2025年12月31日水曜日

サントリー美術館「NEGORO」13


ここで僕がとくに興味深く感じるのは、男性である狩場明神の上に金剛界大日如来が、女性である丹生明神の上に胎蔵界大日如来が配されていることです。つまり金剛界が男性と、胎蔵界が女性と結びつけられているです 


 2017年春から初夏にかけ、三井記念美術館で特別展「創建1250年記念 奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」が開かれました。その印象記を「饒舌館長ブログ」にアップした僕は、西大寺の「両界曼荼羅曼図」を「僕の一点」に選んで独断と偏見を開陳しました。ご興味のある方はぜひご笑覧いただきたいと存じます。

 

その結論だけを述べれば、胎蔵界曼荼羅は仏の慈悲を視覚化した図像であり、それは女性と容易に結びつきます。また金剛界曼荼羅は仏の理智を象徴するイメージであり、それは男性と融和し易いというものでした。 


2025年12月30日火曜日

サントリー美術館「NEGORO」12


  この狩場明神に導かれた弘法大師が、紀伊国境を流れる吉野川のあたりにたどり着いたとき出現したのが丹生明神です。丹生明神はその山域の地主神で、大師に高野の地を示して差し出したと弘法大師伝に書かれているそうです。

丹生明神はイザナギとイザナミの娘ともされる女神ですが、本図では十二単に身を包み、上畳に安座する王朝貴族の女性を髣髴とさせる姿に描かれています。豊頬長頤ほうきょうちょういを特徴とする又兵衛美人のプロトタイプみたいに見えますが、神様なんです!! 

その頭上には狩場明神と同じく円窓があって、蓮華の上に胎蔵界大日如来の種子が書かれています。明らかに神仏混淆の垂迹的観念によるところで、両明神の本地仏が金剛界と胎蔵界の大日如来とされているわけです。

2025年12月29日月曜日

サントリー美術館「NEGORO」11


  右幅に狩場明神が描かれています。狩場明神は高野山の地主神です。弘法大師伝によると、弘仁7年(816)夏に大師が伽藍の地を求めていた折、大和国那智で出逢い高野の地へと導いたのが、猟人の姿をした狩場明神でした。以上は大阪市立美術館・石川温子さんのカタログ解説によるところです
 

狩場明神白黒匹の犬を連れているはずですが、クロチャンはどっかに行っちゃったようですね( ´艸`) それはともかく狩場明神の頭上には円窓があって、蓮台の上に金泥で梵字が表わされています。これは金剛界大日如来をシンボライズする梵字記号だそうですが、このような梵字記号業界では種子しゅじと呼んでいます。 

2025年12月28日日曜日

サントリー美術館「NEGORO」10

  

 これまで知られてきた『紀伊国名所図会』の流布本にも「根来椀」の項はあるのですが、内容がまったく違っていて、「根来塗」という語は出てこないのです。異本は流布本と同じく天保9年(1838)の出版だそうですから、「根来塗」の初出は、これまで考えられていたより、40年もさかのぼることになったのです。これを指摘してくれた大阪市立美術館の菊地泰子さんに、心からの感謝を捧げたいと思います。しかしこうなると、もっとさかのぼる文献資料がありそうですね。

 「僕の一点」は「狩場明神像・丹生明神にゅうみょうじん像」(金剛峯寺<高野山霊宝館>蔵)ですね。鎌倉時代を代表する垂迹画として早く重要文化財に指定されていますが、じつに興味深い双幅作品です。 

2025年12月27日土曜日

サントリー美術館「NEGORO」9

  


 僕は「そもそも『根来塗』自体が、近代に入ってできた言葉のようだが」と書きましたが、これは黒川真頼の『工芸志料』(1878年)に初めて登場するとされていたからでした。ところが江戸時代「根来塗」という言葉がすでに使われていたことを、この特別展「NEGORO」が明らかにしてくれたのです。というのは『紀伊国名所図会』に異本が見つかったからでその3編1之巻「根来椀」の項には、つぎのように書かれているです。 

そもそも根来塗は、覚鑁かくばん上人開基以来、此このあたりにて製し初そめしにや。京人塗師ぬし長寛が記しるせるものを見るに、根来塗の古きかぎりは、長寛二年施主古河丸こがまるとかきつけある朱塗の机を第一とす。 

