2023年2月28日火曜日

『美術商・林忠正の軌跡』12

 「第Ⅱ部 林忠正を読み直す」は高頭麻子さんが執筆しています。その「第1章 明治日本の美術政策と林忠正の活動」は「16祭りの後――美術館構想も潰え」で閉じられています。林忠正という抜きんでたコスモポリタンの最後を、高頭さんはつぎのように書き出しています。

こうして、林はパリ万博には全力を尽くし、その結果も大成功と満足したと思われるが、祭りの後に残ったのは、弟の死、ジャポニスムの終焉と親しい友人達の死、パリの店存続の見込みの消滅、多くの負債、自分の日本・東洋美術コレクションの期待はずれの散逸、そして恐らくボロボロの健康状態であった。先に見た帰国後のインタビューで、林は、日本美術が売れなくなったので、1900年万博を機に店仕舞いを考えていたのに万博事務官長になって予定が狂ったと言っている。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

室町のネコ絵11

江戸時代に入れば、僕の大好きな祇園南海の詩「猫を悼む」にも、「牡丹陰裏 夢 空となる」と詠まれています。改めてわが国ネコ漢詩ナンバーワンの名吟を戯訳で……。もっとも『江戸詩人選集』 3 の解釈にしたがえば、「牡丹陰裏 夢 空となる」は「牡丹の根元に埋めたけど 蘇生の夢は叶わずに…...