ちょうど京都美術工芸大学の仕事をしていた僕は、その監修を頼まれ、いわゆるゲストキューレーターをつとめることになりました。そのカタログには、「琳派私的旅行」と題するエッセーを寄稿する機会にも恵まれました。
この特別展には渡辺始興の「木蓮棕櫚図」も出品され、カタログ解説は京都国立博物館の福士雄也さんが担当したのです。この解説により、僕は「大門」というのが興福寺大乗院門跡・大門隆遍であることを教えられました。つまり大門がそのころの近衛家当主・経煕に贈った作品だったのです。
しかも大門の父は二条吉忠であり、この吉忠は光琳・乾山の庇護者であった二条綱平の子だったのです。近衛家や家煕のために始興が制作した作品ではなかったのです。もし依頼主を考えるとすれば、二条吉忠こそ可能性が高いことになります。ここにお詫びして訂正させていただきたく存じます。

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