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2024年12月31日火曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」8

しかるに忠孝という語の如きは、日本民族がシナ語を用いる以前にいかなる語で表わしていたかが殆ど発見しがたい。 孝を人名としては、「よし」「たか」と訓むが、それは「善」「高」という意味の言葉であって、親に対する特別語ではない。忠も「ただ」と訓むのは「正」の意味で「まめやか」という義に訓するのは、親切の意味でこれも君に対する特別の言葉ではない。一般の善行正義というようなほかに、特別な家族的なならびに君臣関係の言葉としての忠孝ということが、すでに古代にその言葉がなかったとすれば、その思想があったか否やが大なる疑問とするに足るではないか。これは単に、目前に知れ易き例を挙げたのであるが、すべての文化的現象が、いずれもかかる関係にあるのではないかという疑いを発し得る。忠孝という語は、日本民族がシナ語を用いる以前に如何なる語で表わしていたかが、ほとんど発見しがたい。

 

2024年12月30日月曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」7

 

 たとえばここに忠孝という事がある。忠孝という名目はもちろんシナより輸入した語であるが、忠孝という事実は元来日本国民が十分に具えていて、自分が所有せるものにシナから輸入した名目を応用したものということに解釈しようとする傾きがある。しかしながらこれを根本より考えてみると、すでに国民がもっておった徳行の事実があり、しかしてまた他方に固有の国語がある以上、なにかその事実に相当した名目がなければならぬはずである。 ここに数を算えるにも日本人は今日ではシナより輸入した文字なり、音なりで一、二、三、四というごとき語を使用するが、しかし現にその輸入語のほかに固有の国語である一つ二つ三つ四つというものをもっている。(略)

2024年12月29日日曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」6

これは渡辺京二先生の『逝きし世の面影』が伝えるような、幕末明治期における自由にして溌剌とした子供たちとごく自然な人間的親子関係――彼らがいう「子供天国」の基底を考える際、とても重要なヒントになるように思われました。

その前提となるのが、「忠孝思想を強く押し出すことも儒教の特色とされる。人間関係の基本を家族関係と君臣関係と見、前者の間では親に対する孝、後者の間では君に対する忠を要求するのである」という指摘でしょう。

これを読んで僕は、先の小田野直武と同じく秋田に出た内藤湖南の『日本文化史研究』<講談社学術文庫>(1976年 初版1924年)にみる忠孝論を思い出しました。湖南先生にはチョッと反論したい気持ちもわいてきますが……。

 

2024年12月28日土曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」5

このシンポジウムは2年後、高階秀爾監修『江戸のなかの近代 秋田蘭画と《解体新書》』(筑摩書房 1996年)という一書にまとめられましたが、以上3つが僕の儒学体験ということになります。体験というにはお恥ずかしいような体験ですが……。

 この「儒教のかたち こころの鑑」展カタログ巻頭には、早稲田大学名誉教授の土田健次郎さんが「儒教とは何か」を寄稿、とても分りやすく解き明かしています。そのなかで僕がもっとも興味深く感じたのは、「中国では子の親への一方的献身が強調されるが、日本では同時に親の子への慈愛も要求する傾向があるとも言われる」という一節でした。これが日本儒教における性格の一つだというのです。

 

2024年12月27日金曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」4

 

いまは亡き高階秀爾先生がコーディネートされたシンポジウム「日本近代のあけぼの」が、秋田県角館町で開かれたのは平成6年(1994)秋のことでした。この年は角館出身の洋風画家・小田野直武が挿絵を担当した『解体新書』が刊行されてからちょうど220年の節目にあたっており、町を挙げての記念事業が行なわれました。その一つとして本シンポジウムが企画されたのです。

僕は「江戸絵画と客観主義」という口頭発表を行なったのですが、そのなかに「画論と朱子学」という一項を立てたんです。かくして、儒学の一体系である朱子学を勉強しなければならないというハメに陥りました。しかし難解でよく分らず、けっきょく武内義雄先生の『儒教の精神』<岩波新書>を頼ることにしたんです( ´艸`) 


2024年12月26日木曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」3

 僕にとっての儒教は、高校時代の漢文から始まったような気がします。いま清田清先生の『新講 漢文解釈』(金子書房 1956年)を、書架から引っ張り出してきたところです。「文法篇」に続く「応用篇」の最初はもちろん『論語』で、「学而時習之」以下、14項目も立てられています。本書は漢文の副読本であり、また受験参考書でもあったのですが、その後現在に至るまで、65年間もお世話になるとは夢にも思いませんでした() 

少し真面目に『論語』を読み、儒教的勧戒図について調べたのは、研究室の紀要に「探幽と名古屋城寛永度造営御殿」上・中・下なる拙文を書いたときで、もう42歳になっていました。不惑を越えたのに惑いつつ書いた「馬のションベン」みたいな随論でしたが、この「儒教のかたち こころの鑑」展カタログを開くと、図版解説の参考文献として挙がっているじゃ~ありませんか。老いの身にもうれしくないはずはありません。

 

2024年12月25日水曜日

サントリー美術館「儒教のかたち」2

中世になると、宋から新たに朱子学 (南宋の朱熹しゅきが確立させた新しい儒教思想)が日本へ伝わり、禅僧たちがそれを熱心に学んだことから、儒教は禅宗寺院でも重要視されました。そして近世以降、文治政治を旨とする江戸幕府は、儒教を積極的に奨励し、その拠点として湯島聖堂を整備します。 江戸時代を通じ日本各地で、身分を問わず武家から民衆、子どもに至るまで、その教育に儒教が採用され、広く浸透していったのです。

例えば、理想の君主像を表し為政者の空間を飾った、大画面の「帝鑑図」や「二十四孝図」が制作された一方で、庶民が手にした浮世絵や身の回りの工芸品の文様にも同じ思想が息づいています。それらの作品には、 当時の人々が求めた心の理想、すなわち鑑かがみとなる思想が示されており、現代の私たちにとっても新鮮な気づきをもたらしてくれます。本展が、『論語』にある「温故知新」(ふるきを温たずねて新しきを知る)のように、日本美術の名品に宿る豊かなメッセージに思いを馳せる機会となれば幸いです。

 

絶滅写真作家(!?)杉本博司さんの魅力を改めて感じさせてくれる特別展が竹橋で開催中です!!16

  そのときアディス先生と一緒に、ニューヨークで開かれる日本美術シンポジウムに参加 する機会に恵まれました 。 先生から 杉本さんを紹介され た僕は、 作品を見せてもら うべく お店に うかがいました。お店の名前は「SUGIMOTO」 だったような気がしますが 、あるいは「MIN...