しかし禁令があったため、事実を隠していたところ、それが露見して罰せられることになったという。また伊東淡路守は蚊に刺されたとき、思わず知らず手でたたき殺した。その血が顔についたのを、井上彦八(利実)が見て注意したところ、淡路守は紙で拭き取り、手を洗ってから勤務に就いた。そのことが将軍の耳に達し、鳥類畜類はいうに及ばず、蚤や蚊までも殺してはならないと言われていたのに、それに違反したという罪だともいう。彦八はそれほどのことを見ていたのに、どうして報告しなかったのかを問われて、閉門を言い渡された。
もっとも慶長 6 年といえば、友松が桂宮家に出入りし始めたころですから、挨拶代わりの自己紹介、ブッチャケていえば売り込み作戦だったかもしれませんが、これは友松のために言わないほうがよかったかな ( 笑 ) 当時智仁親王は弱冠 22 歳、千年の齢を保ちつねに緑を失わないトキ...
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