しかしながら、根来塗の実態はきわめて曖昧模糊としている。そもそも「根来塗」自体が、近代に入ってできた言葉のようだが、そのもとになったのは、寛永十五年(一六三八)に刊行された俳書『毛吹草』に初めて出る「根来椀 折敷」だとされている。それは往時根来寺が盛んであった時、そこで作られた道具であるとされているから、これを狭義の根来塗ということができる。これに対して、現代ではある一定の作風を有する漆器をひろく根来塗と称しているが、これを広義の根来塗とすることができよう。
國華編輯委員会は早くからこの美と妙を広く紹介するとともに、日本工芸史上における位置を見定めたいものと考えてきた。これまで一度も取り扱ったことがなかったこともあり、決定までに多くの時間が費やされてしまったが、機はようやくにして熟した。そこでこの分野の研究に多くの業績をあげてきた元東京国立博物館副館長、現秋田市立千秋美術館館長の小松大秀氏に特輯号の立案を依頼した。小松氏は巻頭論文「朱漆器と『根来塗』」を執筆するとともに、編輯委員会とともに基準となる作品九点を選定して意欲的に準備を進めてくれた。

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