2025年12月26日金曜日

サントリー美術館「NEGORO」8


  現代、根来塗に対する評価はきわめて高いものがある。かつて小松氏は、その発端を近代数寄者の茶道愛好に求めたが、今回改めて調査した結果、昭和三十年代に入って盛んに開催された展覧会が大きな役割を果たした事実を突き止めた。

 とくに昭和三十三年、熱海美術館で開かれた特別展は重要で、その豪華図録に寄せられた溝口三郎氏の論文は、今なお学問的光輝を失っていない。和様式、中国様式、折衷様式という様式的三分類法が、きわめて有効に機能するためであり、取り上げた九点の作品も、これにしたがって分類することが可能であるという。小松氏は今後、朱漆器全体の歴史のなかで根来塗を考察することの必要性を提唱して結論としている。 

2025年12月25日木曜日

サントリー美術館「NEGORO」7

 

 小松氏は大変興味深い一話から巻頭論文を始める。東京国立博物館では、根来や根来塗が俗称であるとして、典型的作品であっても、題箋には「漆塗」「朱漆塗」と表記することが慣例となってきたという。小松氏は漆が塗料として誕生した歴史を遺品と文献の両面から明らかにしたあと、根来塗と直接的につながっていく朱漆塗の器物について、さらに絵画作品に描かれた朱漆器の画証も加えてその系譜を跡づけた。
 続いて先の『毛吹草』以下、黒川真頼の『工芸志料』に至る根来塗の文献資料を紹介したが、『工芸志料』については、その意義を認めつつも、今日に至るまで根来塗の定義が明確でない一因がここに発することを指摘している。

2025年12月24日水曜日

サントリー美術館「NEGORO」6


 しかしながら、根来塗の実態はきわめて曖昧模糊としている。そもそも「根来塗」自体が、近代に入ってできた言葉のようだが、そのもとになったのは、寛永十五年(一六三八)に刊行された俳書『毛吹草』に初めて出る「根来椀 折敷」だとされている。それは往時根来寺が盛んであった時、そこで作られた道具であるとされているから、これを狭義の根来塗ということができる。これに対して、現代ではある一定の作風を有する漆器をひろく根来塗と称しているが、これを広義の根来塗とすることができよう。 

國華編輯委員会は早くからこの美と妙を広く紹介するとともに、日本工芸史上における位置を見定めたいものと考えてきたこれまで一度も取り扱ったことがなかったこともあり、決定までに多くの時間が費やされてしまったが、機はようやくにして熟した。そこでこの分野の研究に多くの業績をあげてきた元東京国立博物館副館長、現秋田市立千秋美術館館長の小松大秀氏に特輯号の立案を依頼した。小松氏は巻頭論文「朱漆器と『根来塗』」を執筆するとともに、編輯委員会とともに基準となる作品九点を選定して意欲的に準備を進めてくれた。 

2025年12月23日火曜日

サントリー美術館「NEGORO」5

 
その後も漆工芸は、日本美術において常に馥郁とした香りを放ち続けていた。玉虫厨子から近世の漆絵や柴田是真の作品へと姿を変える絵画的遺品や、正倉院御物にみる平文や末金鏤から驚異的な技術展開をみせた蒔絵、乾漆技法が隆盛を極めた天平仏から何人かの現代作家に受け継がれる乾漆彫刻、あるいは中尊寺金色堂とその伝統を引く建築装飾が、そのきわめて豊かな歴史を物語っている。そして漆工芸の原点ともいうべき無文漆器から幕末明治の民衆的工芸、いわゆる民芸へと広がる大河のごとき流れがあった。根来塗はこの流れに棹差すもっとも重要な一ジャンルにほかならない。 

2025年12月22日月曜日

サントリー美術館「NEGORO」4


  もちろん先史の時代から、わが国は漆の国であった。四柳嘉章氏によれば、福井県若狭町鳥浜貝塚では、縄文時代草創期における漆の木の存在が確認され、北海道函館市垣ノ島B遺跡からは、縄文時代早期における赤色漆塗り糸で髪を束ねた仰臥屈葬遺骨が発掘された。これらはカーボン14年代測定法によって、ほぼ一万年前のものと推定され、中国最古の漆器出土遺跡とされてきた淅江省河姆渡遺跡より、二千年も古いことになる。これによって、日本の漆文化は独自に発達したとする考えが強まったようである。
 
