2025年6月27日金曜日

6月の詩5

江戸・祇園南海「庚辰の夏、余 罪を南海に俟つ。鬱鬱として一室に居る。六月溽暑、中夜寝ねられず。因りて江都の旧游を思う」

初期日本文人画四大家の一人・祇園南海は、元禄13年(17005月、25歳のとき不行跡につき知行を召し上げられ、和歌山城下を追放されました。以後10年間、赦免されるまで和歌山東方の長原村で困窮をきわめる生活を送りました。これは翌6月に詠んだ七言古詩です。

ここには僕の大好きな中唐の鬼才・李賀が、重ね合わされているように思います。のちに南海は「五竹図巻」という作品を描きましたが、その巻頭「新竹図」は、李賀の「昌谷北園新筍」という詩からインスピレーションを得て描かれているのですから……。

 「不行跡」の内容は不明といわれていますが、これを読めば、南海が完全に周囲から浮き上がって、SNSはなくとも誹謗中傷のターゲットとなり、ついに追放の憂き目にあった原因がよく分かると思います。 

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