2020年4月8日水曜日

杜牧「清明」5



それどころか、これまた紹介したことがある渡部英喜さんの『漢詩歳時記』によると、安徽省貴池県と山西省汾州では本家争いを繰り広げているそうです。しかし渡部さんも、安徽省に軍配を上げています。杜牧が貴池へ刺史として赴任したことがあることのほか、「清明」の風景が乾ききった山西省の風土と合わないからだそうです。

しかし、ここに至ってはそんなことなどどうでもよく、今夜は杜牧の「清明」と、もちろん汾酒もランクアップされている中国10大銘酒の暗唱をまずやったうえで、本当の汾酒を堪能することにしたいと思います。家じゃ~誰も拍手なんかしてくれませんが() 実をいうと、この中国10大銘酒の中で、一番好きなのが汾酒なんですが、これにも忘れられない想い出があります。

2020年4月7日火曜日

杜牧「清明」4


しかし杜牧の「清明」は、米山人も馴染んでいたにちがいない『唐詩選』にも『三体詩』にも選ばれていません。ところがその後、明治大学の池沢一郎さんから、『聯珠詩格』と『千家詩』に載っていることを教えてもらいました。『聯珠詩格』は持っているにもかかわらず記憶になかったのですが、与謝蕪村が愛して止まなかった『聯珠詩格』を、米山人も愛唱していたことが分かって、とてもうれしく感じたことでした。

またこの唐詩にある杏花村は、大好きな汾酒で有名な山西省汾州の地名だと思い込んでいました。しかし先の『千家詩』に載ることを教えられ、試みに張哲永という研究者の『千家詩評注』を読んだところ、この杏花村は杜牧が池州刺史をつとめた安徽省貴池県の地名であることが分かって、不明を恥じたことでした。

山西省汾州以外にも、杏花村は少なくないそうですが、すべてこの詩によって後世名づけられたものであることも分かって驚きました。

2020年4月6日月曜日

杜牧「清明」3



「清明」は、すでに紹介したことがあるピンイン・ルビ付きの『中国古典詩詞選』や『唐詩一百首』にも採られているので、僕が中国語で暗唱できる唐詩の一つです。もっとも、中国人に通じるかどうかは、保障の限りじゃ~ありませんが()

この「清明」には、ちょっとした思い出があります。かつて『國華』1309号に「米山人と武陵桃源」という拙文を寄稿したとき、この唐詩を引用したことがあったからです。大好きな文人画家の岡田米山人にすばらしい「武陵桃源図」があり、若き米山人のパトロンだった安積喜平次のご子孫の家に伝えられてきました。

これを見ずして「米山人と武陵桃源」なんていう文章はとても書けませんから、兵庫県加西市の西剣坂まで出かけて、親しく拝見させていただいたのです。この作品には米山人自作の七言絶句が着賛されているのですが、それはあきらかに杜牧の「清明」からインスピレーションを得て詠まれています。


2020年4月5日日曜日

杜牧「清明」2



しかし『広辞苑』には、「清明祭[せいめいさい]」という行事が立項されていて、「沖縄地方で、旧暦三月の清明節に一族そろって祖先の墓参りをする行事。士族の間で中国伝来の行事として始まったとされる。御清明<ウシーミー>」と説明されています。それは沖縄と中国との文化的結びつきを物語っているようにも感じられます。

美術史的には、清明節でにぎわう北宋の首都・汴京[べんきょう]――いまの開封の風俗を描いた張択端の「清明上河図巻」がよく知られていますね。

それからもう一つ、思い出されるのは晩唐の詩人・杜牧の名吟「清明」でしょう。連夜妓楼に流連したという、イケメンの風流才子・杜牧の面目躍如たるものがある一首ですが、「江南春絶句」や「秦淮に泊す」や「山行」など、分かりやすくて浪漫性に富むところ、とくに日本人好みの感じがします。

2020年4月4日土曜日

杜牧「清明」1



 今日は清明節の日です。清明節といっても、我が国ではあまり馴染みがないかもしれませんが、もともと中国で考えられた二十四節気の一つです。『広辞苑』で「二十四節気」と引くと、「太陽年を太陽の黄径に従って二四等分して、季節を示すのに用いる語」などと書いてありますが、最初のところは僕にもよく分かりません。まぁ、1年を12か月の倍の24等分にして季節を表す言葉としておけば間違いないでしょう。

「清明」は馴染みがなくとも、春の「立春」「春分」、夏の「夏至」、秋の「立秋」「秋分」、冬の「冬至」などは、僕たちもよく使いますね。

清明節は春分から15日目、冬至から数えて107日目とのこと、今年は今日44日がこれに当たります。中国では、昔この日に墓参りをしたそうですが、今はどうでしょうか。日本ではほとんど取り入れなかったように思います。
*ネット画像を「清明節」で検索したところ、上のようなのがヒットし、"Tomb Sweeping Day"と書いてありました。

2020年4月3日金曜日

陸游のネコ漢詩「鼠 書を敗る」



陸游「鼠 書を敗る」<『剣南詩稿』巻63

「饒舌館長」に何度も登場してもらっている南宋のネコ詩人・陸游のネコ漢詩をまたまた僕の戯訳で……。ちなみに、中華書局出版の『陸游集』に「緘藤」とあるのは「緘縢」の誤りでしょう。『諸橋大漢和辞典』によると、「緘縢」[かんとう]とは「綴じからげる」ことですから、ここでは書物の意味だと思われます。コンテクストから「稀覯本」と訳してみましたが、どうでしょうか。

  雲は去りゆき雨も止み カラスが鳴けば窓白む
  短いものだ!秋の夜 寝てない気がする一年も
  夜が明けすぐに布団あげ 頭巾をつける暇もなく
  机上の本をよく見ると ネズミのかじった跡がある
  タカツキ・ワリゴなどならば かじられたって構やせぬ
  我が物顔にそこら中 出てきちゃ本を無茶苦茶に……
  無用になった書物箱 焚書のわざわいいつの世も……
  飼ってやってる我がネコよ! なぜ穴に入り捕まえぬ?
  遂にやられた稀覯本 責任問うても何になる
  怠惰は自分で治すべし それまでネズミはやり放題

2020年4月1日水曜日

島尾新『水墨画入門』4




ここにもお酒が登場するように、玉堂は酒仙画家であり、酒仙詩人であり、酒仙琴士だったんです。かつて小林忠さんから、『江戸名作画帖全集』第2巻<玉堂・竹田・米山人>に一文を求められたとき、「玉堂と酒」と題して責をふさぎました。その書き出しは、「酒、これなくして玉堂芸術は存在しなかった。」というものでしたが、できたら「饒舌館長」風に、「。」じゃ~なく「!」を付けたかったなぁ()

 琴曲「飛鴻」と「別鶴」を 七弦琴で弾きながら
 美酒酌み交わし茅屋に 楽しい一時過したが
 別れたあとで岡山を 思い出すことあったらば
 どこにいようとこの詩画賛 必ず開いて見てほしい  

富士山世界遺産センター「日本三霊山の砂防」5

さらに「逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも」というバージョンもあるそうです。つまり「あの子と逢う間の短さは玉の緒ほどにも及ばないのに、別れて恋しいことは、富士の高嶺に降る雪のように絶え間ないよ」となりますが、これじゃ~本展示とまったく関係なき一首になってしま...