とくに支配者がみずからを省みて勧戒の糧とすべき倫理であり、だからこそ東洋で帝鑑図がこのように発達したのでしょう。これを衆庶に強要することは、孔子の望むところではなかったはずです。先に寄せられたような儒教批判が当たっているとすれば、それは徳川幕府のやり方が悪かったのであって、儒教そのものに罪はなかったと思います。
たとえそうでなかったとしても、僕にとっての『論語』は自省の契機であって、その基準を学生に強いるようなことはゼッタイなかったと思います。だからこそ儒教からも大きな影響を受けた貝原益軒の名言、「聖人を以てわが身を正すべし、聖人を以て人を正すべからず」をマイ人生訓にしているんです。
ヤジ「エエカッコシイとはこのことだ。このあいだ若者は『論語』を読んで敬老精神を養うべきだなんて言ってたのは、ほかならぬオマエじゃないか!!」
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