2024年9月20日金曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」10

 

中野さんは不忍池の左岸に大きく描かれる奇妙な白い鳥に注目しました。そして『徳川実記』巻13から寛永6年(16294月の記事「東叡山山麓の不忍池に異鳥三飛来る。人これを見しるものなし。画工をしてその形状を模写せしめて御覧にそなふ。西海の辺には多く住む鳥にて。名は島鵜といふよしなり」を見出して、両者を結びあわせたのです。

つまり不忍池に描かれる異鳥は『徳川実記』に記録されるこの「島鵜しまう」であり、島鵜とはペリカンであることを実証したのです。その結果、屏風の作画期は寛永6年、あるいは遅れたとしても、ペリカンが不忍池に滞在していたか、その後人々の記憶に強く残っていた期間と限定されることになりました。しかし、もはや寛永6年制作と決定してよいと思います。完成が翌年にずれ込んだとしても……。中野さんは制作したのも江戸の画家、少なくとも一時は江戸にいた画家で、制作地も江戸とみて間違いないとされました。


0 件のコメント:

コメントを投稿

追悼シンポジウム「高階秀爾館長と大原美術館」8

  尊敬して止まぬ文人画家・祇園南海が「五老峰図」を描いたとき、李白の「廬山の瀑布を望む」を心に浮かべていたことは指摘するまでもありません。しかし、五老峰から一望千里の風景を写生する虎次郎の頭上にも、李白が降臨したことでしょう。僕は李白の絶唱を中国語でつぶやくように暗唱しながら、...