いかにもブルクハルト的な修辞に彩られ、僕にはちょっとペダンティックに感じられる文章の行間を読んでいくと、ブルクハルトの真意は、むしろオスカー・ワイルドを先取りしたような「国家は芸術を模倣する」ことにあったのかも知れません。しかし僕は、美術史家による社会学的芸術学の嚆矢に位置づけたい誘惑に駆られるのです。『イタリア・ルネサンスの文化』の初版が出版されたのは1860年、日本でいえば桜田門外の変が起こった万延元年だったというのが驚きです。
このあと欧米において、美術史家による社会学的芸術学がどのような発展を遂げたのかよく知りませんが、注意しなければならないのは、「社会」という語が研究者によってまったく異なる点です。
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