こうして天下に冠たる彌之助美術コレクションが出来上がったわけだが、これを継いだ小彌太がさらに充実させた。英国・ケンブリッジ大学に留学した小彌太は、高い西欧の教養を身につけて帰国した。
しかし大正五年(一九一六)、当時を代表する学者に委嘱して父彌之助コレクションの調査を開始、やがてこれまた父の遺産である静嘉堂文庫の経営保存公開に積極的に乗り出した。かくして英国紳士であったともいうべき小彌太が、東洋古典文化の深遠なる思想に興味を覚えるようになったという。
江戸・祇園南海「庚辰の夏、余 罪を南海に俟つ。鬱鬱として一室に居る。六月溽暑、中夜寝 い ねられず。因りて江都の旧游を思う」 初期日本文人画四大家の一人・祇園南海は、元禄 13 年( 1700 ) 5 月、 25 歳のとき不行跡につき知行を召し上げられ、和歌山城下を追放されま...
本日訪問しました。念願の俵屋宗達の源氏物語が見られて至福の時でした。河野先生に何十年も前に美術史を教えて頂きました。イヤホンガイドで変わらぬ先生の声をお聞きできて嬉しかったです。後期もまた伺います。
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