鍛錬法の技術が生み出す自然の美であったように思われます。あるいは騎馬戦が行われるようになった戦法の変化とも無関係ではないでしょう。 現在私たちが日本刀と聞くと、あの微妙な反りをまず思い浮かべますが、それを特徴とするフォルムが完成したのは、平安時代後期のことでした。まさに国風文化の時代でした。

2018年11月6日火曜日

京都国立博物館「京の刀」2


 僕が日本刀を見るとき、もっとも興味を感じるのは、その美しい反りです。それについては、去年新春、わが静嘉堂文庫美術館で開催した「超日本刀入門」の紹介を、旧「K11111のブログ」にアップしたときに書きました。これを再録いたしますので、すでにお読みになった方はスルーしていただいて結構です。ただ最後に、ちょっと補足を加えたいと思っていますが……。

岩崎弥之助は三菱の創立者・岩崎弥太郎の弟です。この「超・日本刀入門」のサブタイトルに「明治のサムライ実業家、秘蔵のコレクション」と謳ったのは、この岩崎家が土佐藩主・山内家の武士だったからです。

 日本刀は日本独自の武具です。世界に誇るべき美術であり、工芸です。もちろん、その源泉は中国に求めることができます。日本美術のオリジンは、多く中国に発するのですが、日本刀も例外ではありません。

2018年11月5日月曜日

京都国立博物館「京の刀」1


京都国立美術館「京[みやこ]の刀 匠のわざと雅のこころ」<1125日まで>(111日)

「古典の日フォーラム2018」の111日、午前中はフリーだったので、話題の京都国立美術館・京の刀展へ出かけました。到着したのは開館時間をちょっと過ぎたころでしたが、まず表門で行列、平成知新館入り口で行列、中に入って行列、エレベーターのところで行列――うわさに違わぬ人気です。展覧会の趣旨を、招待状から引用しておきましょう。

王城の地・京都では、平安時代から現在にいたるまで、多くの刀工が工房を構え、あまたの名刀を生み出してきました。これら京都で制作された刀剣は、常に日本刀最上位の格式を誇り、公家、武家を問わず珍重され、とりわけ江戸時代以降は武家の表道具として、大名間の贈答品の代表として取り扱われました。本店では、現存する京都=山城系鍛冶の作品のうち、国宝指定作品17件と、著名刀工の代表作を中心に展示し、平安時代から平成にいたる山城鍛冶の技術系譜と、刀剣文化に与えた影響を探ります。


2018年11月4日日曜日

京都劇場「古典の日フォーラム2018」


京都劇場「古典の日フォーラム2018」(111日)

111日は「古典の日」――今年は京都劇場でこれを祝うフォーラムが開催されることになりました。フォーラムのメインは池澤夏樹さんの講演「恋とあはれみ――古典に見る日本人の心」と、小説家・角田光代さんと元NHKアナウンサー・三宅民夫さんの対談「今、『源氏物語』を訳して」です。

この講演と対談のつなぎに、静嘉堂文庫美術館が誇る「関屋澪標図屏風」について、僕が解説することになりました。というのは、このたびDNPさんが作ってくれたすばらしい原寸複製が、今日ここでお披露目されることになったからです。

ところが許された時間はたったの10分です。「琳派四百年記念祭」でお世話になった山本壮太さんが今回もプロデューサーをつとめているわけですから、僕がおしゃべり館長であることはよく知っているはずなのに!! しかし人気作家、いや、現代日本を代表する知性であり、いつも朝日新聞でエッセーを愛読させてもらっている池澤夏樹さんの公演時間が50分なんです。10分でも大サービスだとみずからを納得させたことでした( ´艸`)

その「琳派四百年記念祭」の話から始めたところ、アシスタントの女性が「終了です」というボードを舞台の下で掲げた時は、まだ半分もしゃべっていませんでした(!?)


2018年11月3日土曜日

静岡県立美術館「幕末狩野派展」5


描表装というと、江戸琳派の場合がよく知られていますが、絵画性の強い鈴木其一などより、表装裂のように描いてしまう涅槃図の場合が思い出されて、興味尽きないものがありました。涅槃図の描表装には、釈迦に対する尊崇の念が込められていたにちがいありませんが、栄信の「桃鳩図」では徽宗に対するオマージュの気持ちであったかもしれません。

あるいは、現代のトリックアートに通じる、幕末の遊戯的美意識の方を重視すべきでしょうか? しかし「僕の一点」に選んだのは、こんな美術史的問題のためじゃなく、これなら我が家の壁に掛けて、一杯やるときに楽しめるからです。狩野一信の「五百羅漢図」じゃ我が家の壁に掛かりませんし、たとえ掛ったとしても、悪酔いしちゃうかも()

2018年11月2日金曜日

静岡県立美術館「幕末狩野派展」4


もっとも、写しとか模本とかいうと、意味がかなり拡散してしまいますし、コピーというといよいよキヤノンになっちゃいますから、やはり「複製作品」という言葉を定着させるのがベターでしょうか。

それはともかく、栄信筆「桃鳩図」の見所は、原本と見紛う本紙――絵の部分はもとより、その表装にあります。天地、中廻し、一文字、すべてを栄信が描いちゃっているんです。いわゆる描表装です。どう見たって、表装裂つまり織物にしか見えません。栄信も誇って、「装潢絹色一筆模之伊川法眼藤原栄信」と箱書きを施しているそうです。もちろん実際は、弟子がやったのでしょうが……。

2018年11月1日木曜日

静岡県立美術館「幕末狩野派展」3


もっとも印象深かったのは、晴川養信の「仙境・簫史・弄玉図」三幅対でした。のちにこの傑作は、東京国立博物館で開催された特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」で公開されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

野田麻美さんは、幕末狩野派の豊かな絵画世界と美術史上のすぐれた意義に早くから気づき、着々と準備を進めてきました。そして明治維新150年という節目の年に、この特別展を開催することにしたのです。もちろん野田さんも、先の晴川養信に注目していますが、そのお父さんにあたる伊川栄信にも、すぐるとも劣らぬ関心を寄せています。

「僕の一点」は、栄信の「桃鳩図」(個人蔵)です。かの国宝に指定されて有名な徽宗筆「桃鳩図」の写しです。野田さんはこれを「複製作品」と呼んでいますが、かつて野田さんが美術史の仕事に就くため、その準備として数年勤めたキヤノンという感じもしないじゃありませんね()

東京国立博物館「江戸☆大奥」7

  そして明治 20 年代を迎えると、早くも富国強兵による近代化に成功した自国に、多くの国民が自信と矜持を抱くようになりました。それと日清戦争がまったく無関係であるはずはありません。 そうなると旧弊としてあれほど否定したはずの江戸時代を、誇るべき歴史の 1 ページとしてながめ...