2018年3月20日火曜日

神奈川県立近代美術館・葉山「堀文子展」6


とつおいつ考えてくると、老生も児島さんや龔穎さんの忠告にしたがった方がよいような感じもします。しかし、もうしばらくのあいだ使わせてもらいたいなぁ。『諸橋大漢和辞典』にしたがえば、「閨秀」にエロティックな意味はないわけですし、「ケイシュウ」という音も、何と美しいことでしょうか。あの麗しかった「慶州」へと、想い出は飛んでいきます――コジツケじゃないのか!?

堀文子さんや柴田安子を「女性画家」と呼ぶと、「閨秀画家」に含まれる「すぐれた」「賢い」という語感がとんでしまいます。「女流画家」といえば少し残るかもしれませんが、聞くところでは、この言葉もフェミニズムの観点から、ちょっと問題を含んでいるそうですね。

しかし、もし堀さんが「閨秀画家」とは呼んでほしくないという気持ちをお持ちでしたら、もちろん僕もそれに従います。呼ばれる本人が不快に感じる、あるいは止めてほしいと思うなら、周りの人間がその言葉を使うべきじゃないことは、改めて言うまでもないでしょう。

なお、柴田安子の夫の名前を、ずっと「宣勝」と書いてきましたが、正しくは「宜勝」でした。お詫びするとともに、すでにアップした記事も、「宜勝」に訂正しておきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「絵金」2

  土佐の絵師・金蔵は、幕末から明治初期にかけて数多くの芝居絵屏風や絵馬提灯、五月の節句の幟などを手掛け、「絵金さん」の愛称で、 地元高知で長年親しまれてきました。夏祭りの数日間、絵金の屏風を飾る風習は今でも変わらず、真夏の夜の闇の中、高知各所の神社 の境内や商店街の軒下に提灯や...