100万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2018年4月30日月曜日

横浜美術館「ヌード」14


以上が僕の独断と偏見です() 為政者と庶民を分断して、二項対立的に考える分析に対し、多くの批判があることはよく分かっています。為政者といい、庶民といい、アッパーからミドル、アンダーまで、階層はさまざまでしょう。為政者と庶民が分かちがたく結びついていることも少なくないでしょう。

しかしこれまでの裸体画問題は、どうも為政者、つまり政府官権の方に、議論が偏っていたように思います。あるいは画家を中心とする芸術家に、関心の大半が向けられてきました。江戸時代、春画を生活のなかで楽しんでいた庶民への目配りが少なかったのではないでしょうか。しかし、裸体画問題の主役は庶民であったといっても、過言じゃありません。

確かに、裸体画問題に対する庶民の言説がほとんど残っていないという現実があります。だからといって、この問題を為政者や芸術家の視点だけで考察することは、正しい見方とはいえないと思います。少なくとも、話が一面的になって、おもしろくなくなってしまいます。


2018年4月29日日曜日

横浜美術館「ヌード」13


このようにして、為政者と庶民の春画に対する意識のベクトルが共鳴するようになったときに、ヌードが公開され、裸体画問題が惹起したのです。いや、その共鳴はもう少し早く起っていたようです。

北澤憲昭さんは、この問題をノモスとピュシスという観点から論じて、刺激的論文「美術における政治表現と性表現の限界」(『講座 日本美術史』6)を発表しました。そして裸婦像への禁圧が、国家権力の一方的な規制ではなかったことを、『朝野新聞』18891117日の記事を引きながら指摘したのです。

ところで「朝妝」も、「西洋婦人像」も日本人の画家が描いたヌードでした。対象が西洋の女性であったとしても、画家は紛れもない日本人でした。もしこれが西欧の画家であったら、これほど裸体画問題は大きくならなかったでしょう。少なくとも、為政者と庶民における価値観の共鳴はこれほど強くならなかったのではないかと思います。

2018年4月28日土曜日

横浜美術館「ヌード」12


しかし「朝妝」は明治28年、「西洋婦人像」は明治34年に公開されたのです。そのころになると、庶民の方も変質しつつありました。春画が生活の一部であった幕末明治初年から20年以上が経ち、『逝きし世の面影』が伝えるごとき大らかな裸文化を恥ずかしく思うようになっていたのでしょう。

おそらく実生活では、まだまだ裸文化は根強く生き残っていたんだと思いますが、意識だけは進歩?していたことを、よく知られたビゴーの筆になる『ショッキング・オブ・ジャポン』の挿絵「朝妝を見る人々」が語ってくれています。さらに庶民も、為政者同様、西欧人の眼を意識するようになっていました。春画を恥ずかしい文化と思う心情も強まっていたでしょう。

それは西欧化を進めようとする為政者の価値基準によって方向付けられ、ある場合には強制されたものでしたが、あの自由自在に生きていた庶民も、近代国家の国民に変りつつあったのです。

2018年4月27日金曜日

横浜美術館「ヌード」11


それでは春画に馴れ親しんでいた、つまり生活の一部とさえなっていた庶民にとってはどうだったでしょうか。春画は「笑い絵」としてちょっと変わったジャンルを形成していましたが、その他の絵画ジャンルとの垣根は、それほど高いものではありませんでした。もし「朝妝」や「西洋婦人像」が幕末や、明治初年に描かれたとすれば、庶民はこれを珍しい西洋女性の裸体として、笑いながら楽しんだかもしれません。

それを実証するのは、喜多川歌麿の名作春画「歌枕」です。春画の伝統にしたがって12図で1セットになっていますが、その最後が西洋の男女が愛し合うシーンとなっています。ことさらに陰影法――キアロスクーロが強調されている点に、美術史的な興味を掻きたてられますが、この問題は改めておしゃべりすることにしましょう。

これを見て笑っていた庶民、文字通り「笑い絵」としてエンジョイしていた江戸庶民が、「朝妝」や「西洋婦人像」を性的で卑猥などと思うはずがありません。


2018年4月26日木曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」鏡開き


静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」<617日まで>鏡開き(424日)