 ところが、重要な出土品であった後者が、二〇〇二年、精査が行なわれる前に烏有に帰してしまい、中国でもさらに年代を遡りうる遺品が出土した。漆製品を出土するわが国の遺跡が、日本海側に多いという傾向もあり、結論はいまだ得られていないらしい。しかしいずれにせよ、先史時代からわが国が漆の国であったことは疑いない事実である。

2025年12月21日日曜日

サントリー美術館「NEGORO」3


  10年ほど前、『國華』で根来特輯号を組んだことがあります。根来が大好きな僕は、主幹の小林忠さんに売り込んで(!?)、巻頭言「『根来塗』特輯に当って」を書かせてもらいました。ここに再録することをお許しください我ながらよく書けていると思うので……( ´艸`)

 日本は漆のまほろばである。おおやまとは蒔絵の国である。我々は漆器の民である。Japanと大文字で始めれば日本、japanと小文字で書けば漆器を意味すること、多くの人が知るところである。Chinaが中国、chinaが陶磁器を指すのと好対照をなすこと、これまた常識に属する。灰野昭郎氏によれば、このような意味でジャパンが最初に使われたのは、イギリス人のジョン・ストーカーとジョージ・パーカーが著わした『漆とワニスの技術論』で、その出版は一六八八年であるという。かの南蛮漆器ブームが禁教政策とともに終息し、その後の輸出漆器、いわゆる紅毛漆器が隆盛の時を迎えようとするころ、すでに漆器はわが国を象徴する美術工芸になっていたのである。 

2025年12月20日土曜日

サントリー美術館「NEGORO」2

 

 そのカタログから「ごあいさつ」を掲げて、根来塗のあらあらと展覧会の趣旨を知ることにしましょう。 

「根」は一般的に、下地を施した木地に黒漆塗りし、朱漆を上塗りした朱漆塗漆器(朱漆器ともいう)を指します。 おおらかで明快な姿かたちに加えて、長年の使用により表面の漆が磨滅し下に塗られていた黒漆が現れることで生まれる古色も、大きな魅力となっています。かつて大寺院して世に知られた根来寺(和歌山県岩出市)で朱漆器が作られたという伝承から、この名称が生まれたともいわれますが、その関係については必ずしも明らかではありません。近年、「根来寺院跡の発掘調査聖教・文書の検証がなされ、中世から近世における赤と黒に彩られた漆の受容の様子が明らかになりつつあります。

 

本展は、一連の研究成果を踏まえ、根来の歴史を振り返る展覧会です。 根来寺が繁栄を極めた中世の漆工品を中心に、その前後の時代に制作された、年紀伝来の確かな名品、そして著名人の愛蔵品を紹介いたします。 大阪・関西万博が開催されている本年、JAPANを代表する漆の美を心行くまで堪能いただけましたら幸いです。 

2025年12月19日金曜日

サントリー美術館「NEGORO」1

サントリー美術館「NEGORO 根来 赤と黒のうるし」<2026112日まで>

私たちは根来塗の単純明快なるフォルムを愛しいとおしんできました。朱漆と黒漆のハーモニーに魅了されてきました。風化と手擦れが視覚化する時間の流れに深い感銘を覚えてきました。このような根来塗の特別展が、サントリー美術館で開催中です。

カタログのデザインは佐藤大介さんの手になるところ、シンプルにしてインパクトの強い表紙は、<根来美>を直感させて秀逸です。どんな方なんだろうとネットで検索すると、大阪に㈱サトウデザインを構えて活躍する、43歳のグラフィックデザイナーであることが判りました。もっとも「佐藤大介」という方には、気象予報士や医師、サッカー選手や陸上選手、さらに馬主から競艇選手まで、たくさん有名な方がいらっしゃるようですが……。

サントリー美術館「NEGORO」18

   「福富草子」の主人公は高向秀武 たかむこのひでたけ 、下級 に近い 仕丁 してい のように思われます。 貧乏暮らしにほとほと愛想が尽きた秀武は、女房の勧めで御幣 ごへい と奉納 品を調えると、 ある神社に参詣して一心に願をかける のです が、 秀武に従う男の子が振り分けに担...