これまで知られてきた『紀伊国名所図会』の流布本にも「根来椀」の項はあるのですが、内容がまったく違っていて、「根来塗」という語は出てこないのです。異本は流布本と同じく天保9年(1838)の出版だそうですから、「根来塗」の初出は、これまで考えられていたより、40年もさかのぼることになったのです。これを指摘してくれた大阪市立美術館の菊地泰子さんに、心からの感謝を捧げたいと思います。しかしこうなると、もっとさかのぼる文献資料がありそうですね。
「僕の一点」は「狩場明神像・丹生明神にゅうみょうじん像」(金剛峯寺<高野山霊宝館>蔵)ですね。鎌倉時代を代表する垂迹画として早く重要文化財に指定されていますが、じつに興味深い双幅の作品です。

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