ひるがえって日本の美術史ではどうだったでしょうか? 美術史家による社会学的芸術学、もう少し限定して社会学的美術史への関心はかなり薄かったと思いますが、さすが岡倉天心は慧眼の士でした。日本美術史の荒野を開拓した岡倉天心――その東京美術学校における講義筆記録『日本美術史』をながめてみると、そこには社会学的美術史の思考が抜かりなく準備されていたと思われます。
しかしその後、実証主義や感覚主義、あるいは様式論が日本美術史研究の主流となり、社会学的美術史が健康に育つことはありませんでした。もちろん部分的には論じられたわけですが、日本美術史学における天心の後継者はずっと現われなかったと思います。
ここでオーラルヒストリーを許してもらえるならば、かの『眼の神殿』(美術出版社 1989年)こそ、我が国における美術史家による社会学的美術史のエポックであり、著者・北澤憲昭さんこそそのパイオニアだったと思います。
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