 いよいよ待ちに待った企画展「酒器の美に酔う」のオープンです。待ちに待ったといっても、一番待ちに待ったのは、この<饒舌館長>でしょう。今や<饒舌館長>変じて、<上戸館長>になっちゃってるんですから。

この企画展にちなんで、63日(日)、恒例のおしゃべりトークをやることになっているんですが、担当した山田正樹さんが考えてくれたタイトルや、「お酒の絵 上戸館長 口演す」というんです(!?) それにしても、「アル中館長」や「酒乱館長」じゃなくてよかった。

初日の今日は、鏡開きをもってメディア内覧会の口切りとしました。もちろん、この展覧会にちなんでの企画、我が館では空前にして――しかし間違っても絶後にはしたくないなぁ(笑)「よいしょ よいしょ よいしょ」の掛け声もろともに、山田さんと鏡を割れば、茨城那珂は木内酒造の銘酒「菊盛」の得も言われぬ香りが講堂一杯に広がります。

杯を片手に――実際は紙コップでしたが、細かいことはともかく、挨拶をかねて酒私論?を展開したことでした。ましら酒(猿酒)があるために、人間は猿から酒造りを教えてもらったという説がありますが、大きな間違いです。猿に引っかけていえば真っ赤な嘘です。教えてもらったんじゃない! 人間は猿の時代から酒を造っていたんです!!

2018年4月25日水曜日

横浜美術館「ヌード」10

 日本近代医学の父アーウィン・フォン・ベツルは、よく知られた「日本では今の科学の『成果』のみを受け取ろうとし、……この成果をもたらした精神を学ぼうとしない」という名言を吐きましたが、ちょっと参考になるかもしれません。

当時の日本人は、ヌードの西欧文化史における精神や意味などを学ぼうともしなければ、まったく関心もなかったのです。しかも悪いことに、ヌードは医学とちがって、日本人の生命や健康に直接関係する文化ではありませんでした。医学のようにぜひ必要な文化ではなく、あってもなくても構わなかったのです。もし近代化にどうしても必要であれば、西欧文化のすぐれた成果としてヌードを取り入れたことでしょう。

しかもヌードは、為政者にとって卑猥な春画と、表層的にはより一層結びつきやすかった――それは為政者が儒教の影響をとても強く受けていたからです。日本人である為政者が、ヌードの文化史的意義を理解しようとしなかったことはもとより、春画を猥褻なものと見なし取り締まりの対象としてきた為政者にとって、ヌードが同じように見えたとしても、不思議でもなんでもありません。

それはいくら西欧化が進んでも、伝統的な価値基準は一朝一夕に変らないというDNA論の補強材料となるかもしれませんが……。


2018年4月24日火曜日

横浜美術館「ヌード」9


加えて、ヌードは凝視され、鑑賞されるべき芸術でした。いっぽう春画は、ちょっと見て笑い飛ばすべきものであって、現代の僕たちのように芸術としてじっくり鑑賞し、分析を加えるなどというヤボなことは行なわれなかったでしょう。

そもそも幕末明治初期の我が国では、裸体そのものが町に溢れ、混浴もごく普通でしたが、みんなまったく無関心でした。これも『逝きし世の面影』が教えてくれるとおりです。

あの『日本事物誌』を書いたバジル・チェンバレンは、”The nude is seen in Japan, but is not looked at”という『ジャパン・メイル』編集者の言を伝えているそうです。もちろんこの”nude”は、「裸体」の意味であって、いま問題としている「ヌード」ではありません。

つまり「朝妝」や「西洋婦人像」がリアリズム絵画であり、それが広く一般に公開され、しかも凝視を強いる芸術であったことが、まず問題となったにちがいありません。しかし、それだけではありませんでした。以上のような外的要因に加えて、内的要因が作用したとき、はじめて政府官権による規制を生んだんだと僕は思います。

絶滅写真作家(!?)杉本博司さんの魅力を改めて感じさせてくれる特別展が竹橋で開催中です!!13

  しかし もう10回を越えてしまいました。しかもこのあとに、 ぜひ 紹介したい展覧会や チョッと書いておきたいことが 目白押しです 。「杉本博司 絶滅写真」 へのオマージュ はこのあたりで 中締め にしたいと思います が、改めて杉本さんにお礼申し上げたいことが あります。   ...