2025年1月28日火曜日

東京国立博物館「大覚寺」7

 

嵯峨天皇「内史貞主が『秋月歌』に和す」(続)

  木の葉みな散る洞庭湖 暮れてしまった――秋はもう

  夷狄いてき防御に出征の 夫つまは帰るの忘れたか?

  こんな月夜に妾わたしだけ この高殿に座ってる

  思いを胸に月みれば あぁ悲しみに耐え切れず

  くさむら露にしとど濡れ 真夜中しだくコオロギと

  明け方に吹く風に乗る 砧きぬたの声を聞いている

  明るい月は年ごとに 清らな色を変えないが

  これを眺める人だけが 年ごと白髪を増やしてく

  竹 映る窓 人気ひとけなく 物音さみしく寒々し

晩秋――ものみな頼りなく 人影まばらな柳の門

仙薬 盗んで月界へ 逃げた姮娥こうがの真似できず

ねやから月を眺めては わびしい独り寝 恨んでる

*唐の閨怨詩はほとんど男の空想ですが、それをさらに日本の天皇が想像して詠むという、きわめてソフィストケートされたというか、爛熟の極みというか……。これも一種の本歌取りかな()


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